第5話
「ねぇばあや…どうして今日は皆そんなに慌ただしいの?」
ある日の昼下がりのことでございます。本日もとてもよく晴れており、雲一つない空とはまさにこのこと、と申し上げるくらいの良いお天気の麗らかなお昼の事でございます。
お城の南側にございます、大理石で作られております神話の神々が彫刻された立派な噴水が置かれてあるお庭を一望できるテラスにて、シャルロット様はのんびりと昼食を召し上がられておりました。
食後のお紅茶とデザートのマドレーヌを頬張りながら、シャルロット様は傍にいたばあやに問いかけます。
「あぁ…何やら最近、調理場に猫が良く出入りしているみたいでしてねぇ。今朝も猫が居たらしくポールが捕まえようと躍起になっているみたいですよ」
「猫?」
「えぇ。近頃よく見かける黒い猫が調理場でつまみ食いしているみたいですよ」
「黒い猫…あぁ、私も見たことあるわ。私の部屋のテラスでもお昼寝していたわね」
「あらいやだ、本当にいたるところに出没しているのですね。早く捕まえてもらわなければ!」
「どうして?」
カップのお紅茶を飲み干したところに、ばあやがお代わりを注ぎにきました。
シャルロット様がありがとうと一言お礼を告げるとお次はカヌレを一つ手に取りモグモグと美味しそうに召し上がられております。
「おそらく野良猫でしょうから、どんなばい菌を持っているか分かりませんからねぇ。もし万が一ウィリアム様や姫様に何かあれば一大事ですから早いところ捕まえてお城の外に出さないと」
「えー?別に今のところ何ともないし大丈夫でしょう?そんな必死こいて捕まえるようなことじゃないわよ」
「ですが…」
「そりゃあオオカミとか熊だったら怖いけど、ただの猫でしょう?他にもキツネとか色んな鳥もお城のお庭に住み着いているんだし」
「まぁそうですが…」
「あら…警備隊長のロビンが今走っていったわ」
お城の少し複雑な幾何学模様状に植え込まれている植木の間を、ロビンと呼ばれた初老の厳つい警備隊長が手に網を持って走り抜けます。
「ロビン様も駆り出されているのですね…」
「そうみたいね。あ…反対側にイーグルアイとヒースが網を持って待ち構えているわ…ということはあの付近にその猫が居るのね」
「えぇおそらくそうでしょうねぇ。早いところ捕まえてくれると良いのですがねぇ」
「…」
迷路の庭の植木の間から、飛ぶように走り抜けていく一匹の黒い猫が一瞬姿を現しました。その姿を逃がすまい、と警備兵たちは一生懸命追いかけたり網を張ったりしております。
しかし猫の方が一枚上手でした。捕まりそうになりながらも寸でのところで身をかわし、植え込みの中を走り抜けていきます。
「あぁ!もうちょっと!!」
テラス上から見ているばあやからは植木と通路の間が良く見えるため、猫がひょっこり姿を現したりするのが分かりますが、そんなに背の高くない植木が迷路となって張り巡らされているため、警備兵たちはなかなか移動がスムーズにできず猫を取り逃がしてばっかりしております。
そんな警備兵たちの姿にばあやはやきもきされております。
「…私も様子見てくる!」
大きな瞳で猫の姿を静かに追っていらっしゃったシャルロット様でしたが、どうにもじれったく思われていたのか、はたまた楽しそうと思われたのか…手に持っていらっしゃったカップのお紅茶を一気に飲み干され、スクッと勢いよく立ち上がりました。
「え…?シャルロット様!?」
「ごちそう様!」
「え…ちょっとシャルロット様ぁ~!危ないことはお止めくださいましー!!」
ばあやに元気にごちそうさまでした、と告げられますと、シャルロット様はドレスの裾を掴んで元気に走り出されました。ばあやの制止など一切聞こえないほどの猛スピードでシャルロット様はテラスをあとにされ、お庭の方へと向かわれました。
「え…?ちょっとシャルロット様?どちらに行かれるんです??」
「あ、セシル!ごめんなさい、ちょっと席を外すわ!小言はまた後で聞くわ!」
意気揚々とシャルロット様が廊下をパタパタと走られている最中、メイドのセシルにばったりと遭遇されました。
猛スピードで走り抜けるシャルロット様のお姿にビックリ驚いているセシルの横を軽快にすり抜けながら、シャルロット様はまたしても満面の笑みで廊下を走り抜けていかれました。
「あー…シャルロット様…相変わらず足がお早い…」
ピュンっと風のように一瞬で駆け抜けられましたシャルロット様のお姿に、セシルは呆気に取られております。セシルの赤毛よりのブラウンの髪をまとめたポニーテールがシャルロット様の巻き起こされた風になびいておりました。
「セシル、お前何してんの?」
「あ…ケヴィン…。今ね、シャルロット様が風のように走っていかれたの…」
「うん、俺もさっきすれ違った。相変わらず足早いよなぁシャルロット様。下手したら俺たちより断然早いかもなぁ」
と、そこに、ケヴィンと呼ばれた、訓練で日に焼けた浅黒い肌をしてした青年がセシルの後ろから声を掛けてきました。かなりの大柄でがっちりと鍛えて筋肉隆々の身体に少し窮屈そうな軍隊の制服と、腰に大きな剣を携えております。
「てか、なんでケヴィンここに居るの?練習場じゃなくていいの?」
「んー?あぁ…なんかついに俺達
「マジ?」
「たがが猫一匹にだぜ?もうありえねーよ」
ポリポリと頭を掻きながらケヴィンは溜息をつきます。胸元にあるいくつもの輝く勲章が刺されておりますこのケヴィン、温和そうな顔をしていますが、実はローザタニア王国一の弓と剣の名手であり、戦こそこの平和なローザタニア王国ではございませんが非常に優秀な軍人で、パンサーズと呼ばれる精鋭部隊のの一人として活躍しております。
「仕方ないわよ…だってほら今日って…」
「あ、そう言えば忘れてた…」
「シャルロット様も多分忘れてらっしゃるわぁ。ってことは、私もシャルロット様捕まえにいかなきゃ」
行きましょう、とケヴィンの背中を叩きセシルもシャルロット様が向かわれたであろう方角へと走り出しました。
「お前も大変だなぁ」
「…そう言うなら後で慰めてよ」
カチャカチャと剣を揺らしながらケヴィンも一緒に走り出します。セシルはちょっと返答に困ったように苦笑いをしましたが、チラッとケヴィンの顔を見ながら、少し頬を赤らめて上目づかいでケヴィンに話しかけます。
「…後でいいのか?今ならとびきりスペシャル甘々ラブ攻撃出来るぜ、俺」
「ダダダダダダメっ!!今仕事中だし!それは家帰ってから!!」
「ちぇっ!せっかくセシルからイチャイチャしていいよのサイン貰ったのに!」
「私、後でって言ったじゃない!」
「…はーい」
実はこの二人、先祖代々ローザタニアの王家に勤めている家同士で小さい時から一緒にいる幼馴染でありますが恋人同士でもあります。お年頃の二人…でそれなりに色々と触れ合いたいなぁと思う年頃ではありますが真面目なセシルでありますから、お年頃のケヴィンの甘えは一蹴されてしまいました。
いついかなる時でもラブラブしていたいケヴィンの願いは果たしていつ叶うのか…そのお話はまた今度、いつかの機会に。
とりあえずセシルとケヴィンはお城の南側のお庭の方角へとシャルロット様を追いかけていきました。
・・・・・・・・
「ロビン!猫は捕まえられたの?」
「姫様ッ!!」
やっとのことでお城の南側のお庭にたどり着き、グルグルとやこしい迷路の中を走り回ってシャルロット様はロビンをやっとこさ見つけだしました。
「それが…ちょこまかちょこまかと逃げ回ってなかなか捕まえられない状況でございますよ…。そして今また見失ってしもうたんです」
「じゃあまだ捕まえていないのね?」
「ご覧の通りですじゃ」
ゼイゼイと肩で息をしながらロビンを始めイーグルアイやヒース、そして数人の兵士たちが疲れ切った表情で突っ立っております。
「そう、じゃあ私が一番に見つけるわ!絶対皆より先に見つけるわ!」
まだ猫が捕まっていないことを確かめるとシャルロット様は瞳を輝かせながら、来た道に戻りながらまた元気に走り出しました。
「…元気な姫様じゃ」
息切れ一つしていないシャルロット様の後姿を感心してロビンたちは見つめております。ですがまたすぐに、またがさごそと植え込みの辺りを漁り始めました。
「ロビン翁~、きっともうこの迷路の庭には居ませんよぉ」
「そうじゃな…ワシもそう思う。そう思うんじゃが…だがしかし、今日は必ず捕まえねばならぬのじゃ!」
へなへな…と座り込む若い兵士の腕を掴んで無理やり立たせてしっかりせいッ!とロビンは激を飛ばしました。
「あぁ…そういえば今日…」
「そうじゃ、今日はあの日じゃ」
「仕方ないっすね…」
「うむ。さぁ頑張って見つけようではないかっ!」
オーッ!!と皆で若干疲れ気味の号令をかけ合うと、兵士たちはフラフラしながらもまた迷路の庭の中に散っていきました。
・・・・・・・・
さて、迷路のお庭から移動されまして、シャルロット様はお城の東側の外れの方にございます古い塔の近くまでやってこられました。
とても古く中にはヒビが入っていたり石が欠けている箇所もあり、灰色をした塔全体には蔦が張り巡らされております。
先日シャルロット様がこっそり隠れておいでだった納屋同様、あまりにも古い為こちらに近づく人もめったにおらず、ひっそりとお城のお庭に佇んでおります。
「あのお庭からだと…ここがきっと逃げやすいはず…よね」
シャルロット様はキョロキョロと辺りを見回します。高い塀が張り巡らされているためお庭全体が塀の影に隠れる形となっており、他のお庭に比べると日当たりも悪く狭くて少しジメジメしております。
塀にへばりつく様に生えている垣根や咲き乱れている花々の間をジッと目を凝らし、黒い猫が隠れていないかを探しております。
「塔の中に逃げたりしていないわよね…」
シャルロット様はそびえ立つ塔の方をチラッとご覧になり、そっと足をそちらの方に歩みだし始めました。木で出来た大きな扉はもう施錠すらされておらず扉は猫一匹が入れるくらいの隙間が空いておりました。
「…開いてる」
ギギギ…っと重苦しい音を立てる扉を押しやりシャルロット様は塔の中へとひょっこりお顔を除き入れました。
「ここも埃が凄いわね」
先日の納屋同様にこの塔も長年誰も使用しておらず掃除もされていないために、とても湿っぽく埃臭いにおいが充満しておりました。薄暗い塔の上部にある小さな窓から差し込む光によって空気中にキラキラと埃が舞っているのがはっきりと目に取れます。
元々は見張り台だったのでしょうか、塔の中は何もなく、ただ上のバルコニーに上がるためだけの階段だけが奥の方にひっそりと配置されております。
「猫ちゃーん…」
シャルロット様のお声だけが暗い塔の中で反響されております。物音一つせずに、ただぼんやりとシャルロット様のお声だけがボワーンと聞こえてくるのでした。
とその時、上の方からかなにやらゴトン…と物音が聞こえてきました。
「…屋上かしら」
その音に誘われるように、シャルロット様は塔の中にある螺旋階段の方へ向かわれようと、塔の中へ入ろうと脚を少し踏み入れました。とその時です。
「姫様~!」
「…ケヴィン!セシル!」
姫様!と声を掛けられてシャルロット様が振り返ると、そこにはシャルロット様を追いかけてゼイゼイと肩で息をしているセシルと、少し息が上がっているケヴィンの姿がありました。
「姫さまホント足早えぇですね…」
「やだ、二人とも何してるの?」
「何してるのって…私たちシャルロット様を追いかけてきたんですよ…」
「えー、なんで追いかけてるのよぉ」
「…だってシャルロット様…今日が何の日かお忘れですか?」
え?と全く分からっていないのか、シャルロット様はキョトンとした表情でセシルの顔を見ながら小首を傾げました。そんなシャルロット様をご覧になったセシルは、息を整えながらももしかして…と恐る恐る問いかけました。
「?」
「セシル、姫様忘れてらっしゃるぞ」
傍にいたケヴィンが笑いながら、がっくりと肩を落とすセシルの背中をバンバンと叩きました。もぅ!笑い事じゃないわよ!とセシルはケヴィンを一括し、改めてキョトンとされているシャルロット様に向き直されました。
「あー…もうシャルロット様、せっかく今日は新しいドレスでしたのに!もう一回着替え直さないと…」
セシルは大きな溜息をつきシャルロット様のドレスの裾をパンパンとはたいたり、お顔をハンカチでサッと拭ったりとシャルロット様のお身体に付いたであろう埃を取ろうとしています。
「ねぇセシル、今日はいったい何があるの?」
未だ困惑気味のシャルロット様はセシルのされるがままに前を向いたり、後ろを向いたり…とクルクルと全方向パタパタと埃をはらわれております。
「えっ、シャルロット様…本当にお忘れですか?」
「だから…何?」
「本当にお忘れなんですね…。良いですか、今日はですね―――…」
セシルがシャルロット様にお話ししようとしたその瞬間、パンパカパーンッと大きなトランペットの音が聞こえてきました。
「えッもうッ!?」
鳴り響くトランペットの音に驚いたセシルは勢いよく後を振り返りました。
そしてドラムロールが始まり、お城の外からは派手なパレードの音楽が聞こえてきました。
「相変わらず派手な音楽隊を連れてやってきますねぇ…あいつら」
「あいつらって言わないの!ってかあっ!!ケヴィン、パレードの警備に行かなくていいの?」
「あ、やべっ!オレ行かないとッ!姫様、失礼いたします!!セシル、あとよろしくなッ!!」
セシルに小脇をせっつかれ、先ほどまでケラケラ笑っていたケヴィンは自分の仕事を思い出し、シャルロット様にご挨拶もそこそこ急いでお城の正門の方へと走り出しました。
「…ねぇセシル…まさか今日って…」
聞き覚えのあるこの音楽に、シャルロット様のお顔が若干引きつられました。
はぁ…とセシルは溜息をつきシャルロット様のお顔を見つめます。
「お気づきになられましたか…」
「ねぇセシル…私今から脱走していいかしら」
「駄目です」
そろりとセシルの脇を通って逃げようとするシャルロット様の腕をセシルはがっちりと掴まれました。
「お願い!見逃して!!」
「シャルロット様、観念してください」
さぁお部屋に戻ってもう一度身支度いたしましょう、とセシルはシャルロット様をグイグイと引っ張っていきます。
シャルロット様よりも3歳年上でなおかつ身長も高めで、毎日力仕事を含めて働いたり動き回ったりしているセシルの力に小柄でまだまだ子供のシャルロット様が敵うはずなどありません。
シャルロット様は先日のヴィンセントに捕まった時と同様、軽々とセシルに先導されてお城の中へと連れ戻されました。
そんな様子を、今にも崩れ落ちそうな塔の屋根からひょっこりと黒い猫が見つめておりました。
そして一つ大きな欠伸をした後、太陽のポカポカした陽気を感じながらのんびりと昼寝をし始めました。
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