第51話 渦巻く感情

 球技大会も大詰めであり、午後の体育館には大勢の観客が来ている。

 バレーで負けた人達だけでなく、単に手持ち無沙汰ぶさただから見に来た人も多いはずだ。

 周囲を見渡した蓮が普段通りの笑顔を向けてくる。


「はー。これまた人が多いなぁ」

「でも緊張してなさそうだな」

「おう。人が多い所なんて慣れてるからな。そういう悠は相変わらず慣れないみたいだな」

「たった数試合しただけで慣れる訳ないだろうが」


 今日が初めての試合なのだから、そう簡単に緊張が解けはしない。

 むしろ一試合目よりはるかに多い観客に、少しだけ尻込みしてしまう。

 気合を入れなおして頬を叩くと、蓮に強く背中を叩かれた。


「じゃあ行くか! 相手は予想通り勝ち上がってきたAクラスだ。油断なんて出来ねえぞ!」

「分かってる。それに、たかが経験者の俺に油断出来る試合なんてなかったって」


 相手チームは一年生の中でも一番バレー部員が多いクラスだ。

 部員が多ければ多いほど、それだけチームとしての地力があるという事になる。

 だからこそ、蓮がこちらにいても優勝候補と言われていたのだから。

 そして彼らを応援する女子の一団の中に、一際ひときわ小柄な姿が見えた。

 

(ここまでツイてなくてもいいだろうが)


 願いを叶えたい人が敵側にいるというのは、あまりにも巡り合わせが悪い。

 もちろん美羽が同じクラスを応援するのは当然だし、あの場で悠斗を応援出来るはずもない。

 それでも、あの穏やかな存在が向こうに居るというだけで気が滅入る。

 何となく美羽に視線を向けると、遠目ではあるが目が合い、申し訳なさそうに逸らされた。


(……これは俺の我が儘だ。なら、最後まで貫いてみせる)


 美羽を怒る気などない。結局、これは悠斗がしたいからしているだけなのだ。

 大きく息を吸い、目を閉じる。

 ゆっくりとまぶたを開け、敵を見据えた。


「俺は、俺に出来る事を精一杯やるだけだ」

「その意気だ。なら――集合してくれ!」


 萎んだ気持ちを叩きなおす為に決意を言葉に出すと、にやりと笑んだ蓮がチームメイトを集めた。


「ここまで来たからには目指すのは優勝だ! 行くぞ!」


 クラスメイトからすれば、真面目にやる理由などないはずだ。

 けれど、全員の顔にはやる気が満ちている。


「「おう!」」


 最後の試合が始まった。









「みんなー! 頑張れー!」

「あと一勝だよー!」


 周囲のクラスメイトが声援を送る中、美羽は目立たないように応援するフリをしている。

 本当は応援した方がいいのだろう。しかし、美羽の喉から出るのは吐息だけだ。


(私、何してるんだろう……)


 優勝などしなくていいと言っても、悠斗は自分の我が儘だと譲らなかった。その言葉が美羽を気に病ませない為だとバレているにも関わらず。

 そんな悠斗に甘えて、自分一人では足を踏み出せないからと悠斗に託し、ただ安全なところで結果を待つだけ。

 それだけでも卑怯なのに、こうして悠斗の敵として立ちはだかっている。

 一応、悠斗がバレーに参加した時点で、美羽のクラスと対戦するかもしれないとは考えていた。

 けれど美羽のクラスの勝敗に興味などなく、悠斗が頑張る姿を陰から応援出来ればいいと思って伝えなかったのだ。

 本来ならば、それでも良かったのだろう。ただ、そんなちっぽけな願いすら美羽の手で壊してしまった。

 あまりの悲しさに泣きたくなるが、そんな資格などないと唇を噛んでこらえる。


(……言える訳ないよ。私の為に頑張ってるのに、私が敵になるなんて)


 もちろん、美羽が何か試合に貢献こうけんする訳ではない。事前に伝えたとしても、悠斗ならば「美羽のせいじゃない」と笑ってくれたと思う。

 それでも、一言くらい伝えるのが美羽の役目だったはずだ。そんな事すら出来なかった自己嫌悪にさいなまれていると、周囲の女子が歓声を上げた。


「もう少しで勝てるよー!」

「点差も開いてるし、勝ったね!」


 運動が出来ない美羽でも、悠斗のクラスが劣勢なのは分かる。

 いくらエースが強くても、ボールをパスする人が経験者でも、たった二人でどうにかなる競技ではないのだ。その倍の人数がこちらにはいるのだから。

 だからこそ勝ちを確信し、こんなにもはしゃいでいるのだろう。

 彼女達の声が呪いの言葉に聞こえ、耳を塞ぎたくなる。


「でもEクラスのあの人――芦原だっけ? バレー部員じゃないのによく頑張るよね」

「経験者なんだって。でも、あんな人いたかなぁ」

「Eクラスの女子が言ってたけど、ボールが見えないのは嫌だからって髪を切ってきたらしいよ」

「えぇ? 部活でもない学校行事だよ? そんなに必死になる必要ないじゃん」


 周囲の悠斗を小馬鹿にする声にカッと頭が熱くなった。


(悠くんの事を何も知らないくせに! どんな覚悟で挑んでるのか知りもしないくせに! 勝手な事ばかり言って!)


 悠斗の中にバレーに対する複雑な感情があるのを知っている。髪は周囲の視線を隠す為だと知っている。

 怖かったはずだ。嫌だったに違いない。なのに、美羽の為に頑張ってくれているのだ。

 何も知らない人が馬鹿にするなと怒鳴りたくなるが、拳を握って必死に我慢する。

 知らないのは当然だし、美羽がここで怒鳴れば事態がややこしくなるのだから。

 ひたすらに感情を抑えていると、クラスメイトが「でも」と発した。


「知らなかったのは勿体無いなぁ。結構かっこいいよね」

「そうそう。結構顔が整ってるし、いいよね」

「えぇー。でもほら、頑張ってる割にはバレー部より上手くないじゃん」

「そんなの当たり前でしょうが。むしろ、必死に頑張る姿がいいんでしょ?」

「……確かに。それもそうか」


 先程とは一転して、悠斗の容姿を褒める方向に会話が移った。

 悠斗が馬鹿にされないので、これでいいはずだ。

 そう自分を納得させようとしても、美羽の胸にはドロドロと黒いものが溜まっていく。


(悠くんの素顔を知ってるのは私だけだったのに……)


 昔はどうだったか分からないが、今の高校で悠斗の素顔を知っている女子はいなかったはずだ。

 容姿に自信がない悠斗にとって、彼女達の言葉は救いになるだろう。

 聞かせてあげたい、知らせてあげたいと思う。きっと悠斗は喜ぶはずだ。

 けれど、絶対に教えたくないという感情が沸き上がってくる。


(髪を切っただけで見る目が変わるような人が、悠くんと一緒に居て欲しくない。そんな人達の誉め言葉に喜ばないで欲しい)


 あまりにも醜く、我が儘な気持ちが止められない。

 粘ついた感情が美羽の心に取り付き、身動きが取れなくなる。

 この感情をどうすればいいのか迷っていると、審判のホイッスルが鳴った。

 ふと得点版を見ると、一セット目は美羽のクラスが勝ったらしい。

 この大会では二セット先に勝った方が勝者となるので、悠斗のクラスは後がなくなった事になる。

 休憩の為に選手がベンチへと戻っていき、悠斗がクラスの女子に応援されている光景が目に入った。


(そこは私の場所なのに!)


 本当は応援したい。傍に行って、声を掛けて、悠斗の力になりたいのだ。

 なぜあの場に美羽はいないのだろうか。なぜ悠斗の傍に居られないのだろうか。

 胸がズキズキと痛む。これほど痛い事など今まで一度も無かった。

 悠斗はただ応援されているだけだ。なのに、こんなにも胸が苦しい。

 胸を抑えていると、隣のクラスメイトが心配そうに顔を覗き込んできた。


「美羽、大丈夫? もしかして具合悪いの?」

「え、気分が悪くなったなら外に出る? むしろ保健室行った方がいいかな?」

「無理しない方がいいよ!」


 周囲の女子も美羽の異変に気付いたようで、この場から離れるように勧めてくる。

 離れたら楽になるのだろう。悠斗が応援される所を見る事なく、悠斗の頑張りを見る事なく、勝手に試合が終わるはずだ。


(……それに、悠くんは負けるよね)


 そうなると悠斗へのご褒美はなくなり、あの温かな悠斗の家に帰る事が出来る。

 何の苦しみもない、けれど丈一郎から逃げ続ける毎日に。

 それでいいはずなのに、それは駄目だと心のどこかで何かが訴えてくる。

 ふと向こうのチームのベンチへと目を向ければ、今にも泣きそうに顔を歪ませた悠斗がいた。


「何弱気になってんだ! 次取り返せばいいだろ?」

「そうだぞ芦原、まだ諦めるには早いって!」

「っ……ああ、そうだな!」


 背中を叩かれて元気が出たらしい。チームメイトの励ましで、崩れそうな体に力が戻る。

 そのボロボロな姿を見て、美羽は頬を殴られたような気がした。


(ここで逃げたら、一生後悔する)


 まだ悠斗の目からは強い意志が消えていない。

 なのに美羽が諦めて逃げてしまえば、これから悠斗の顔を見る度に罪悪感を覚えるだろう。

 そもそも、悠斗を優勝へと追い込んだのは美羽だ。

 美羽の為に頑張っている姿から逃げ、負けてしまえばそれで話が終わるというのは、卑怯どころか最低最悪の人間だと思う。

 そんな人間になりたくないと、悠斗の頑張りに応えたいと、大きく息を吸った。


「ううん、大丈夫。心配しないで」

「本当に?」

「もちろん。むしろ、この試合を見ていたいの」


 まずはこの試合を見届ける事から始めよう。

 その先に何があっても、進む覚悟は決めた。

 クラスメイトの提案を断り、二セット目を始める悠斗へと視線を向ける。


「頑張れ、悠くん」


 美羽の応援は周囲の声に搔き消されてしまう。それでも、ようやく口にする事が出来た。

 汗だくで、今まで見た事のない必死な表情で、ボールを追いかける姿を目に焼き付けようと、美羽は顔を上げるのだった。 

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