第191話 準備は万端

「ただいまー!」


 花火大会は楽しみだが、それはそれとして学業はしっかりしなければならない。

 気持ちを切り替えて勉強に励み、全員が特に問題なく期末考査を終えた。

 そして、今日は美羽が綾香や紬と一緒にテストの打ち上げも兼ねて、お出掛けしていたのだ。

 玄関から弾んだ声が聞こえたので、すぐに迎えに行く。


「おかえり、美羽。良い買い物が出来たか?」


 お出掛けは夏休みの為の買い物も込みだったようで、美羽は大きな袋を手に持っていた。

 笑みを浮かべつつ尋ねれば、美羽が柔らかく破顔して頷く。


「うん! 中身は水着と浴衣だよ!」

「ああ、そういう事か」


 悠斗も蓮の予定が空いた日に、哲也と三人で水着と浴衣を買いに行く約束をしていた。

 いつになくハイテンションの美羽の様子からすると、女性三人での買い物は楽しめたようだ。

 ただ、彼氏の立場としては中々に心配だった。


「ナンパされなかったか? 大丈夫か?」

「大丈夫だよぉ。ちゃーんと説明して、引いてもらったからね」

「……ナンパはされたんだな」


 悠斗が付いていく訳にはいかなかったが、それでも美羽が他の男に声を掛けられた事で、胸に黒い感情が沸き上がってきた。

 美羽の言葉から察するに、望みを持たせずにきっぱりと断ったのだろう。

 そう理解してもなお、醜い独占欲が胸を占める。

 思わず顔を顰めると、美羽が荷物を置いて悠斗の胸に飛び込んできた。


「嫉妬してくれるのは嬉しいけど、私が悠くん以外になびく訳がないでしょ?」

「いや、まあ、分かってるんだけどな……」


 悠斗とて、美羽が他の男に目移りする訳がないと信じている。

 しかし、そう簡単に感情は割り切れない。

 湧き上がる情けなさを逃がす為に頭を掻けば、美羽に余裕のある笑みを向けられた。


「悠くんは私をもらう予約をしてるのに、心配症だねぇ」

「当然だろ。美羽も偶に嫉妬してくれるし、同じ気持ちなんじゃないのか?」

「確かにそうだね。似たもの同士だぁ」


 愛しい恋人の嫉妬深さを指摘すれば、同じ気持ちを共有出来た事が嬉しいのか、美羽の顔がへにゃりと緩む。

 そして美羽が首元を僅かにずらして、痕が殆ど見えなくなった真っ白な首元を見せた。


「じゃあ嫉妬深い彼女に、そろそろお願いね?」

「分かった」

「あと、悠くんのも見えなくなって来たから、ちゃんと付けるよ」

「……お願いします」


 後の事を想像するだけで、嬉しさに胸が暖かくなる。

 とはいえ、約束の日まで欲望を抑えなければならないので、素直に喜べはしない。

 苦笑を浮かべつつ、荷物を置きに行く美羽の後を追うのだった。





「はい。どうぞ」

「それじゃあ失礼して」


 美羽がだぼっとした服の首元を見せ、悠斗に体を委ねてきた。

 ばっちりと見えてしまう桃色の紐から、出来る限り意識を逸らす。

 美羽の鎖骨付近に顔を寄せるだけで、ミルクのような甘い匂いが香る。

 悠斗の理性を揺さぶる匂いを堪能しつつ、柔肌に吸い付いた。


「んっ……」


 美羽がぴくりと体を跳ねさせ、鼻に詰まったような声を上げる。

 これ以上は駄目だと必死に言い聞かせつつ、暫くしてから唇を離した。

 狙い通り、首元には赤い点が出来ている。


「えへへー。今回も付けてもらっちゃったぁ」

「喜んでくれるのは嬉しいんだけど、これを毎回するってのは高校生としてどうなんだ……?」


 少し前に、美羽に付けた痕が見えなくなってきたのだが、その際に「もう一度付けて欲しい」と美羽がおねだりしてきたのだ。

 断る理由はないので、それ以降は美羽にずっと痕を付けている。

 しかし、今更ではあるが、高校生としていかがなものかと疑問を覚えた。

 ただ、美羽は悠斗の指摘をどこ吹く風と言わんばかりに流し、頬を緩めている。 


「いいのいいの。見せびらかしてもいないから平気だよ」

「……いやまあ、それはそうなんだが」


 流石に一回目のような愚を犯す事はなく、二回目からは周囲にバレない位置へ痕を付けるようにした。

 美羽も二回目からは自慢せず、しっかりとシャツのぼたんを閉めているので、痕が見られる事はない。

 とはいえ、体育で着替える際は他の女子に見られるらしく、その度に悠斗が生温い視線に晒されるのだが。

 疑問を口にする悠斗に納得がいかないのか、美羽が不満そうに頬を膨らませる。


「そういう悠くんだって、嬉しいくせにー」

「それを言われちゃ何も言い返せないな。ほら、美羽もどうぞ」


 あれこれ文句を言ったものの、恋人を自分の物だと宣言しているようで嬉しいのは確かだ。

 もちろん、本当に物扱いはしないと心に刻んでいる。

 今度は悠斗の番だとシャツを広げれば、美羽が首元に吸い付いた。


「……っ」


 何回もしているので、美羽もやり方には既に慣れている。

 しかし求められるような態度には慣れず、毎回心臓の鼓動が激しくなってしまう。


「ふふっ」


 密着している美羽にも鼓動が伝わったようで、笑うような吐息が聞こえてきた。

 羞恥に頬が炙られつつもジッと耐えていると、美羽が顔を離す。


「うん。ばっちりだね」

「ありがとな、美羽」


 変な決まり事だが、こういうのも悪くない。

 お礼として頭を撫でれば、美羽の顔がとろりと蕩ける。


「んふふー。悠くんの手はいつもきもちーね」

「普通に撫でてるだけだけどな」

「それが良いんだよぅ。もう私は、これがないと落ち着かないんだから」

「なら、存分に堪能してくれ」


 依存気味の発言だが、それだけ悠斗を必要としてくれるという事だ。

 彼氏として美羽を満たせているという実感が沸き上がり、悠斗の唇が弧を描く。


「今日買ったものはね。綾香さんと紬にいっぱいアドバイスをもらったの」


 梳くように髪を撫でていると、美羽がぽつりと言葉を零した。

 嬉しさが詰まった声に、綾香や紬とああでもないこうでもないと話す美羽を想像する。

 そして、それを誰の為にしたのかは分かっているつもりだ。


「水着と浴衣。楽しみにさせてもらうよ」

「それもあるけど、実はもう一つあるの」

「もう一つ?」


 どうやら、美羽の買い物は二つではなかったらしい。

 あの荷物は珍しく悠斗に預けてくれず、「これは駄目」と頑なに譲らなかった事からも、余程悠斗に知られたくなかったのだろう。

 とはいえ、それ以外に何を買ったかなど悠斗には分からない。

 首を傾げれば、美羽が幼さを残しつつも女を香らせる美しい笑みを浮かべた。

 普段の美羽にはない妖艶さが混じった笑みに、悠斗の心臓が激しく鼓動する。


「花火大会の夜。楽しみにしててね?」


 細い指先が、悠斗の唇をそっとなぞった。

 ここまで口にされれば、何を買ったかは大体分かる。


「……期待させてもらうよ」


 花火大会に参加するのは六人だが、その後は悠斗の男の見せ所だ。

 ここまでされたからには最高の一時にしなければと、心に誓うのだった。

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