第4話「久々の平穏」

 あの電撃ニュースから数日経った日のことだった。


「いやっほー、おっひさー直樹」


 東京旅行から帰ってきた香純は、俺の部屋にズケズケと入ってくるなり、俺のベッドへとダイブした。


「ふへへ、直樹の匂いがするー。いい匂い」

「おいやめろ」


 香純は俺のタオルケットをクンカクンカと嗅ぐ。その行為は幼馴染の俺でさえもドン引きしてしまうから、やめた方がいい。おまけに夏場の汗が大量に染み込んでいるはずだから、衛生面的にもよろしくない。最後に選択したのいつだったかな。


 そんなことよりも、だ。


「ところで香純、この間のことなんだけど」

「ああ、雑誌? ちゃんと載るよ?」


 俺の尋ねようとしていることを見抜いたのか、香純は即答で答える。どうやら本当に出版されるらしい。そうすると香純の写真が、全国各地に拡散されるわけだが、なんだか心が穏やかじゃない。当然こうやって香純が有名になってくれたら嬉しい気持ちはもちろんあるが……なんだか複雑だ。


「お前、脅されてたりしないよな?」

「もう、ホント直樹って心配性なんだね。大丈夫だって。変なことは何もされてないし、撮影は無事に終わったし」


 屈託のない笑みを香純は浮かべた。が、やはり不安は消えない。とは言っても、香純は無事に帰ってきている。電話でも、今でも、何かを隠している様子は一切見られない。本当に大丈夫なのだろう。


「悪いな。昔から心配性なもんで」

「知ってる。ま、慎重なのはいいことだよね。私なんか、思い立ったらすぐ行動しちゃうからさ」

「香純も、そういうところ少しは直したらどうだ」

「えへへ、そうだね。あ、そうだ! 今日はね、写真見せに来たんだ」


 だから今日はリュックサックで来たのか。家が隣なのに、意味があるのかと思っていた。


 香純はリュックからゴソゴソとその見本誌を取り出した。全国的に広がる雑誌だ。もちろん表紙には国民的モデルがドドンと構えている。俺はついついその女性を香純に置き換えてしまった。


「じゃーん、ここ、ここ!」


 香純が開いたページは、街の若者のファッションを取り上げるコーナーだった。香純の他に、いろんな人たちがズラリと並んでいる。でも、俺の目に一番に入ってきたのは、香純だった。ファッションのことはよくわからない俺だが、少なくとも、香純が一番可愛いということはわかった。


 俺が雑誌の中の香純に集中してる間、香純は撮影のことについて話してくれた。


「スタッフさんとかカメラマンさんとか結構優しくしてくれてね。撮影もすぐに終わったし、楽しかったよ。私、可愛く映ってるかな?」

「ま、いいんじゃねえの?」


 素直に「可愛い」とは言えなかった。なんか、照れくさい。確かに香純は可愛いと思う。でも、それを言うのは、少し抵抗があった。


「よかった。あー、夢みたいな時間だったなあ」


 確かに、こんな田舎娘にしてみれば、全国誌に載ることなんて、滅多に経験できない。まさに夢のような、幻のような、そんな時間だっただろう。あの時俺も一緒に入れたら、そんな香純をからかえたのに。


「これがきっかけで本格的にモデルデビューするかもしれないね。今のうちにサインの練習しておかないと」

「うぬぼれすぎじゃないか? たった1回でデビューできるほど、甘くないだろ」

「でもでも、好評だったらまた連絡するって、言ってたもん」

「ええ……」


 それはさすがに怪しい。普通そんなことを伝えるだろうか? やはり変なやつに騙されていないか? そんな気しかしてならなかった。


「もう、心配性だなあ、直樹は」

「ただのお節介だよ」

「そうですか。じゃあありがたく頂戴いたしますね」


 少しは信用しろ、とでも言いたげな目で、香純は俺を見つめてくる。相手にするのも面倒なので、俺は無視して宿題に励んだ。この辺りの数学の範囲が苦手だ。


「ちょっと、モデルデビューした私をほっぽらかして勉強? 直樹真面目過ぎ」

「お前の相手するのが面倒になっただけだ」

「むう、何か腹立つ。えい、意地悪しちゃえ」


 香純は俺にべっとりと引っ付き、ぷにぷにと俺の頬をつつく。無表情を装っているが、実際、理性が本能を抑えるのに精一杯だ。無自覚でやっているのか? こいつ。香純の将来がなんとなく心配になってくる。


 自分の理性や香純のちょっかいと戦っているうちに、いつの間にか香純は俺か距離を置き、部屋の漫画を漁り始めた。気まぐれな奴だ、とつくづく思う。とはいえ、黙っていたら確かに美人であるのは香純の良さなのだろうが、残念ながら香純はおしゃべりな方である。それもうるさいくらいに。だから、香純に気を起こす、なんて愚かな人間なんて、そうそういないだろう。香純の人間性を見ればの話ではあるが。


「あー楽しかった。じゃあ直樹、私そろそろ帰るね」

「もう帰るのか? まだいてもいいのに」

「うーん、飽きちゃった」

「おいおい……」


 有原香純とはこういう人間なのである。身勝手で、わがままで、それなのに可愛くて、鬱陶しい。香純は俺にウインクを見せつけると、バタバタと足音を立てながら部屋を出て行った。結局、雑誌のことを自慢したかっただけなのだろう。俺はまた夏休みの課題に取りかかった。


 まだ午前中。課題ばかりしていると頭がおかしくなりそうだったので、俺はベッドにダイブした。


 モデルデビュー。


 香純が放ったその言葉は、あまりにもパンチが効きすぎている。まるで、香純に突き放されてしまうような、そんな気がした。でもきっと大丈夫だろう。これからも香純は、俺に悪態をつきながら、平凡な日々を送っていくのだろう。


 でも、そんなものは所詮まやかしで、俺は残酷な結末を思い知らされるのだった。

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