さなぎになんて、なりたくなかった

あきれすけん

第1話 

 いつからだろうか。気が付くと興味関心よりも、その先にあるだろう不安や困難を想像して、怖気づいて動けなくなってしまうようになっていた。そして本音に蓋をして、拒否しつつ笑顔でその場をやり過ごし、いつもと変わらない日々をすごすのだ。それがいちばん平和で、いちばんいいに決まっている。



「やっぱ、悠との飯は安定だな。」

「そうだね。昔となんも変わんない感じ。最近どうなの?」

「まあ、ぼちぼちだな。そっちは?」

「私もそんな感じ。」


 幼馴染の私たちは、お互い大学生となった今ではたまにしか会わない。しばらくタイミングが合わず、大学に入学した直後以降2人で会うことはなかった。この間、拓から久しぶりに連絡が来て、今日に至る。

 とても久しぶりに会った拓は、髪を明るめに染めてピアスを開けている。だいぶ馴染んだのだろう、似合っている。けれども話し方や雰囲気は変わらなかった。私も前に会った時よりもしっかり化粧をして、軽く髪を染めたくらいの変化はあるが、その程度だ。派手髪に憧れがないわけではないけれど、勇気が出なくて無難に暗めの茶髪。ピアスについても以下同文。今日は小ぶりなイヤリングを付けている。

 男女なのに定期的に会うだけでも仲がいいのだろうが、それもお互い地元に進学したから。それ以上の理由なんて、私たちの間には存在しないだろう。少なくとも私にとってはそうだ。下手なことは考えない。


「そういえば、お前は就活どうするわけ。やっぱ県外出る?東京とか。」

「うーん、まだ2年だしそこまで考えられてないかな。拓は?」

「実は俺もまだ。でもサークルの先輩が、3年の間にインターン行っといて就活にシフトしてったら楽だったって言ってたし、そろそろ考えないと、くらいしかまだ考えられてねーや。」

「なんだっけ、バンドサークル?」

「そうそう、今同じ学年のやつらとバンド組んで、ベースしてる。今まで楽器なんてやったことなかったから、全然指開かねーの。最近はもっぱら基礎練と指のストレッチして、バンドでやる曲練習してる。お前はサークル入ってないんだっけ。」

「うん。特にしたいのなかったし。それに誰かと何かするより、本読んでる方が楽しい。」

「ふーん。なんも変わんねぇな。」

「そんな1年ぽっきりで変わったりしないよ。」

「まあ、そんなもんか。」


 そもそも、大学生になったからと言って、何が変わるというのだろう。ただ、毎日会う人が変わるとか、学ぶ内容が変わるとか、バイトを始めるとか、それくらいしか変わらない。確かにそれほど環境が変われば、色々と物事のとらえ方は変わるだろう。でも、それだけ。それだけであってほしい。


 その後もお互いに近況の報告をしつつ、次々に来る食事を進めた。この店のおすすめは山芋の鉄板焼きらしい。居酒屋らしく濃い目の味付けだ。他にも唐揚げやだし巻き卵など何品か頼んではいるが、どれもこれも味が濃い目のものが多い。拓はそれに合わせてお酒を飲んでいる。今はハイボール、さっきは生ビールだった。それに対して私は、あまりお酒が得意でないこともあってずっとウーロン茶を飲んでいる。拓はそのことに何も言わないから、一緒にご飯を食べていても楽だ。

 そういえば、拓と一緒に食事することは今まで何度もあった。それこそ家族ぐるみの付き合いであったから、お互いのうちに食べに行くこともあったし、高校まで全部一緒だったから、帰りのタイミングが合えば放課後にファミレスやファストフード店へ行くこともあった。ただ、どれも未成年の時だったからお酒を一緒に飲んだことはない。今回初めて、拓の飲酒姿を見ている。スイスイと飲んでいくあたり、ある程度アルコールに強い方のようだ。飲み会で困らなさそうで羨ましい。


 拓のお酒が進むにつれて、徐々に会話が少なくなってくる。きっと酔っぱらってきたのだろう。あれからハイボールをもう1杯飲んでいたが、そろそろ不安になって来たのでウーロン茶をこっそり頼んで飲ませている。最初は何これ、と疑っていたが、ウーロンハイだよと適当に言ったらすんなり信じて飲んでいた。拓は酔っぱらうと、少々おバカさんになってしまうらしい。最後に少し残った枝豆を摘まみつつウーロン茶を飲んでいる拓が、不意に口を開いた。


「この時間、好きだなぁ。」


 何を言っているんだろう。きっとあれか、昔みたいで落ち着くから好き、みたいなことだろうか。動揺して、口に含んだウーロン茶がうまく呑み込めない。やっと飲み込んだウーロン茶はぬるくなっていて、変に喉に残っていた。


「それって、私とご飯食べてる時間が、ってこと?」

「いや。」


 そう答えて、拓は黙った。酔った頭で次の言葉を考えているのだろうけど、その眼はアルコールのせいなのかとろんとしていて、上手く思案出来ているのかはわからない。私がここで何か聞き返すのも違う気がして、少し黙る。この席だけが少し肩がこるような静けさが漂っている気がしてならない。


「なんか、好きなんだよ。」

「なにが?」

「お前と、悠と一緒に飯食って、なんでもない話して。気が知れてるから、変に気を遣うこともないし、なんかほら、多分お前のこと好きだからかな。」

「は?」


 驚きすぎて、今までにないくらい目が開いていると思う。たぶんアイラインとかよれた。それにしても、今このタイミングで言われる「好き」という言葉の真意が私にはわからない。少なくとも、拓に好きだと言われたことなんてないと思うから、その「好き」が指すものが親愛なのか家族愛的なものなのか、はたまた恋愛関係のそれか測ることは難しい。わからないから、聞くしかない。でも、それを聴いてなんになるんだろうか。私たちの関係がただ変わってしまって、それで終わり、なんてことになってしまったら目も当てられない。しかし私の口は勝手に言葉を発した。


「それって、なんの『好き』な…」


 言い切る前に、勝手に話し始めた口を両手でふさぐ。何をしているんだ、私の口。拓の「好き」が何であろうともそれを親愛だと思い込んで、自分は押し殺して今まで通りの付き合いをする、これが私にとっていちばんいいだろう。勘違いもなく、平和で変わりなく、いちばんいい。

 それにもし仮に、拓の「好き」が本当に恋愛的なものだとしても、それはきっと錯覚だ。昔から一緒にいて、いまだに連絡を取り合う仲で楽しかっただろう頃を思い出すための思い出装置的な存在として認識しているだろうから、その思い出が好きだということと、私のことを好きだということが混在してしまって錯覚してしまっているんだと思う。そうに違いない。

 拓を見やると、やはりとろんとした眼でこちらを見ていた。そしてその眼には、私が見たことのない確かな熱が含まれている。


「気づいてなかった?恋愛的な『好き』だよ。」


 開いた口がふさがらないとはこのことだろう、と遠くの方で考える。だって私たちはただの幼馴染で、たまにあって近況報告して、それだけ。昔を懐かしみつつ、それを糧に次に進んでいくための存在。ただそれだけじゃないのか。

 酔っぱらいの戯言だろう、と茶化すように返そうと思っていたが、あまりにも拓の瞳がまっすぐこちらを見ていたから、茶化す気にはなれなかった。だから私も、私の考えていることをちゃんと伝えなきゃいけない。


「たぶん、その感情は私への愛とか、そんなきれいなものじゃないと思う。」

「は?」

「それはきっと、私を通して見ている楽しかった過去とか、色々失いたくないものとかに対する拗れた執着心を、恋とか愛みたいなきれいな感情と勘違いしているんだと思う。」


 ついに言った。言ってやった。怖かったけど、それでもずっともやもやしているよりはマシだ。すっきりした気持ちで拓の顔を見ると、私よりも先の方を見ているような虚ろな眼で、すとんと感情が抜け落ちたような表情をしていた。少なくともこの表情は、さっきまでのんびり楽しく飲んでいた人間がする表情ではなく、悪酔いしている人間がする表情だと思う。ちら、と拓の眼だけがこちらを向いた。


「俺に言いたいこと、それだけ?」

「それだけって?」


 私が返答に困っている様子が分かっただろう拓は、スッと視線を外した。そしてすぐこちらを向き直した。拓の表情はさっきと違って、こちらをまっすぐ見つめている。


「お前の思い込みで俺の気持ちを無いことにするとか、やめてくんない?」


 陳腐な表現だけど、何かが崩れる音がした。

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