第16話 アロマンティックと詩折
「酒はそれほど好きじゃないんだ」
缶チューハイを片手に顕志朗が言う。
その言葉通り、開けてから一度口をつけて以降、手に持ったままくるくると回しているだけだった。
「すみません」
「いや、最初があれだったから酒好きに思われてもしょうがないさ」
光秀は口をつぐむしか出来なかった。思っていたことをすべて言われてしまったから。
考えが浅いのかな。
思慮深い性格ではないことは自分が一番わかっていた。だからこそ話すことには気を付けていたはずなのに。
考えこむうちに光秀の視線が下がる。それを見て顕志朗が、
「……すまん。思いついたことをすぐに話してしまった」
「いえ、考えが甘かったのは自分ですから謝らないでください」
頭を下げる顕志朗に両手を振って答える。
なんだこれは。
もはや会話とは言えないやり取りに光秀は頭を抱えていた。したかった事と現状の乖離に、後悔すら覚えていた。
缶ビールを一口、大きくあおる。このままではいけないと思い、
「ごめんなさい」
そう一言告げて、
「アロマンティックってなんなんですか?」
「……直球だな」
顕志朗は缶の飲み口を見つめる。
「……だが、腫れ物扱いされるよりは幾分もマシだな」
そして、顔を上げて笑って見せた。
ようやく一歩進んだ感じに光秀はほっと胸を撫で下ろす。
「でだ、アロマンティックと言ったが正直なところ俺もよくわかっていないんだ」
顕志朗はそのまま、
「自覚をしたのはいつだったかな。世の中で溢れている恋愛というものが理解できなくてさ。親だったかな、ドラマを見ていてこの人たちは何がしたいのか聞いたんだが、子供だからまだ早いって言われたと思う」
「それで、どうしたんですか?」
顕志朗は首を振る。
「どうもしないさ、子供だから親の言葉に納得してその場は終わり。ただ周りが思春期になるとその手の話題も増えてきて、ついていけない自分に気づいてな。まぁ無理して女性と付き合ったこともあったが……」
「どうなったんです?」
問いに対して顕志朗は想像通りだよ、と前置きして、
「愛情表現というのが分からなくてね。キスの一つでもしていれば変わったのかもしれないがタイミングなんて分からなくて。結局すぐに別れたよ」
そう言って当時を懐かしむように上を見上げていた。
「なんて言うか……特別変わってるって感じは無いですね」
光秀の言葉に顕志朗は苦手なはずのチューハイを一口含んで、
「だろう? だから自分でも分からないんだ」
困ったもんだ、と自分に言い聞かせるように言う。
難しいなぁ。
顕志朗の言っていることは分かる。そしてそれを他人に言ったところでまだ愛を知らないからだよと、一蹴されてしまうことも。
じゃあそういう人は本当の愛を知っているのだろうか。
考えれば考えるほど答えから遠のいている感じがする。聡あたりに言わせれば、愛してると思ってればいいんじゃねと話をぶった斬るだろう。それもまた間違いには思えない。
長考の末、光秀が出した答えは、
「愛ってなんなんすかね」
「さぁな。世間一般で騒がれている物が愛だとするならば俺には理解できないってだけだし」
言い終わると顕志朗はゆっくりと息を吐いた。
光秀は目を閉じて、
あーわからん。正解がまぶたの裏に書いているのならば楽なのに。
過去の顕志朗を想像してみる。周りに置いていかれて、真似して見るも上手くいかなくて。その答えも見つからない。
まるで、自分のようだ、と光秀は思う。
「顕志朗さんて、好きとかってあるんですか?」
悩んだ結果、わざとらしく話を変える。
「好ましいと思うことならあるぞ。綺麗や可愛いなと思うとこも。ただ……」
「ただ?」
言い淀む顕志朗は、眉間に皺を寄せて、
「……キュンってするっていうのはないな」
「そこはドキッじゃないですかね」
「そ、そうか……」
語尾が小さくなると共に、紅くなった頬を隠すように俯く。
その仕草に不意打ちされて光秀は心臓が強くなるのを感じる。
えっなんで?
気の迷いにも程があると頭を軽く振る。そのせいで酔いが回り、
「……きもちわるい」
「だ、大丈夫か!?」
そう言って近寄ろうとする顕志朗に、手を突っぱねて静止させる。
申し訳ないが近くによらないで欲しい。
自分が訳が分からなくなる感じがして光秀は眉間を押さえる。これは良くないものだと蓋をしなければ、壊れてしまいそうだった。
「やなっち、何かあったんすか?」
夕食後、風呂上がりに居間でテーブルに座っていた光秀は、声をかけられ、その方向へと顔を向けた。
「ん? あぁ詩折か」
視線の先には、先月カフェで話をした後輩がいた。
風呂上がり、か。
彼女は毛の立ったもこもこの寝巻きに身を包んでいる。春先、夜はまだ肌寒く感じる。それが正解だと、光秀は思う。
「昼間っから酒盛りとは大学生は違うっすね」
「昼間じゃない。夕方だったよ」
ぼんやりとした頭で答える。まだ陽は照っていたが夕方に近い時間だったことに嘘はない。
「ふーん。で、なにしでかしたんすか?」
「なにも」
「何も無いのにそんな顎突き出した顔しないっすよ。アンコウみたいになってるっすよ」
詩折は言葉通りに下唇を前に出して顎に皺を寄せる。
……してないよな。
顎をさする。手に触れるのは少しザラっとした感触だけで凹凸はない。
「阿呆みたいな顔してないで寝たらどうだ?」
「えー、まだ早いっすよ」
詩折は時計を指さす。時間は十時前を示している。
そういう意味じゃないんだけど。
本当に寝ろという訳ではなくて自分の部屋に行けばと言ったのだが伝わらなかったようだ。
それを伝えるのも億劫に思い、光秀は視線を手に持っているスマホに戻す。画面ではニュースとそれに関する一般の人のコメントがずらりと並んでいた。
ぺたぺた。
スリッパが地面を叩く音が響く。そして、
「やなっち、お茶飲むっすか?」
「……あぁ、ありがとう」
光秀は感謝の意を伝える。それを聞いてにんまりと笑みを浮かべた詩折は、コップを二つ用意して、
「はい、どうぞ」
ひとつを光秀の前に、もうひとつをその隣の席に置いた。
「……いや、向かいに座れよ」
「えー、君の顔が見たいなって事っすか? 恥ずかしいっすね」
詩折はくねり、としなをつくり、頬に両手を当てる。
その言葉を聞いて、光秀が取った行動は無視だった。こういう輩は構うから増長するんだ、と経験から判断して。
反応がなかったことに不満を抱いたのだろう、詩折は、
「……ノリ悪いっすねぇ」
小さく呟いて、自分で用意したグラスに口を付ける。
そして、
「……ありがとうございます」
「なにが?」
「私、ここに来れて良かったと思ってます。お金のこともそうっすけど面白い皆と一緒に過ごせて。だからあの日喫茶店で誘ってくれたことへの感謝です」
詩折は頭を軽く下げる。
それに光秀は頭を少しかいて、
「あれは景子がやったことだから」
「二人がいたからっすよ」
かぶせるように詩折が言う。その好意がこそばゆい。
……なんだかなぁ。
本当に何かしたつもりは無い。それどころか反対までしていたのに。
だがこれ以上その気持ちを拒絶する気はなかった。最終的には彼女が決めたこと、それに金の面でも生活でも助かっているのは光秀も同じであった。
だから、
「こちらこそ、ありがとう」
「いえいえ、どういたしましてっす」
胸を張って答える詩折を見て、思わず笑みがこぼれる。
どこか張り詰めていた感情がほぐれるようだった。
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