第15話 風呂と顕志朗
春の季節。
桜は散り、新緑が陽を反射して眩しい。
陽気はよく、日向にいると汗ばむ程の日が続いていた。
大学への通学路を、光秀は先日購入したばかりの自転車にまたがり、自宅へと向かっていた。片道徒歩で十分ほどかかる道のりを自転車ならばその半分以下で済む。まだピカピカのボディの愛車で風を切りながら、電車通学では出来なかった事に喜びを感じていた。
帰ったら、洗濯かなぁ。
道中、今日の予定を考える。急に昼過ぎの講義が休講になったため、予定外の時間が出来た。割り当てられている家事の洗濯さえしてしまえば後は自由行動だ。
平日に二回、休日には四回前後洗濯機を回し、干して畳むだけの簡単な作業。それだけしていればなにも文句を言われない。回している間は外に行ったりは出来ないが、元々そんなに外出する方でもないため苦ではない。
ただし、
男に下着を洗われるの、嫌じゃないのかな?
ルームシェアをしている中で由希江以外の女性陣は誰が洗濯をするということに全くの無頓着なのだ。景子なんて下の履き物すら任せようとしていたが、それは流石に男含め全員から止められていた。
布切れ一枚と思えば、それになんの感情もわかない。それよりも洗い方の方に気を使うのだから。
思い出されるのはルームシェア当初の頃。一人暮らしの時と同じように全て纏めて洗濯していたが、
「待って待って」
声をかけてきたのは恵美だった。
そして教わったのは、色物や型くずれしやすい下着、汚れの多い靴下など、それぞれ分けて洗わなければならないこと。洗濯ネットの存在は知っていたが使い方はそこで初めて知った。
懐かしさを風に乗せて走る。マンションにつくと屋内の駐車場に自転車を置く。雨風に晒されることは無いためカバーをかけずともチェーンが錆びることは少ない。
前カゴに入れてある薄っぺらい鞄を持ってエレベーターに。夕飯は信一に頼みこもうかな、など考えていた矢先、扉が開いてすぐのドアに鍵を差し込む。
ん?
目に入ったのは二足の靴。男物と女物、誰のかまでは分からない。
「ただいまー」
誰かいるのか。
変だな、と思いながら光秀は玄関で靴を脱ぐ。全員の予定はウェブ上で共有されている。記憶の中では皆大学にいるはずだが、見間違えたのかもしれない。
脱いだ靴は揃えて、玄関を抜ける。一人暮らしの時は脱ぎ散らかしていたのも人の目があると思うと気を使う。
ルームシェア唯一のルール、帰宅時は足を洗う、を遂行するため風呂場のドアに手をかけた時、
「ちょ、ちょっと待って!」
不意を着いた大声に、光秀は肩をはね上げて驚く。
信一、か?
声を聞いてそう判断する。がしかし、なぜに大声を出したのか、それが分からない。
「どうかしたのか?」
「いや、なにも……お風呂入ってるだけ」
「なんで?」
光秀は首を傾げる。時刻は昼過ぎ、まだ風呂に入るには早い時間だ。陽気が良いとはいえまだ春の始まり、だらだらと汗をかくほどでは無い。
それに、
「ちょっと足洗うだけだから」
「駄目だって!」
「男同士なんだからいいだろ」
「いいわけあるかっ! ……恥ずいもん」
後半の声は消え入りそうなほど小さかった。
おぉ、都会っ子だ。
生まれも育ちも温泉地の田舎者にとって、風呂場で他人に肌を見せることに抵抗がない。当たり前だと思っていた所に信一のしおらしさを感じて、
「すまん」
「あー、隣使っていいからさ」
バツが悪そうな声をドア越しに聞いて、光秀はノブから手を離す。
そして、
「ん? 他に誰かいるけど大丈夫なのか?」
「恵美なら大丈夫だから、早く行ってよ!」
なぜ分かるのだろうか。もしかして一緒に帰ってきたのかな。
まぁいいと、光秀は隣のドアをノックする。一応の確認だがここ数週間でついた癖だった。
返事が無いことを確認して、そのままドアを開ける。
そこは脱衣所になっていて、ものの配置等は隣のものと全く一緒だ。内見の時は住人が少なかった関係で、掃除の手間を省くため片方しか使われていなかったが人数が増えた今は基本的に手前が女子、奥が男子となっている。
そして、中に入る前に、
「あ、汚したら浴室洗っておけよー」
「こ、ここじゃ汚さないっての!」
……んー?
予想した反応と違うことが引っかかる。
何か掛け違いのようなものを感じていたが、時間が経つにつれ光秀は自身のことへと意識が割かれて言った。
「おかえりー」
「光秀か、ただいま」
三時過ぎ。日が傾くか、という頃。
洗濯後、リビングのソファーで光秀が寝ころんでいた時、ドアが開く音が響いていた。
返事の主は顕志朗だった。彼はテーブルの上に手に持っていた荷物を置く。どんっと音が響き、その重量を部屋中に見せつけていた。
「手伝いますか?」
光秀は上体を起こして尋ねる。
「いや、いい。休んでいてくれ」
顕志朗は片手を振りながら、荷解きを進めていた。次々とビニール袋から出されていたのは徳用の各種洗剤だった。
「……不自由はないか?」
黙々と作業をする中、顕志朗が口を開く。それが誰に向けられているものなのかわからず、この場に他に誰もいないことに気が付いて、
「えぇ、ぼちぼち」
光秀はそう答えていた。
それが満足のいく答えかどうかわからないが、それ以上彼からの質問はない。
不思議な人だよな。
しまう場所ごとに買ってきたものをより分けている顕志朗を見ながら、今までのことを思い返していた。
人懐っこく距離を詰める恵美とは違い、顕志朗との交流は少ない。年上ということもあるが会話が苦手そうなのと、
……やっぱり最初のあれかな。
それは内見の時のこと。アロマンティックだという告白に意味が分からなかった自分。その後、ネットで調べてみてもいまいちピンと来なくて顕志朗をどういう人間か測りかねていた。
それが態度に出ているんだろうな、と一つため息をつく。無意識的に距離を置いている、それがわかっているから彼からも接触してこない。
……恋愛感情がわからない、ねぇ。
わかるようなわからないような。その答えが出ないうちに余計なことを言いたくなかった。
顕志朗はいつのまにかにいなくなっていた。買ってきたものを仕舞いに行ったのだろう。
いい人なんだろうけどなぁ……
いなくなった彼のことを思いながら光秀は再びソファーに寝転がる。
ひと月以上一緒に暮らして思ったことがある。存外普通の人だということだ。同性だからそう感じるのかもしれないが、年長者として気が利き、騒がしい面々が多い中で落ち着いた態度を崩さないでいる。普通にいいひとなのだ。
身構えていた緊張も既に解けている。だからあとは自分次第。
わかっていてもできないことってあるよな。
光秀は目を閉じて、息を整える。いつまでも襲ってこない睡魔の代わりにまとまらない考えばかりが脳内を飛び散っていた。
「……どうかしたのか?」
急に声を掛けられ、光秀は目を薄く開ける。
目の前には顕志朗の顔がある。覗き込むように上から影を作っていた。
「いえ……」
直視されていることに気づいて光秀は視線を逸らす。
変な顔でもしていたのかな。
ただ寝ている人に対してそんなことを言わないだろう。気恥ずかしくてそのまま半回転しソファーに顔をうずめていた。
「そうか……」
そう一言残して、遠ざかる足音だけが残される。
結局、これじゃなんにも変わらないじゃないか。
今の距離がそのまま心の距離だった。だから、
「顕志朗さん」
「ん、なんだ?」
ソファーに腕を突き立て体を持ち上げる。視線の先には振り返る顕志朗の姿があった。
「この後、すこし話でもしませんか?」
その言葉に、嫌な顔一つせず頷く人の姿があった。
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