ラムネ
結城柚月
第1話「夏休み前の日常」
うだるような暑さだった。天気予報によると、今日は日本列島どこもかしこも暑く、最高気温を更新してもおかしくないという予測だ。ジリジリとどこかから鳴くセミの声には、この蒸し暑さとの相乗効果で鬱陶しさすら感じる。
高校最初の1学期ももうすぐ終わる。それまでの辛抱だ。ここを乗り越えたら、こんな暑い中外を出歩かなくても済む。けれど……。
「あぢいいいいい」
「もう、暑い暑いって言わないでよ。私まで暑く感じちゃう」
通学途中、俺の隣を歩く幼馴染の
しかし、腰までかかる黒く長い香純の髪には、やはり熱がこもるのだろう。本当に暑さに参っているようだ。俺は生まれてからずっと短髪だから、こいつのそういう苦労に共感してやることはできない。残念だったな。
「そういや
「いいや。まだ何も決めてない」
「ふうん。そうなんだ。ちなみに私はねー」
「誰も香純のことなんて聞いていないから」
「ぶう。せっかく東京に行くって自慢しようと思ったのに」
香純が口を尖らせる。よほど不満だったのか、あと5分くらいはずっとブーブー文句を言っていた。
でも確かに、少し東京という響きには憧れる。今住んでいるこの町は、海に面したのどかな田舎町だが、水産業以外誇れる仕事もなく、電車も通っていなければ、バスも1時間に1本しか走っていない。都会とはまるでかけ離れている。
「へえ。誰と」
「家族旅行ですー。あ、もしかして、一緒に行きたかったとか?」
「バカ、違えよ」
からかうように笑う香純の頭に向かって、俺は一発手刀を食らわせた。大した威力はないはずだから、脳に影響は与えないだろう。それでも効果があるというのなら、こいつの頭はそれまでだということだ。
「痛ぁ。ちょっと、私の頭が悪くなったらどうしてくれるの?」
「別にどうもしねえし。むしろほっとく」
「酷くない?」
またしても頬を膨らませる。俺は無視して学校へ向かった。無視しないでよ、という香純の声は聞こえていたが、反応しなかった。反応すればいろいろ面倒くさそうだったから。
学校に着いても、香純はまだ怒っていた。同じクラスである香純は、他のクラスメイトに、今日の俺のことを言いふらす。慣れたものだから別に気にしていない。
「今日は面倒だな。お前の嫁は」
「別に嫁じゃねえよ」
そう俺を揶揄するのは、クラスメイトの
「お前、有原にDV加えたんだって? やめとけよー、訴えられるぞ」
「DVじゃねえし」
「そう言う奴ほど将来家族に暴力ふるうんだよ」
「あのなあ……」
きっと戸田は香純の話を本気にしていないが、こうやってよくからかってくる。それが面倒く、たまらなくウザい。
「ま、結婚するなら暴力の癖は今のうちにやめておいた方がいいぞ。誰とするとは言わんがな」
「だから、結婚って……」
呆れてもう何も言えなかった。戸田はもうその話に関心がなくなったようで、せっせと朝の漢字の小テストの対策をしている。俺も戸田に続いて勉強をした。が、範囲を間違えてしまい、俺は放課後再テストを食らった。腹が立ったから香純と戸田のせいにしておく。
再テストでは、そこそこの点数を叩き出した。よくできた訳でもなく、かと言って悪かった訳でもない。普通だ。
「あ、やっと終わった。どうだった? やっぱり再追試?」
「俺をなんだと思っているんだよ。普通に合格だよ、合格」
「なんだ、つまんないの」
校門前で待っていた香純は、ぶつくさと文句を言うと、俺と並んで歩いた。
「香純はどうなんだ? 小テスト、堂々と誇らしげに言うんだから、満点なんだろうな?」
「そりゃあ、もちろん。ほら」
香純はゴソゴソと鞄を漁ると、今日の小テストを誇らしげに掲げた。フフンと鼻を鳴らす。十点満点中の九点。しかも一問一点の漢字テストだ。
「満点じゃねーじゃねーか!」
「えー、だって、漢字をちょこっと間違えただけだよ? しかも新出漢字じゃないやつ
「お前、それ入試でもそんなこと言うのか?」
「でも、入試で間違えなきゃいいんでしょ?」
「そう言う奴が、入試でコケるんだよ」
それでも香純は高らかに俺に点数を見せつける。香純より上の点数を取った人なんていくらでもいるのに。よほどマウントが取りたいらしい。
「それよりもさー、東京土産、何が欲しい?」
露骨に香純は話題を逸らした。自分に都合が悪い話題になるとすぐ話を変えてしまう。俺はここで言及しなかった。しても、無理に押し通してしまうから。
「別に。なんでもいい」
「じゃあ、変なもの買ってきてあーげよ」
「それは勘弁してくれ」
「もう、ちゃんと言ってよ」
と言われても、そこまで東京への憧れは強くないし、興味もさほどない。考えるのも面倒だ。俺は大きな溜息をついた。
「安くて実用性のあるもの。その二つを満たしていたらなんでもいい」
「ホントに? そんなんでいいの?」
「ああ。他に欲しいものもないしな」
「はえええ」
呆れたような、そんな間の抜けた声を香純は発した。何度も何度もそれでいいのか確認されたが、それでいい、と繰り返した。
その後もたわいのない会話を続けた俺達は、家に着いた。家が隣同士なもので、帰宅する最後の最後まで香純のその憎らしい顔を拝むことになるのはもう慣れたものだ。でもそれは嫌なことではない。そう思わせるのは、幼馴染というステータスがあるからだろう。
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