第46話 女子会1
「あー、今頃皆楽しんでるっすかねぇ」
光秀らが登山をしている頃、家では詩折がテーブルに伏せながら、そう怨嗟を漏らしていた。
手を伸ばし、頬をテーブルに付けて脱力する姿にやる気というものは見られない。
その隣で由希恵が文庫本を読みながら、
「どうだろうねぇ」
気のない返事を返していた。
ぞんざいにあしらわれた事に腹を立てることなく、詩折はただ目を閉じていた。
このまま眠ってしまうような状況の中、突然ドアが開き、騒々しい足音とともに一人リビングへ入ってきた人物がいた。
「あー、疲れたぁ」
両手に麻を編んで作られたバッグを持つ景子は、入室するなりテーブルにそれを置く。
ドンッとけたたましい音を立てて、荷物はその確かな重量を伝える。同時に地震にも似た振動を直接感じた詩折は跳ね起きて、その震源地へ目を向けた。
「お、おつかれっす……随分買ってきたっすね」
「まぁねぇ、んっ……じゃあ恵美呼んできて」
重荷から開放された景子は潰された脊髄を伸ばすように胸を張り、腰に手を当てて背中を逸らす。そのなだらかな曲線を見せつけながら詩折に対してくぐもった声で命令を出す。
それに対して了解っすと、詩折はリビングから出ていく。
その後ろ姿を横目で捉えながら、由希恵は、
「何を買ったんですか?」
首を伸ばし、バッグの中身を覗き込む姿勢のまま尋ねていた。
「私ね、気づいたのよ」
景子はそこまで言うと一呼吸置いてから、
「もう二年近く包丁持ってないってね!」
「……あっ」
確かに、と由希恵の頭にも思い当たる節があった。
本来夕飯は時間がバラバラになることや外食をすることを加味して当番制になってはいなかった。それがいつしかなあなあになり、今では殆ど食事の時間を合わせるようになっていた。
きっかけは自分で作るのを面倒くさがった、一名を除く男性陣と、翌日の仕込みがあるからと積極的にそれを受け入れた料理担当のせいなのだが、それに甘えて今日まで過ごしてきたことは事実であった。
ただそれも仕方がないことだと、由希恵は思っていた。自分一人のために自分で作った拙い料理と、前々から献立を考え栄養価も考慮された、仕込みもバッチリな料理など比べるまでもない。施設育ちなので味よりそこそこ腹が膨れれば良いという考えだった由希恵ですらそうなのだから、親が作ってくれる環境下にいた人達ではその誘惑に耐え切れるはずもない。
でも、と由希恵は自身の二の腕を見る。この三年で骨皮しかなかった貧しい腕も今ではふっくらとハリがある。遺産はあっても二十歳になるまでは充分に使えず、また使える環境になかったためだ。周りはお金に苦労しているというのに贅沢をしていたら気分が良くないだろうと思って。
先日施設の方へ顔を出した時、随分血色が良くなったと院長に言われたのもあって、久しぶりに体重計に乗ったところ、見たこともない数値が表示されていた。初めは壊れてしまったかと思ったがそうではなく、単純に予想以上に太っていただけだったのは嬉しくもあり女として悲しくもあった。
現状最愛の人はそれでいいと言ってくれているが、このままのペースで体重が増え続けたらそうも言っていられないだろう。
それに、
「料理かぁ……」
由希恵は顔を伏せて頭を抱えていた。
春までにはここを出て同棲することが内定している。
そうなると、今まで洗濯だけで良かった家事の分担が増えることになる。
もちろん料理もしなければならないだろう。ずっと外食という訳にも行かないのだから。
その時、絶対に今のレベルと比べられることに恐怖と絶望を抱かずにはいられない。
光秀のことだから、仕方がない、一緒に頑張ろうなど慰めの言葉をかけることは目に見えているが、その目の奥にはどうしても今の生活がチラつくはずだ。自分だってそうなのだから間違いない。
今更になってそんなことで解散を惜しく感じてしまうことに、存外浅ましい人間だったのねと、自嘲する。
なんにせよ、このおんぶにだっこの状態から脱却せねば、そこから亀裂となって関係悪化というくだらない結末を迎えかねない。
「連れてきたっすよー。で、何するんすか?」
事情の知らない二人がリビングに入ってくる。
テーブルの上に置かれた多量の食材の存在感がまず目に行く。その後、景子が、
「恵美ぃ、料理教えて!」
「えっ、急にどうしたんですか?」
鬼気迫る表情に押されて、たじろぎながらも恵美は尋ねる。
「私からもお願いします」
由希恵もその場で頭を下げると、朧気ながら状況が理解出来始めたのか、
「もう……分かったから、とりあえず何が作りたいの?」
ため息混じりに景子へと目を向ける。
食材を買ってきたのは景子だ。由希恵には答えることが出来ず、同じように景子を見ると、
「なんでも作れるように色々買ってきたわ」
「じゃなくて、料理名は?」
恵美がそういうと景子は頭にハテナを浮かべて首を傾げていた。
これは、駄目かも。由希恵は目の前の光景にそう思わざるを得なかった。
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