第18話 五月会議

「それでは五月の会議を始めて行きたいと思います」


 立ち上がった景子が芝居かかった口調で、そして一礼をする。その芝居がかった所作をみて参加者からいくつか笑い声が漏れる。

 八人がけのテーブルにはそれぞれが席につき、手元には一枚の紙が配られている。


「じゃあ会計から――」


 景子が話を顕志朗に振る。彼は細かな金額の精算の話を、書面に沿って伝える。

 ……

 皆が手元の書類を見つめる中で光秀は虚空を見ていた。

 結局何も浮かばなかったな……

 今日までにと考えようとしていたが、まとまらず答えも出せていない。この期に及んでまでそのことを考え続けていた。


「光秀」


「あっはい」


 名前を呼ばれ反射的に答える。

 顕志朗が見つめていた。怒り、よりは心配といった感情を向けているようで、


「すみません……」


 心あらずなことがばれ、光秀は恥ずかしさで肩をすぼめる。

 それを見た顕志朗は、


「……何か意見はあるか?」


 小さなため息の後、そう尋ねていた。

 急いで資料に目を落とす。話半分に聞いていたため数字の羅列がすぐには理解できなくて、


「……ありません」


「後から言われても困るからな」


 短くそういって、顕志朗は手帳をたたむ。

 周囲からはくすくすと嘲笑の音が飛び交う。

 ……やっちゃったな。

 光秀はそれを確認できなくて、ひとりうつむくしかなかった。

 テーブルの上では清算のため、各人に封筒が手渡されていた。

 光秀の前にも置かれたそれを、ゆっくりと手に取って中身を確認する。

 中からは硬貨が数枚。それとその内訳書が入っている。

 戻しがある場合はこの場で、不足がある場合は後日、数日以内に顕志朗のもとへと手渡すことになっている。

 全員に封筒が手渡ったことを確認したのか、


「じゃあ、次は生活の問題点についてだけど、先月言った通り目安箱に匿名で投函してもらうことになっていたわね。じゃあ開けちゃいます」


 景子がカラフルに装飾された箱をひっくり返す。

 箱からは三枚、折りたたまれた紙がテーブルの上を散る。


「ちょっとは落ち着いてできないんですかね」


 そう嫌味を言うのは信一だ。一枚、手元まで飛んできた紙を滑らせて返す。


「ごめんなさいね、ポチ公」


「ポチ公いうなっ! ノッポ」


 わめく信一に目もくれず紙を集め、そのうち一枚を景子は開く。

 文面を読み、二度ほど小さく頷くと、


「一枚目、個人のごみ袋はなるべく空気を抜いてください……わかるわぁ、嵩張って大変なのよね、これ」


 景子が意見を求めるように目線を一周させる。わかりやすく目を逸らす聡以外はうなずくだけだ。

 その様子に、頬に笑みを浮かべ景子は言う。


「反対意見ある人、挙手! ……いないわね。じゃあ可決ということで皆注意してね」


 景子は誰も手を上げないことを確認して、手元にあった判子を書面に叩きつける。

 でかでかと承認と押された書面は顕志朗のもとへと渡りファイリングされる。


「その判子、どうしたんすか?」


「作ったの。否決もあるわよ」


 ほら、と、二つの版面を聞いてきた詩折に見せる。その表情は自慢げにほころばせていた。


「いいから次行こうよ」


「つまんない男ねぇ。まぁいいわ」


 信一のヤジに唇を尖らせた景子は、次の紙を手に取る。

 そして、


「あー……」


 目線が泳ぐ。一度上を見上げ、また紙に目を落としている。

 ……なんだ?

 様子がおかしい。言葉を選んでいるのははっきりと伝わるので、

 ……なにが書かれているんだ?

 気にはなる。が、景子が握りしめている紙を奪うわけにもいかず、彼女がまとめるまで待つほかない。

 それは皆も同じで、全員が景子へと目も意識も向けている。

 五秒、十秒ほどだった。それほど長くない時間が経ったとき、


「皆に聞くけどさ……」


 一息ためて、


「浮気が駄目な人っている?」




『ルームシェア内で複数人と付き合うのは総意ですか?』


 景子はそう書かれた紙を胸元に掲げている。

 ……あぁ。

 光秀はそれをみて肩を落とす。全身から力が抜けて、目を開けていられない。

 先に、誰が……

 自分が言うべきことだった。知っていたのにその立場を誰かに負わせてしまった。

 その様子を見ていた恵子と目が合う。

 彼女は首を横に振り、笑みを浮かべていた。

 そして、


「まぁ言いにくいだろうから先に私から言わせてもらうと、関係者間で同意が取れているのであればオーケーだと思ってるわ。もちろん無理やりは駄目よ?」


 努めて明るく話す。

 それに対して一番最初に口を開いたのは、由希恵だった。


「それは、ご自身が同じ立場になっても、ですか?」


 手を半分ほどあげ、ただ目線だけは射貫くように力強い。

 景子はそれに対して、目を弓なりにして答える。


「えぇ、知っての通り私は聡と恋人ではあるけれど、聡とこの場にいる誰かが恋仲になりたいというのであればちゃんと話は聞くわ。まぁ許可するか別れてもらうかはその時にならないと答えは出せないけどね」


「まぁ俺も同じかな。正直想像つかねぇからわかんねぇけどそうしたいって奴の事情も聞かねぇで拒否するのは違う気がする」


 聡が間髪入れずに意見を述べる。

 ……やっぱり聡はすごいわ。

 光秀はそう思っていた。

 今、一番目を向けられているのは、一人明確に立場を示した景子だけ。良くも悪くも印象に残るからすぐに聡がフォローに入ったのだ。

 その時だった。


「……ありがとう。私たちのことを言っているっていうのはわかってるから」


 恵美が立ち上がっていた。

 それぞれの顔をゆっくりと見渡した彼女は、


「私は顕志朗と信一の二人と肉体関係があるわ。もちろん双方ともに同意の上だけどどちらとも恋人っていうわけじゃない」


 そう、胸を張って答えた。

 次いで、手を挙げたのは信一だ。


「僕からも。ちょっと普通と違うから戸惑うのも仕方ないと思うけど、恋人にならないのは、好きっていう気持ちはあるけど、大事なところの考え方が合わないから。それでも体の関係になっているのは、つながりを持ちたいからかな、僕は」


 そして、


「子供の考えだって言ってくれてもかまわないけど、そういう立派な思想は将来の恋人にでも突き付けてあげればいいんじゃないかな?」


「ポチ公、言い過ぎ」


 景子が諫めると、信一は鼻を鳴らして、そっぽを向く。

 話の当事者である三人のうち二人が話をしたため、何人かの目が顕志朗へと向くが、彼は何か言うつもりがないように腕を組んでいた。

 沈黙が流れる。

 流れが止まったことを感じて光秀が口を開こうとしたとき、


「うーん」


 先に話始めたのは詩折だった。

 彼女は頬に手を当て、


「うちとしても答えは出せないっすね。消極的保留ってことで。一応生理的嫌悪感がないわけでもないっすから」


 言い終えてため息をつく。

 結局、意思表示が最後になってしまったと、光秀は眉間にしわを寄せている。

 まだ、どういうべきか決まっていない。それどころかスタンスすらはっきりしていない。

 景子を見て、聡をみて、それから信一と目が合う。

 彼はゆっくりと頷いて、


「みっちゃんは?」


「……わかんねぇ。そこまでの中だっていうのは今日初めて知ったし」


「えっ!?」


 もう引き延ばせないな、と、意を決して光秀は述べた。その言葉を聞いた信一が驚きの声を上げたので、


「えってなんだよ」


「だって前にお風呂で汚すなとかいうからてっきり……あ、いや、何でもない忘れて」


 信一が目の前で腕を使ってばってんを描く。

 ……えー。

 思い出したのは数日前に大学から早く帰ってきたときのこと。

 信一が何か焦っているような態度だったのは、

 ……一緒に風呂に入っていたのね。

 それは確かに見られたくはないだろう。そして全く察せられなかった自分に、

 ……?

 当時の状況を思い出しても、状況を読むのは不可能だと思われる。


 

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