第4話
さらに夜が更けて、早い者はもう寝静まり出した頃でございます。
カツカツカツ…とお城の静かな廊下に足音が響き渡りました。そして大きく頑丈な深い茶色の扉の前でその足音が止まると、金の塗装がされた重厚なドアノブに手を掛け、重たい扉をゆっくりと引きギィィィ…っと古めかしい音を立てて開きます。
ほわっと差し入れられたオレンジ色の小さな灯りが薄暗い部屋の中に入ってきて辺りを照らします。そして部屋の奥に居た人物の影を写し出しました。
「おや、まだここに居たのか。こんな遅い時間まで仕事熱心だな」
「…誰のせいだと思っているんですか」
ここはお城の北の塔にございます執務官室―――…ローザタニア国の重要な書類や資料などがたくさん詰まったごく限られた方しか入室出来ない場所でございます。
白い木目調のインテリアで統一された清潔感溢れる明るいお部屋ではございますが、今はもう夜中でございます。お部屋の灯りはもうすでに落とされて、お部屋の奥の大きな窓に背を向けるように置かれた大きな白い机の上にあります灯りのみが小さくゆらゆらと灯っておりました。
そんな薄暗いお部屋には、これまた真っ白な制服に身を包んだ青白い顔をしてお疲れモード全開のヴィンセントが、机の上に整然と山積みになった書類に囲まれながら眉間にしわを寄せて何やら色々と手際よく処理されております。
そんな執務官長室に国王陛下のウィリアム様がこんな時分、ひょこっとお姿を現されました。
「今日は大変だったな」
「今日も、ですよ」
「ははは…それはウチのお転婆姫のせいでってことかな」
「それ以外他に何かありますか?」
「それはすまないな」
苦笑いをしながらウィリアム様は扉を閉め、執務官長室へとゆっくり入られました。
お風呂に入られたのか、もうすでに正装を解かれラフな服装に着替えられて髪も前髪が降ろされております。こうされておりますと一国の王の国王陛下には見えず、ただの歳相応の一人の青年のようでございます。
「で?陛下こそこちらに何しに来られたんですか?」
読んでいた書類にサラサラと手慣れたようにサインをして処理済みのトレイにサッと投げ入れると、ヴィンセントはため息をつきながら背もたれにふんぞり返りました。
ウィリアム様はそんな国王陛下よりも偉そうなヴィンセントの態度を気にされることなく、部屋の中へ入ってくると中央に位置する応接セットのランプに手に持っていた灯りの火を移して薄暗いお部屋を少し明るくしました。
「んー?何しにって明日の会議のために、ちょっとこの間の資料を一度確認しようと思って」
「あぁ…あの資料でしたらこちらです」
ウィリアム様が資料を保管してある棚へ向かおうとされましたが、さっとヴィンセントが処理済みのトレイの中から数枚の紙の束を取出してちらっと書いてある内容を確認するとトントンっと綺麗に纏めて座ったままウィリアム様に差し出されました。
「ありがとう。あー、これこれ。やっぱりな…こちらからユリラシア大陸へ向かう航路が変更されるんだな。また変なルートだな…」
「あぁ…そう言えばユリラシア大陸の中にある国の一つにクーデターがあったらしいですよ。なかなか派手な内戦状態らしいですからそこを避けているんでしょう」
ウィリアム様はヴィンセントのところまでスタスタと書類を受け取りになります。そして書類の内容に目を落としぶつくさと呟きながら、ヴィンセントのお机の前に置かれております応接セットの少し硬めのソファーにドサッと腰を掛けられました。
「そうか…それは大変だな。まぁウチはそんなにユリラシア大陸の国々と付き合いが無いからそこまで影響はないが…。しかしユリラシア大陸はしょっちゅうクーデターが起きるなぁ。確か10年前も大きなクーデターが起こってなかったか?」
「えぇ、蒼龍国でありましたね。王族の兄弟間で争っておりました」
「学生時代に授業で習ったな。確か3年にも亘る内戦の結果、クーデターを起こした弟君が勝たれたんだよな、今ではだいぶ落ち着いているそうだが…やはりまだ少し戦争の爪痕は残っているようだな」
「みたいですね。敗れた先帝…兄側に付いていた残党が未だにしょっちゅうテロを行ったりしているようですね。おそらく今回ユリラシア大陸内で起きているクーデターも、その残党の組織が大陸内に散らばって暗躍しているという噂もあります」
「そうか…」
「隣のナルキッス国が確かユリラシアの方面と交易を盛んにしてます。ユリラシア大陸のお米とかの穀物類やお茶などを確かたくさん取り扱っていたかと。ナルキッスがユリラシア大陸との交易に難が出てくると、我が国も多少なりと影響あるかも知れませんね」
「うむ…ウチも用心するに越したことはないな」
「そうですね。我が国の農産物などの備蓄率を上げたり別の国から輸入するなど検討しなければなりませんね。明日大臣たちも来られますからその時に検討しましょう」
「そうだな」
「で?用事はそれだけですか?」
ヴィンセントはふぅ…とため息をつき、椅子にふんぞり返りながらウィリアム様の方を見ます。ウィリアム様はと申しますと、部下のくせに尊大なそんなヴィンセントの態度に対して一切気にすることなく読んでいた書類の束から顔を上げてにっこりとヴィンセントの方を見ております。
「あぁ。資料だけこっそり見て確認しようと思っていたんでな。こんな夜遅い時間は秘書官も誰も居ないだろうと思ってこっそり来てみたらヴィー、お前が居たんだよ」
「…誰かさんのせいで全然仕事が捗らないんでね。こんな時間まで残業しているんですよ」
「ははは…そうか。それはすまなかったな」
「心から思っていないでしょ」
「いやいや、心の底から感謝しているよ。だかしかし別にシャルを探し回ったりしなくてもいいだぞ?それはお前の仕事じゃないんだし」
「ええそうですよ。姫様を探し回わったり起きない姫様を起こしたり、何か色々お世話をしたりすることは、もちろん私の仕事ではありません。しかし何故か皆姫様のことを逐一私に報告と相談をしてくるんですよ」
「それはそれは…」
「ったく…皆して私のことを姫様のお世話係と思っている…」
はぁ…と大きくため息をつき、クルッと椅子の背を回してヴィンセントは机の後ろにあります大きな窓の方を向きました。
窓からは大きな中庭からお城の外に広がる大きな森が良く見えます。もちろん夜なので灯りなどあるはずもなく、ただ真っ暗な景色のみがヴィンセントのアメジストのように輝く瞳に入っていきます。
「まぁ仕方ないさ。私たちは小さい時からずっと一緒に育ってきているんだから。ヴィーも同じ兄妹みたいなものだと思われているんだろう」
「うわ…それ凄い迷惑です。兄妹のように思われているせいで私の仕事増えて、本来の仕事が終わらなくなっているんですから」
「すまないなぁ」
「一切気持ち籠ってませんね。…とにかく、用事が済んだのであればさっさとお引き取りください。私にはまだ仕事が残っているのでここに長居されたら邪魔です」
「はいはい…」
まるで犬を追い払う様にヴィンセントはしっしっとウィリアム様を追い払うそぶりを見せます。あはは…と笑いながらウィリアム様は腰を上げようとしましたが、ふと何か思い出されてヴィンセントにあ、そう言えば…と声を掛けました。
「何ですか?」
「そう言えば、先日、フォンテーヌ市の視察の帰りにお前の実家近くを通った際にお前の実家に立ち寄ったんだが」
「え?意味分からないんですけど。何勝手に人の実家に立ち寄っているんですか」
「お前の家も私の家みたいなもんだろう?昔っから入り浸っていたんだから別に構わないだろう」
「何ですかその素晴らしき某ジャイアニズム」
「まぁそれは置いておいてだな、フローレンス殿…母君と少しお茶をしたんだが、非情に心配されていたぞ?お前が留学から帰ってきて以来、ちっとも実家に帰ってこなくて心細くて寂しいと仰っておられたぞ?」
ウィリアム様の言葉に、ヴィンセントは少し振り返り美しい紫色をした綺麗な切れ長の瞳をソファーに座っていらっしゃるウィリアム様の方に向けられました。そしてそのまま静かにジッとウィリアム様の方を見つめてはぁ…と聞こえよがしに大きなため息をつくように息を吐きました。
「まぁ国王補佐長官兼執務官長という任務、さらに我々兄妹のせいで余計に忙しくなっているとは思うが…たまには実家に帰って母君にお姿を見せて差し上げたらどうだ?喜ばれるぞ?」
「…まぁ時間が出来たら帰りますよ。ですが今は自分の家にも帰る時間がないもんでね。実家に帰る時間なんか余計にないんですよ」
「そう言われるとぐうの音もでないな」
「出さないでください。鬱陶しいだけですから。…陛下、用事も済まれたことですし早くお部屋に戻ってお休みください」
「…ったく。お前はいつもそうやって―――…」
「陛下、明日も朝早いんでしょ?早くお休みください」
まるで氷のように冷たい視線でヴィンセントはウィリアム様をけん制するようにジッと見つめます。さすがのウィリアム様も、う…っとたじろがれてここは引くしかないと思われたのでしょうか、ため息のように一つ息を吐かれます。
「…じゃあ私は部屋に戻るとするよ。だが…ヴィーも早いところ家に帰れよ。お前だって朝早いだろう?」
「この仕事が終わったら帰りますよ」
本日何回目のやり取りでありましょうか、またヴィンセントはため息をつかれて再び机に向き直して未処理の書類の山の中から分厚い資料を手に取り仕事に取りかかりました。ソファーから立ち上がり部屋を出ようとしたウィリアム様はパッと振り返ると、ツカツカと靴の踵を鳴らしながらヴィンセントのデスクの傍にやってきて呆れたようにため息をつきます。
「ヴィー、お前帰る気が完全に無いな」
「だからこの仕事が終わったら帰ると申しているではありませんか」
「嘘つけ。今お前が手にしている書類を作成するには、お前の能力を持っても少なくともあと1、2時間は掛かるはずだ」
「まぁそうですねぇ」
「徹夜する気か?」
「いや、私だってデスクで朝を迎えるよりはベッドで朝を迎えたいです」
「…前から言っているが、もうこの城の中に住んでしまえばどうだ?一応ウチの城の敷地内と言えばそうだが、お前の館は遠いだろう?城に住んでしまえば10分でベッドにダイブ出来るぞ?」
「前から申し上げておりますがその話でしたら結構ですよ。このお城の中に住んだら24時間ずーっとあなた方の世話をしなければならない。そんなの御免です」
「だがしかし、もう日付も変わるぞ?この城からお前の館まで少なくても足早に歩いたとしても30分くらいはかかるだろう?大変じゃないのか?」
「別にそれくらい構いませんよ。適度な運動が必要ですから」
「だがしかし…」
「充分すぎるご配慮をありがたく存じますが、私はこのままで良いのです」
「だが…」
「陛下」
鋭く尖れたまるで氷のように冷たいアメジストの瞳は、優しさに溢れているエメラルドの瞳に突き刺すように、ジッとヴィンセントはウィリアム様のお顔をじっと見据えます。
「そうか…まぁまた気が変わればいつでも言ってくれ」
「ええ、その節にはきちんと申し出させていただきます。さぁ陛下も明日も早いんですから、早くお休みになってください」
ヴィンセントはスッと瞳をウィリアム様から離すと、すぐに仕事に戻りました。
サラサラと書類に何か書き込みながらヴィンセントはウィリアム様の方にお顔を向けることなくお仕事を黙々と続けられております。もう早いところこの部屋から出て行って欲しいオーラがヴィンセントからはムンムンと溢れ出ております。
ウィリアム様もおバカではありませんので、もうこれ以上ヴィンセントに申しても無駄だと思われたのでしょう、クルッと踵を返し扉の方へと向かわれていきました。
「あぁ…お前も早く帰れよ。じゃあおやすみ…」
「おやすみなさいませ」
パタン…と静かに扉をお閉めになり、ウィリアム様の靴音がだんだんと遠くなって行かれました。
完全に靴音が聞こえなくなったのを確認すると、ヴィンセントはフーとため息をつきながらまた背もたれに身を投げ出されました。
「…ったく相変わらずお節介な方だ」
大きな窓の方に少し身体を向け、窓ガラス越しに微かに光る猫の爪のような形をした月と満天の星空をぼんやりと見つめております。
「私の事なんてどうでも良いのに」
誰に聞いてほしいわけでもございませんでしたが、ボソッと独り言をもらされヴィンセントは瞳を閉じました。お疲れなのでしょうか、しばらくするとスゥッと小さな寝息が聞こえてきました。
かすかな夜の光だけがヴィンセントを静かに照らしております。
一筋の流れ星がスッと夜空に消えていきましたが、今は真夜中。
屋根に座っている猫だけがこの夜を眺めていることでしょう―――…。
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