第163話 真剣勝負の結果

 心臓の鼓動が痛い程に激しく、体が重い。クラスメイトが何か言っているようだが、音が遠くて何も聞こえない。

 美羽の声援を聞いて最後の悪あがきをしたものの、流石に限界だ。

 倒れ込むようにしてシャトルランを終え、壁に寄り掛かる。


「……っ! ……ぁ!」


 まともに呼吸が出来ず、悲鳴のような声が口から洩れた。

 まだ春に入ったばかりで体育館は熱くないはずなのに、今だけは真夏のように思えてしまう。

 僅かな身動きをする元気もなく、ぐったりと体の力を抜いて休憩していると、ようやく周囲の声が聞こえてきた。


「凄いな芦原! 最後元宮と一騎打ちだったぞ!」

「バレーが出来るのは知ってたけど、あんなに体力あったのかよ!?」

「最後辛そうだったけど、凄かったよー!」


 周囲に認められる為に頑張った訳ではないが、様々な人が労ってくれたのは本当に嬉しい。出来る事なら今すぐに返事をしたいのだ。

 ただ、もう少し休ませて欲しいと手で彼等を制す。


「ちょ……ゲホッ! も、少……ゴホッ! ま……」

「……お、おう。すまん」

「そりゃあ、あんだけ頑張ったらそうなるわな」


 肩で息をする悠斗へ、生暖かい視線が向けられた。

 ようやく多少だが元気が戻り、何とか笑顔だけで返事をする。

 息を整える為に項垂れていると、バタバタと焦ったような足音が近付いてきた。


「もう! こんなになるまで頑張って! 大丈夫!?」


 悠斗への心配がこれでもかと詰まった声の方へ、僅かに顔を向ける。

 そこには、形の良い眉を顰めた愛しい恋人がいた。

 何か世話をしたいようで忙しなく手を動かしていたが、タオル等の持ち込みは禁止されており、残念ながら出来る事はない。

 せめてもと顔を覗き込まれたので、心配は要らないと笑顔を向ける。


「大丈夫、だっての。ちょっと、蓮と、勝負しててな」

「勝負って……。ここまでやる必要があったの?」

「正直、ない。負けても、蓮の昼飯を、奢るだけ、だからな。でも――」


 ハンデをつけながらなので、ここまで頑張る必要は無かったのかもしれない。

 それでも、走っているうちに止まらなくなってしまった。

 それなりに息が整ってきたので、一度大きく深呼吸して顔を上げる。


「蓮に、勝ちたかったんだ。一度くらい本気でやり合いたかったんだよ」

「……ばか。でも、かっこよかったよ」


 普段あまり熱くならない悠斗がここまで我儘を通したからか、本気で怒れなかったのだろう。

 美羽が泣き笑いのように表情を歪め、罵倒と褒め言葉を放った。

 しかし、今の悠斗には全て称賛の言葉に思え、頬が緩む。


「それなら、馬鹿みたいに頑張ったかいがあるな。少しはかっこいい彼氏になれたって事だもんな」

「悠くんはいつでもかっこいいの。だから自信を持ってね」

「おう」


 先程まで、悠斗の胸は悔しさで一杯だった。

 しかし、こんなにみっともない姿を見せても、美羽は褒めてくれたのだ。

 どんな時でも悠斗を支えてくれる頼もしい恋人に胸が軽くなり、心からの感謝を送る。


「応援ありがとな。元気出た」

「そのせいで悠くんが頑張っちゃったんだけどね」

「馬鹿言うな。あれがあったから最後まで頑張れたんだよ」

「えへへ、悠くんがそう言ってくれるなら良かった」

「あー。お二人さん、そこまでにしておいた方がいいぜ」


 美羽と笑みを交わしていると、悠斗よりも長く走っていたにも関わらず、しっかりとした足取りで蓮が近付いてくる。

 汗だくではあるし息もかなり乱れているが、倒れる程ではないらしい。

 鋭い指摘に授業中だという事を思い出し、悠斗の頬が羞恥に炙られた。

 美羽も周囲を今まで気にしていなかったからか、白磁の頬を朱に染める。


「う……。気を付けます」

「気持ちは分からなくはないんだけどな。東雲は早くスタート位置に着いた方が良いぞ」


 蓮が指先で示す先は、女子が並んでいるシャトルランの開始位置だ。

 ただ、ほぼ全員が美羽へと生暖かい視線を送っている。

 美羽とのやりとりで先生に怒られるかと思ったが、悠斗が危険な状態だったのは確かなので、お咎めをするつもりはないらしい。

 これ以上悠斗の傍に居る訳にもいかず、美羽が耳まで真っ赤に染めて立ち上がった。


「ごめん悠くん! 行くね!」

「ああ、行ってらっしゃい。今度は俺が応援するよ」

「ありがと! 行ってきます!」


 運動が得意ではない美羽を応援するべきか迷ったが、少しでも力になればいい。

 未だに頬は赤いものの、美羽が弾んだ笑顔で応えて離れて行った。

 他の女子に茶化されている美羽を眺めつつ、隣に座った蓮へと声を掛ける。

 哲也はというと、途中まで一緒だったが脱落し、少し離れた場所で休憩していた。


「やっぱり蓮は凄いな」

「現役運動部なんだから、負ける訳にはいかないだろ。それでも正直キツかったけどな」

「俺は倒れるまで走ってこれなんだ。謙遜けんそんすんなって」


 余力を残していながら悠斗より多く走られたのだから、文句なしの完敗だ。

 しかし美羽に慰めてもらったからか、今の悠斗の胸は清々しい気持ちで満たされている。

 蓮も同じ気持ちなのか、爽やかな笑みを浮かべていた。


「いいや、結構全力だったっての。……悠と本気の勝負が出来て、楽しかったぜ」

「俺もだ。こういうのも悪くないな」


 突き出された拳に自らの拳を合わせる。

 普段本気で勝負しないがゆえに、今回は本当に楽しかった。

 ただ、真剣勝負は負けたが別の勝負はどうか分からない。

 負け惜しみと自覚しつつも、蓮へ意地悪な笑みを向ける。


「それはそうと、ハンデ有りなら多分俺の勝ちだよな。他の勝負で勝ち越せるのか?」


 体力が物を言うのはシャトルランのみであり、他のテストでは蓮に勝てる可能性が十分あるのだ。

 しかも今回悠斗が勝った事で、悠斗と哲也のチームが押している。

 悠斗の言葉が胸に刺さったのか、蓮がびくりと肩を震わせた。


「……しまった。まあ何とかなるだろ」

「そう簡単に勝てると思うなよ」


 楽観的な発言をしたものの、結局シャトルランの一勝が大きく響いて蓮が負ける事になった。

 哲也が他の種目で頑張ってくれたのもある。

 そして、その日は美羽に断りを入れ、珍しく男三人での昼食となった。

 美羽はというと「ちょうど良かった」と言っていたので、別件があるらしい。


「はぁ……。俺のプライドはズタズタだぜ……」

「勝利のただ飯は美味いな」

「だな。まあ俺と悠斗を甘く見たからだ」


 がっくりと肩を落とす蓮をよそに、哲也とにこやかな食事をするのだった。

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