第57話 改めて

 状況に思考が追い付かず、ここに居るはずのない少女を呆然ぼうぜんと見上げた。

 悠斗の態度がおかしいのか、美羽がくすくすと軽やかに笑う。


「どうしたの? 何か変なものでも見た?」

「変なものっていうか、どうしてここに居るんだ?」

「私がここに居たらおかしい?」

「おかしいだろ、だって――」

「まあまあ。玄関で立ち話するくらいならリビングに行こう?」

「……分かった。でも荷物を置きに行かせてくれ」


 穏やかな微笑を浮かべながら、のらりくらりと美羽が悠斗の質問をかわす。

 とはいえ、美羽の言う通り話はリビングですべきだ。

 一先ひとまずスリッパに履き替えて二階に行こうとしたのだが、美羽が階段の前に立って通せんぼする。

 穏やかな微笑を浮かべる綺麗な顔を見つめると、すっと両手を差し出された。


「……何してるんだよ」

「荷物を預かろうかなって」


 いよいよ美羽の行動が分からなくなってきた。

 あまりの理解不能ぶりに悠斗の頭が痛みを訴えるが、どれだけ考えても答えは出て来ない。

 がしがしと頭を掻きながら顔をしかめる。


「今までそんな事してなかっただろうが。急にどうしたんだ?」

「持ちたいなって思ったの。駄目?」


 こてんと可愛らしく美羽が首を傾げた。

 好意を自覚したからか、あざとすぎる仕草に心臓が僅かに跳ねる。


「置くのは俺の部屋なんだし、俺が持って行けばいいだろ」

「私が悠くんの部屋に持って行きたいの。入ったら駄目だって言うなら諦めるけど」

「駄目っていうか……」


 澄んだ瞳には使命感など浮かんでおらず、ひたすらに悠斗への気遣いが込められている気がした。

 そして僅かだが不安そうに揺れてもいるので、この状態の美羽のお願いを断れはしない。

 どうしてこうなったのかは分からないが、何を言っても無駄だと諦めた。


「はぁ……。それじゃあ頼んだ」

「任せて!」


 にこにこと満面の笑みで美羽が悠斗の鞄を受け取り、階段の前から退く。

 美羽の態度をいぶかしみつつ、自室へ辿り着いた。

 以前部屋に入った際に鞄の位置は覚えていたようで、何も言わずとも美羽が定位置に鞄を置く。

 これで下に降りてくれると思ったのだが、なぜか美羽は悠斗の目の前から動かない。


「着替えたいんだが?」

「あ、すぐランニングに行くの? じゃあトレーニングウェアを出したいんだけど、どこにあるかな? もしかして下着と一緒にまとめてたりする?」

「待て、待ってくれ。いろいろおかしいから」

「うん?」


 昨日までとは明らかに違う美羽の態度に待ったを掛けた。

 何がおかしいのか分からないと言いたげに美羽がきょとんとしているので、頭を抱えたくなる。


「そんな事しなくていいんだぞ?」

「私がやりたいだけなの。嫌だったら嫌って言ってね。その時は止めるから」

「えぇ……」


 今まで美羽はこんなに干渉してくる事などなかった。

 豹変ひょうへんした美羽に戸惑いを隠せず、完全に引いた態度を取ってしまう。

 そんな悠斗の態度など意に介していないようで、美羽がきょろきょろと視線をさ迷わせた。

 おそらくランニングウェアを探しているのだろう。結局見つからず、美羽が悠斗へと視線を戻す。


「それで、すぐにランニングに行くの?」

「いや、まずは話が聞きたい。上着だけ脱ぐよ」

「じゃあ預かるね」


 当然のように手を差し出されたので、もう何も言う事なく上着を差し出した。

 すぐに美羽がハンガーに掛けたが、何かに気付いたようでむっと不満そうにむくれる。


「悠くん、もしかしてあんまりアイロン掛けてないでしょ」

「まあ、こまめにやる必要を感じなかったんでな」

「じゃあ時間がある時にやっていい? ばっちり仕上げるから!」

「好きにしてくれ……」


 美羽の圧が強すぎて、どうにでもなれと思考を停止させた。

 その後満足したのか美羽が下に降りたので、悠斗も付いて行き美羽と向かい合う。


「説明を頼む。出来るだけ詳しく、誤魔化さずにだ」


 昨日までとは美羽の態度が全く違うのだから、絶対に何かあったはずだ。

 嘘は許さないと真っ直ぐに見つめると、柔和な表情を向けられた。


「分かった。どこから話せばいいかな?」

「どうして俺の家に居るんだ? 丈一郎さんとの仲は改善出来たはずだろ。駄目だったのか?」


 美羽が悠斗の家に来る理由などないはずなので、まずはここからだろう。

 もしかすると、悠斗が帰った後に仲がこじれたのかもしれない。

 悠斗の考える最悪の予想は外れたらしく、美羽がゆっくりと首を振った。


「大丈夫だよ。おじいちゃんが私を気遣ってくれたことは分かったし、もうあの家に居るのは苦痛じゃない」

「じゃあ何で俺の家に来てるんだ?」

「私がここに居たいと思ったから。この家で悠くんの帰りを待って、一緒にご飯を食べたかったんだよ」

「……」


 真っ直ぐ過ぎる言葉に悠斗の心臓が震える。

 どうしてそんな考えに至ったのか気にはなったが、尋ねる言葉が口から出て来ない。


(きっと、俺に言えない理由があるんだろ。俺が思ってるような理由なんて、ある訳ない)


 都合の良い理由が思い浮かんでも、絶対に有り得ないとかぶりを振って一蹴した。

 勉強は普通で、運動はバレーが少しだけ出来て、顔は普通の男子高校生。

 その上美羽に晩飯を作ってもらっているだけでなく、食材の買い物や風呂の準備すらさせている。

 しかも悠斗は美羽との約束を守れず、美羽の頑張りを見届けただけだ。

 そんな悠斗が異性として好意を向けられるはずがない。

 とはいえこれまでの美羽の態度から、悠斗が多少なりとも信用されているのは分かっている。

 美羽の内心がどうあれ、こうして来てくれるのだ。変に踏み込んでこの心地良い関係を壊したくはない。


「美羽の料理は美味しいし、俺からすればお願いしたいくらいだ。けど、本当にそれでいいのか? 折角丈一郎さんとの壁が無くなったんだから、俺じゃなくて丈一郎さんと一緒にご飯を食べるべきだろ」


 悠斗の晩飯だけを作るのなら間違いなく断っていた。

 しかし以前と変わらず一緒に食べるのなら、美羽の厚意に甘えていいのかもしれない。

 昨日の決意が簡単に揺らいでしまい、薄っぺらい意思に乾いた笑みを零した。

 最後の砦として一般的な考えを述べると、美羽が淡く微笑む。なぜだか、悠斗の心の中を見透かされた気がした。


「それも大丈夫。元々朝は一緒に食べてるし、話す時間はあるよ。それにちゃんと説得して、これまでと変わらず悠くんの家に行く許可はもらってる。他に質問は?」


 丈一郎と相談した上で悠斗の家に来ているのなら、悠斗から言うべき事は何もない。

 ましてや悠斗は美羽と丈一郎の関係の改善の為に、二人を振り回したのだ。

 これ以上は本当に余計なお世話だろうと、首を振って答える。


「俺の家に来る事に関してはないな。でも妙に世話してくれたけど、あれはどうしたんだ? 昨日まではあんな感じじゃなかっただろ」

「昨日一緒に居てくれたお礼……っていうのもあるんだけど、さっきも言ったように私がやりたいからだよ」


 どうやら美羽は昨日のお礼として、何か出来ないかと考えたようだ。

 その結果、先程のような過剰とも言える世話を焼いてくれたらしい。

 使命感を感じないで欲しいと思ったが、やりたいからだと言われてしまえばそれまでだ。


「分かった。無理だけはするなよ?」

「うん。悠くんこそ、手を出して欲しくない事はちゃんと言ってね?」

「ああ」


 分かりやすく頬を緩めながら尋ねてくる美羽に、しっかりと頷きを返した。

 一気に距離が近づいた事に戸惑っただけで、先程の美羽の行為を嫌だとは思っていない。

 むしろ、好きな女性に世話を焼かれて嬉しかったのだ。

 ただ、美羽が自分から進んであれこれと世話を焼いてくれる事を利用しているような気分になる。


(これで美羽の事が好きなんだから笑えないな)


 嬉しさと後ろめたさが絡み合い、醜い自分の気持ちにひっそりと苦笑を落とす。

 こんな悠斗に美羽といる資格などない。

 けれど今の距離感を壊したくないという思いもあり、悠斗の方から離れられないでいる。

 どこまで情けないのかと自分が嫌になりつつも、ちゃんと言葉で確認すべきだと口を開く。


「……これからも、家に来てくれるか?」

「もちろん! これからもよろしくね、悠くん!」

「ありがとな」


 明るくて真っ直ぐな太陽のような笑顔に、どうしようもなく胸が高鳴る。

 ぐちゃぐちゃな心のまま、美羽に笑みを向けるのだった。

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