第59話 放課後の過ごし方

「ただいま」

「おかえりなさい」


 土曜日の半日授業を終えて家に帰ると、顔を綻ばせた美羽が迎えに来てくれた。

 昨日もそうだったが、この日常が変わらないものだと証明されているようで嬉しくなる。

 胸の温かさを押し込めて、まずは頭を下げた。


「昨日は送れなくてすまん。完全に寝てた」


 昨日はあまりに美羽のマッサージが気持ち良すぎて、ぐっすり寝てしまった。

 目が覚めた時にはとっくに日付が変わっており、当然ながら美羽が家に居なかったのだ。

 流石に夜遅かったので連絡するのは避け、こうして謝罪している。


「気にしないで。悠くんが気持ち良さそうに寝てたから、起こすのも悪いなって思ったの」

「今日からはちゃんと送るよ」

「じゃあお願いね」


 ふわりと柔らかい笑顔を浮かべながら頷かれた。

 妙に嬉しそうな気がするが、やはり一人で帰るのは不安なのだろう。

 スリッパに履き替えると両手を差し出されたので、苦笑しつつ鞄を渡す。


「頼んだ。ありがとな」

「うん!」


 喜びに満ちた甘い笑顔で美羽が鞄を受け取った。

 こうして鞄を渡すのは二回目になる。当然のように甘えてしまい、ほんの少しだけ罪悪感が沸き上がったが無視した。

 美羽が望んでやってくれているのだ。世話をされて当然とは絶対に思えないが、ずっと気にし続けるのも美羽に悪い。

 そのまま二人で悠斗の部屋に入り、上着を脱いでいく。


「悠くん」

「……任せた」

「任されました」


 名前を呼ばれるだけで何を求めているか分かった。

 鞄の時と同じく素直に上着を渡せば、美羽がご機嫌な笑みを浮かべる。

 なんだかおかしなやりとりだなとひっそりと笑うと、美羽が悠斗の脱いだ上着をじっと見ているのに気が付いた。


「どうした?」

「今日はもうこの服使わないよね?」

「そうだな。わざわざ制服で出掛ける用事なんてないぞ」

「だったら、昨日言ってたようにアイロンを掛けさせて?」


 どうやら昨日宣言していた事を早速実行したいようだ。

 厚意はありがたいのだが、昼過ぎなのに今日も今日とて悠斗の家に来ている事が今更ながら気になった。


「それはいいけど、美羽は用事とかないのか?」

「ないよ。というか、悠くんの家に来る以上の用事なんてそうそうないからね」

「……女子の付き合いとかあるんだろ? 本当に大丈夫なのか?」


 悠斗の事を優先してくれると堂々と宣言されて、心臓がぎゅっと掴まれたように跳ねる。

 動揺を必死に押し殺し、以前遊びに行っていた時の事を話題に出した。

 もしかすると美羽があまりに悠斗の事を優先し過ぎて、周囲から冷たい仕打ちを受けるかもしれない。

 ただ、美羽はそれほど深刻に考えていないのか、まるで晩飯の献立こんだてを考えるかのように気楽そうな表情で顎に手を当てている。


「なんていうか、必死になって関係を持たなくてもいいかなって、最近思うようになったの」

「妙にあっさりしてるけど、それでいいのか?」

「私が友達付き合いを楽しんでないの、悠くんは知ってるでしょう?」

「まあ、知ってるけど」

「それに、今の立場にしがみつくだけの理由もないの。あんまり楽しめないならせめて浮かないようにしようって周りに笑顔で対応してたら、勝手にあんな立場になってただけだからね」


 見目麗しい美羽が優しく接してくれるのだから、それだけとはいえ人気者になるには十分な理由だ。

 普通の人であれば喉から手が出る程に欲しい立場に違いない。それを何でもない物のように言う美羽に苦笑を落とす。

 とはいえ気を遣っていたのは確かだし、簡単に出来た事でもないはずだ。

 

「でも、その立場は美羽の努力の成果だ。下手をすると何もかも無くなるんだぞ? 後悔とか不安はないのか?」


 元々乗りが悪かったとはいえ、最低限の交流すら失くしてしまえば、美羽の居場所が無くなってしまう可能性だってある。

 そうなると、学校はただひたすらに苦しい空間になるだろう。

 心配になって美羽の顔を覗き込めば、柔和な表情で頷かれた。


「ない。大多数の学校でしか話さない人と遊ぶより、遊んでも楽しくない人との友達関係を頑張るより、私を大事にしてくれる悠くんの家に居たい」


 真っ直ぐな言葉に信頼を宿し、美羽が瞳に穏やかな光を灯して悠斗を見つめる。

 その瞳が悠斗へと向けられている事が気恥ずかしくなり、ふいっと視線を逸らした。


「そんなに大事にしてるか?」

「してくれてるよ。いっぱい、いっぱい、温かい空気をもらってる」


 悠斗の方こそ温かい空気をもらっているのだが、そんな言葉など口に出来はしない。

 ここまで硬い意志を持っているのなら、悠斗がどれだけ言ったとしても美羽は譲らないはずだ。

 悠斗に止める権利はないが、美羽が苦しむのを望んでいない事だけは分かって欲しい。


「……しつこく言うつもりはないけど、付き合いを悪くし過ぎていじめられるなよ?」

「学校でのいじめくらい全然平気なんだけど、そこまで悠くんが心配してくれてるなら、ある程度は頑張るね」

「無理はしなくていいからな」


 美羽をねぎらう為に、何となく小さな頭に手を伸ばした。

 しかし触れていいのかと疑問が浮かび、撫でる直前で手が止まる。

 突然悠斗が停止した事で、美羽がこてんと可愛らしく小首を傾げた。


「撫でないの?」

「……撫でるつもりなんてなかったっての」


 ほんの少しの嫌悪感すら浮かんでいない美羽の表情に胸がくすぐられる。

 おそらく美羽は受け入れてくれただろうが、好意を自覚してしまった今はどうにもやりにくい。

 以前はよく平気で撫でれたなと自分に呆れつつ手を下ろすと、美羽がほんのりと不満気な目で悠斗を見た。


「そういう期待させておいておあずけなのは卑怯だと思うなー」

「知らん知らん。何のことやら」


 取り合うつもりはないと美羽の抗議を流し、手を払って退室を促す。


「ほら、シャツも着替えるから出ていった」

「む……。分かったよぅ」


 思いきりむくれた美羽が渋々と悠斗の部屋を後にする。

 手には悠斗の上着を握っているので、アイロンをかけるのは忘れていないらしい。

 ようやく一息つけると思ったのだが、部屋を出る直前に美羽がくるんと振り返った。


「ああでも、いじめられて一人になったら良い事があるよ」

「そんなのあるのか?」


 悠斗の頭では思いつかないが、どうやら美羽は何か思いついたようだ。

 首を捻りながら尋ねれば、美羽がはにかみにも似た色気のある笑みを浮かべた。


「学校でも遠慮なく悠くんの傍に居られるね」

「……頼むから程々に周囲と付き合ってくれ」


 美羽と学校でも一緒に居られるのは嬉しいが、例え今の美羽の立場が無くなったとしても、悠斗に嫉妬の視線を送る人はいるだろう。

 この様子であれば仮に悠斗と一緒に居られるようになった場合、外でもあれこれと悠斗の世話を焼きそうな気がする。

 明らかに気疲れしそうな状況なのが分かるので、大きく息を吐きながら懇願すると悪戯っぽく美羽が笑んだ。


「はーい、気を付けまーす」


 ころころと笑いながら美羽が部屋を出て行った。

 ドッと疲れが襲ってきて、大きく肩を落とす。

 とりあえずシャツを脱ごうとボタンに手を掛けた瞬間、なぜかガチャリと扉が開いた。

 驚いて手が止まったが、流石に着替えを覗くつもりはないようで、扉の隙間から優しくて穏やかな心地いい声が聞こえてくる。


「着替え中にごめんね。心配してくれてありがと、悠くん。でも、嘘は言ってないからね」


 わざわざ一度閉めた扉を開けてまで、着替え中の悠斗にお礼を言う必要などない。

 しかも最後の方は思いきりからかうような声色だった。そのせいで面白そうに笑う美羽を幻視してしまう。


「ああもう、早く行けっての!」

「やー、怒られたー!」


 これ以上悠斗の心を乱さないでくれと願って大きな声を出すと、全く反省していない明るい声を出して美羽が再び扉を閉めた。 

 階段を下っていく音が聞こえてきたので、本当に一階に行ったらしい。

 着替える気も起きず、ずるずるとベッドの縁に座り込んだ。


「つっかれたぁ……」


 いじらしい美羽の態度に、悠斗の心が簡単にくすぐられてしまう。

 家に居ても気疲れするのはどういうことだと肩を落とすが、不思議と悪くないとも思ってしまった。


「……重症じゃねえか」


 くしゃりと前髪を潰しつつ、大きく息を吐き出す。

 そのまま、心臓の鼓動が落ち着くまでジッとしていたのだった。

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