第117話 今更な出来事
「……美羽?」
二月も数日が過ぎたある日。何も変わらない学校生活を終えて自転車置き場へ向かおうとすると、小柄な人影が視界の端に入った。
腰まである淡い栗色の髪が珍しいのもそうだが、毎日一緒に居る人を見間違えるはずがない。
どうしてここにいるのかという疑問を覚えつつ美羽を眺めると、見知らぬ男子生徒と一緒に人気のない場所へ向かっている。
「告白か、そりゃあそうだよな。はぁ……」
ズキリと胸が痛み、大きく息を吐き出した。
美羽は放課後等の乗りが悪いので彼氏持ちだと噂されているが、彼氏が居ると言ってはいない。
となれば、告白する人が出て来るのは当たり前だ。
美羽はこれまで何も言わなかったが、悠斗と話し始めてからも告白される事があったのだろう。
それにバレンタイン間近なので、その前に想いを伝えたいというのもあるかもしれない。
悠斗には出来ない、大胆な行動をした名前も知らない男子生徒を尊敬すると同時に、妬ましくもなる。
「……帰るか。今日は美羽が遅くなりそうだな」
告白の現場を覗くなどあまりにも不誠実だ。それは、美羽達の間でだけで行うべきことだ。
けれど呟いた言葉や思考とは反対に、足がどうやっても自転車置き場へと動かない。
美羽が受け入れる訳がないと分かっていても、どうしても気になってしまう。
「ああもう……。遠くから見るだけだ。そう、何かあったら困るからな」
免罪符にもならない言い訳が情けなさ過ぎて、罪悪感が大きすぎて、胸が締め付けられた。
しかしあれほど動かなかった足は、あっさりと美羽達の後を追いかけていく。
「何やってんだろうな、俺は……」
告白を覗き、美羽を信じずに疑い、偽善としか言いようのない理由をでっち上げているのだ。
自分自身の行動に呆れてぐしゃりと前髪を潰しても、それでも心の中にある醜い感情が足を前へと進ませる。
足音を消して美羽達が向かった校舎裏の角に行き、こっそりと様子を窺った。
「その気持ちを受け取る事は出来ないよ」
「……そっか、分かった」
どうやら告白は終わったらしい。男子生徒が泣きそうな表情になっている。
遠目ではあるが悠斗よりも顔が整っており、美羽の隣に立てばお似合いなのだろう。
そんな彼が振られた事が分かり、安堵と喜びが胸を満たしていく。
(他人の不幸を喜ぶなんて最低だ……)
男子生徒は精一杯思いをぶつけたのだ。成就しなかったのを喜んではいけない。
そう思っても、足から力が抜けてへたり込みそうなくらいに安心してしまっている。
これ以上ここに居てはずっと喜んでしまいそうで、自転車置き場へ戻ろうとした。
しかし「一つだけいいかな」という男子生徒の声が聞こえて、悠斗の足が止まってしまう。
「何かな?」
「俺が振られたのは仕方ない事だ。でも、その理由が聞きたいんだ。彼氏が居るから? 彼氏じゃなくても好きな人が居るから? それとも、単に俺が好みじゃなかったからかな?」
「……そうだね。聞かないと、納得出来ないよね」
理由を話さなければ引いてくれないと思ったのか、振った側としての責務と思ったのかは分からない。
それでも、美羽が苦笑を浮かべつつ小さく頷いた。
一度だけ
「もう答えを言ってるようなものだけど、誰にも言わないって約束して」
「分かった、約束する」
「好きな人がいるの。だから
「……っ!」
詳しく聞いてはいないが、これまで美羽は「誰とも付き合うつもりはない」と言っていたはずだ。
なのに今、ハッキリと別の人が好きなのだと口にした。
口にした事で悠斗が驚いたものそうだが、男子生徒――柴田というらしい――も目を丸くしている。
「付き合ってはいないんだよね?」
「質問って一つだけだった気がするんだけど……。まあいいや。ちょっと事情があって、まだ付き合ってないよ」
「なら、その人と付き合うまででいい。友達から、俺を知ってくれないか?」
可能性を見つけたからか、柴田が必死な表情で提案した。
恋人とは言わない。美羽が想い人と付き合うのなら諦めるという提案に、美羽は即座に首を振る。
「それは無理。私は、あの人以外考えられない。あの人を置いて柴田くんと遊ぶつもりはない。だから、その提案は受けられないの」
幼げな声の中に確かな意思を込め、美羽が柴田を突き放した。
誰よりも、何よりも悠斗を優先すると言われた事はあったが、美羽が他人にも同じようにハッキリと宣言して、悠斗の胸に歓喜が沸き上がる。
ただ、もうこの場から去るべきだ。そう思って美羽達から顔を逸らすと、悠斗の傍の茂みから男子生徒がゆっくりと出てきた。
(まさか、俺と同じ覗きか!?)
悠斗も覗いていたので怒れる立場ではない。ただ、美羽達のやりとりを広めさせては駄目だ。
どこから聞いていたのか分からないので、美羽が「誰にも言わないで」と言っていたのを知らないかもしれない。
そもそもいい話のネタなので、他人事だと思って拡散させる可能性がある。
話をしなければと目を合わせた瞬間、茂みから出てきた男子生徒が駆け出した。
「誰!?」
流石に足音で反応したのか、美羽が鋭い声を出す。
悠斗もまずいと思い、逃げた男子生徒と反対へと足音を立てずに隠れた。
すぐに美羽と柴田が先程悠斗が居た場所へと着くが、足音はとっくに遠くなっている。
「ごめん。もしかしたら、広まるかも」
悠斗と同じ考えに至ったようで、柴田が眉を
しかし、美羽は穏やかな笑みで首を振る。
「柴田くんのせいじゃないよ。まあ、なんとかなると思うから気にしないで」
「……ありがとう。顔を見てないから探しても無駄だろうけど、念の為に探しに行くよ。それじゃあ」
「うん。それじゃあね」
本当に探しに行くのか、それとも単に気まずいからなのか、柴田が早足で去っていった。
一人になった事で、美羽が大きく溜息をつく。
「私はいいんだけど。、頑張ろうとしてる悠くんに迷惑が掛かっちゃうな……」
何となく予想はしていたが、言いふらさないで欲しいという提案は、美羽が悠斗を気遣ってのものだったらしい。
先程までは取り繕っていたようで、美羽が眉を寄せて沈痛な声を出した。
このままでは美羽が気負ってしまうと、怒られるのも覚悟で隠れるのを辞める。
「……美羽」
「ひゃあっ!? ゆ、悠くん!?」
ちょうど悠斗の方を見ていない時に声を掛けたので、美羽が素っ頓狂な声をだして体を跳ねさせた。
覗いた上に驚かせてしまい、申し訳ないと思いつつ美羽へと近付く。
「え、み、見てたの?」
「それについては、本当にごめん。偶々美羽の姿が目に入って、気になったんだ」
どのような理由であれ、覗きが許される事はない。
まずは謝罪からだと深く頭を下げれば、美羽が仕方ないなぁという風に苦笑する。
「逆の立場なら私もしただろうし、それはいいよ。でも、柴田くんの事は言いふらさないでね?」
「もちろんだ。そんな事絶対にしない」
悠斗にはない勇気を振り絞った行動だったのだ。決して馬鹿にもしないし、言いふらす事もない。
それが一部始終を覗いた悠斗に出来る、せめてもの
真っ直ぐに美羽の瞳を見て応えると、美羽が満足気な笑みで頷く。
「ならよし。……でも、もしかしたら広まるかも。ごめんね?」
「美羽のせいでもないし、あの柴田って人のせいでもないだろ? まあ、少し頑張らないといけないだけだ」
もし今回の件が拡散した場合、犯人は間違いなくあの男子生徒だ。
美羽や柴田を怒るつもりはないし、その権利もない。
それに美羽との関係を前に進めたら、学校内で多少なりとも非難の目に晒される事になるのだ。
結局のところ、悠斗が自信を付けなければならないのには変わらない。
あえて問題を挙げるなら、今すぐに名乗り出る度胸はないので、美羽の想い人が誰かとハードルが上がるくらいだろう。
この場で悩んでも仕方がないと無理矢理笑みを作れば、美羽の顔がくしゃりと歪んだ。
「本当にごめ――」
「だから、美羽が謝る理由なんてないって。大丈夫、必ず自信を持って伝えるよ」
美羽の言葉を遮り、淡い栗色の髪を撫でる。
「……うん。ありがとう」
「それと朗報と言っていいか分からないが、俺があいつの顔を見てる。名前までは分からなかったけどな」
「本当!? ……ああでも、広まるのは止められないし、怒ろうにも知らんぷりされるかもしれないね」
美羽が悠斗の言葉に目を輝かせたが、すぐにへにゃりと眉を下げる。
おそらく悠斗と同じ一年生だとは思うものの、顔と名前が分かったところで知らないと言われてしまえばそれまでだ。
そもそも、男子生徒を特定するまでに噂が広がってしまう。
残念ながらそれはどうしようもないが、あの男子生徒を怒れる可能性は残っている。
「知らないって言うならそれまでだけど、あいつは俺の顔も見てる。『俺は黙ってた。あいつが広めたんだ』って言うなら、まだやりようはあるかもしれない」
「そっか! 悠くんは私が証明出来るから、残るのは逃げた人だけだもんね!」
悠斗が覗いていた事を美羽へ白状し、しかも言いふらさないと宣言したのだ。
美羽が周囲へ説明してくれるのなら、噂が広まったとしても悠斗のせいだと言われる可能性は減るかもしれない。
光明が見えてきたからか、美羽が目を輝かせた。
しかし、許しを得なければならない人があと一人残っている。
「それだけだと俺を
「なら、私のクラスだから声を掛けてみるよ。多分、すぐに時間が取れると思う。柴田くんには申し訳ないけど……」
振った側の人間がすぐに振られた側に話し掛けるのだから、気まずいはずだ。
美羽から話さなくてもいいかと思ったが、おそらく悠斗と柴田だけでは上手くいかない。
美羽と柴田には申し訳ないが、もう少しだけ会話してもらう必要がある。
「まあ、出来るだけ簡潔にな。それに、あくまで変な噂が流れたらだ。何もない事を祈ろう」
「そうだね。それじゃあ話も
表情を嬉しそうな笑顔へと変え、美羽が悠斗の袖を摘まんだ。
学校で不用心だとは思うが、そもそも人気のない場所だし、さんざん話していたり頭を撫でていたので今更な気がする。
周囲も薄暗いので、自転車置き場の前までなら誰にもバレないだろう。
「そうだな。今日の晩飯は?」
「おじいちゃん直伝の魚の煮つけだよ。期待しててね」
「そりゃあ頑張って自転車を漕がないとな」
明日を不安に思いつつも、二人きりの僅かな時間を楽しむのだった。
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