躓き

うさぎ赤瞳

絆に導かれて

第1話 平穏な日常が一瞬で

    一


 古い記憶をさぐり、色褪せたものを整理していた。

 

 うさぎ赤瞳の血縁者という、楓花ふうかが現れたのは、数時間前のことである。

 好奇心旺盛な眼差しが見詰めるものは、うさぎではない。

 溢れんばかりのやる気を纏う姿に不釣り合いのリストカット。

 人それぞれに物語が存在するが、自暴自棄を乗り越えたことだけは見てとれた。

 

「何がお望みでしょうか?」

 接続詞のつもりで問いかけた。

 うさぎにとって大事なことは、楓花の存在を受け入れること。安っぽい同情やその場を取り繕う哀れみではなかった。

 個人の尊厳を尊重する為に投げ掛けた言葉が、独り立ちしてあゆみ始める。予期していたが、うさぎの胸をえぐった。


「あたしのことを、詐欺師くらいに観ていませんか?」

「違います。言葉が足りませんでした。御免なさい」

 うさぎの慌てぶりを間近にして、楓花は少しだけ、胸を締め付けられていた。だからといって、ふつふつと湧き出す怒りは、治まりそうにない。

「物乞いに受け止められたのなら、あたしが悪いのでしょうが、世知辛い世の中を渡り歩くなら、仲間は必要でしょう。それとも血縁者に縋ることは、罪になるのでしょうか?」

「なりません。突然現れた意味を探させて下さい」

 おどおどと回る、うさぎの姿を余所に、楓花が見据えていた。


 うさぎは、仲間という響きが好きだった。

 手の掛かるであろう少女期を無難に通過したとは思いがたいが、ある意味自立を果たしている。

 親子以上に年の離れた夫婦も居るが、違う時代背景に育まれた現実は、ことの外、妖しく纏わり付いていた。

 

 決断を下すには、情報不足が否めなかった。


「私には仕事がありませんが、この家に寝泊まりすることはできます。一緒に住む訳ではなく、隠れ家として使いませんか、という意味ですが?」

「ならば、飯の種を摸索しましょう」

「一緒に働くのですか?」

「妄想で食いぶちを稼げるとは想えません」

「そうなると、予言で生計を立てることになります」

「他にはないのですか?」

「なんちゃって科学者ですから、研究者も無理でしょうね」

 楓花は、『今まで生きながらえたこと』が、奇跡に思えた。

 うだつの上がらない人間は往々にして、やる気のなさに終始するものである。

 そんな凸凹コンビが誕生した。

 世にも珍しいコンビがするべきことは、珍現象を解き明かすことしかないだろう。曰くを解明するだけの経験と知識は、全国津々浦々にある図書館に縋り付くしかなかった。



    二


 寝起きの良さだけは定評に達していた。

 特に酒が飲める訳でもなく、かと言って下戸でもない。早起きは三文の得というが、金銭感覚の疎いことを恥じている節がある。

 天の邪鬼というものが厄介がられる理由は、手に負えなくなるからで、周囲に被害が出るならば、ある種の危険物質とみなされる。本当に危険なら、それを事件と見るべきだろうが、世間様は、そういう意味で、疎ましかった。


「○○警察署強行犯の、木村と言いますが、うさぎ赤瞳さんでしょうか?」

「警察署?」

「榊楓花さんを保護していますので、来署頂けますか?」

「どういうことでしょうか?」

「出来れば、弁護士さんを同行して頂けますと助かります」

「解りました」

 うさぎは言うと、ゆっくりと受話器を置いた。直ぐさま携帯を取り出して思考を巡らせた。

『弁護士さん?』

 駆け巡る思考の中に、弁護士の知り合いはいない。付き合いも疎遠になっている市会議員をあてにするべきか迷いあぐね、

「赤瞳ですが、お頼みしたいことがありまして」かけた相手は、警察をOBになった親戚だった。

 母の姉が嫁いだのが、警察官僚であった。若気の至りを絵に描いたような、うさぎには脚を向けて、寝られない恩人だ。

「またやらかしたのか!」

 電話の向こうで呆れているだろう叔父が、脳を占領して、鬼の形相で腕組みして見詰めていた。

「申し訳ありません。弁護士を同伴の来署を言い渡されました」

「知り合いなのか?」

「突然のことでしたが、昨日認知した許りの娘です」

「娘?」

さかき 楓花、二十歳まで十三日の未成年です」

 ただならぬ沈黙が流れた。

 割りきったのか、呆れたのかは解らないままに、

「事件の内容は?」と、おじが訊いてきた。

「解りません」

 うさぎは説明しながら、思考の中の疑問に気付いた。

「もしかしたら」

「もしかしたらなんだ?」

「昨夜、成人の祝い、と理由付けして、居酒屋に繰り出しました」

「先走りか」

「共に帰宅したのですが、姿がなくなっています」

「ひとりで、はしごに出掛けたんじゃないのか?」

「ジュースを買いに、部屋を出た記憶がありますが、帰宅した記憶はありません」

「街をふらつき、補導されたのか?」

「かも知れません」

「かも知れません。ってお前なぁ」

「弁護士同伴の意味を、教えて頂けないでしょうか?」

「事件関与の疑いから、弁護士が呼ばれたんだろうな」

「関与ということは、犯人ではないのですね」

「犯人なら逮捕になる。初動捜査の段階で、疑わしいんだろうな」

「未成年でも、ですか?」

「事件の関与に、未成年は関係ない。逃走されてしまえば、警察の信用問題に係わるからな」

 脳を占めたのは、心細く周りの全てが抑え浸けてくる情景だった。

「取り敢えず、署に行ってみます」

「内容次第で、また連絡をくれ」

「そうさせて頂きます。有難う御座いました」

「おぅ、無駄な争いだけは気をつけろよ」

「重ねて、有難う御座います」

 うさぎは深呼吸を入れてから、通話を閉じた。

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