10
皇に戻ったセレンは、桂十郎に案内してもらって弦月のもとを訪れていた。ずっと桂十郎が心配そうにしているのは、依頼にかかる費用のことだろうか。
勿論、はっきり全額を支払えると言えるだけの金は用意出来ていない。ただ一つだけ、策は考えている。これが通用するならどうにかなるだろう。
相も変わらず真白いその男を前に、セレンは一枚の写真を差し出した。母が引き出しの中に隠していた家族写真だ。
「ルヴァイド・フレスティアについて調べて欲しいの。出生から現在の動向まで、可能な限り全て」
ルヴァイド・フレスティア――それが、セレンの叔父の名。そして、十一年前の事件の犯人の名でもある。フレスティアにある記録は塗り潰されていた、その人物だ。
先にそのことを伝えておく。その上で、
取り出したのは、ビー玉のような、無色透明の球体。それも弦月に差し出す。
「資金の捻出が難しかったから、これはどうかと思って」
「此れは……セレンさんの
「そう。それがあれば、フレスティアの書室にある歴代当主の手記が見られる。これを情報料代わりに補えないかな?」
書室は、フレスティアの直系の者か、許された者しか入ることは出来ない。扉が開く鍵は、フレスティアの
何故そこまで厳重にしているのか。簡単なことだ。フレスティアの手記には、
悩みに悩んだ結果、それを弦月に提示することにした。彼なら無闇にフレスティアを害する為に使うことは無いだろうと、何故だかそう信じられた。
勿論、無条件に人を信じるというのは危険なことだ。自分だけなら構わない。自業自得なのだから。だけどこの先のフレスティアのことを考えれば、決めるのは簡単ではなかった。
二指で球体を摘んだ弦月が、それをしげしげと眺める。少しの間そうしてから、彼はにっこりと笑った。どこか楽しげに。
「情報の対価として情報を提示されたのは初めてで御座います」
是の返答。
まるで面白いものを見たかのような反応だ。今度はそれに、セレンが首を傾げる。
「あたしでも思い付くのに?」
「それが出来るのが
同席したままだった桂十郎が苦笑した。
情報屋界隈のことを、セレンはあまり知らない。聖も悠仁も、あまり彼女に詳細を教えはしなかった。だからただ、知らなかった。
全知の『孤高の月』に対価として支払える情報など、そうそうあるものでは無い。
以前セレンは悠仁が彼に支払える情報は無いだろうと判断したが、それはあの時点での悠仁の情報屋としての活動が限られていたからだ。『孤高の月』が有能な情報屋の集まりであるアーカイブの幹部だと聞いていたから、交渉材料となる程のものを悠仁が持っているとは思えなかった。
そっか、とセレンはまた首を傾げる。分かるような、分からないような。
一方で弦月は、楽しげな目元を細めてまた笑う。
「此れによって得た
「!」
言われた言葉に、セレンは一度目を見開く。それから苦笑し息をついた。
「お見通しってわけね」
こちらが何を心配しているかなど、分かりきっているということらしい。
だがセレンは気付いていた。彼は情報を「理由無く」使用しないとは言ったが、「正当な理由無く」とは言わなかった。正当だろうが不当だろうが、それが彼にとって「理由」になれば保証はされないということだろう。
この先のことはセレンの自己責任だ。悩んだ挙句、結局フレスティアの書室への「鍵」を渡す選択をしたのだから。
うん、とひとつ頷いてから、顔を上げる。
「ところでアナタ、名前呼びにくい。弦ちゃんって呼んでも良い?」
「おや?」
唐突だが、セレンのこれは今に始まったことではない。
頬に手を添えた弦月が小首を傾げたが、別段驚いた様子は無かった。
「構いませんよ」
「良かった。ありがとう」
にっこりと、いつもの無邪気な笑顔に戻る。用は済んだと席を立ち、セレンはそのまま桂十郎と一緒にその場を後にした。
この後はまっすぐ大総統府に向かうことになっている。移動時間も含めておよそ五日分、仕事は溜まってしまっているのだ。
迎えの車に乗り込み、隣に並ぶ。この時点でセレンもとうに「世界大総統の護衛」になっている。
車の中、セレンはふと桂十郎の横顔に目を向けた。
「驚かなかったね」
「何がだ?」
「ルー叔父様のこと。十一年前の事件との関連について話した時」
「ああ……。聞いてた話や状況を考えて、そうかなとは思ってたからな」
「……そっか」
あの日のことを、何度でも思い出す。失ったものはあまりに多くて、大きくて。
あの広い屋敷の中で、数少ない味方の一人だった。
「どうするんだ? 叔父さんの情報を集めて」
「……まだ、決めてない。ずっと復讐を最終目的にしてたけど」
あの事件が単なる裏切りによるものなら、計画的なものだったなら、許せはしない。幼かったセレンの世界の全てを奪ったのだ。だけど、
フレスティアの書室で桂十郎が言った。争ったにしては不自然だと。状況を見て、確かにそうだとセレンも思った。
何があったのか、叔父・ルヴァイドに何が起こっていたのか。ただ知りたい。後のことはそれから考えれば良い。
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