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結局、『朝霧の霞』の一件はあっという間に片が付いた。その作戦会議──もとい「いかれ帽子屋のお茶会」にセレンも当然のように参加させられていたことは、本人よりもひわの方が文句を言い立てていたが、元凶と思われる二人には笑って流されていた。
護衛という仕事に就いてしばらくしてから、セレンは桂十郎の家に帰るようになった。どうせ通勤の道中も守る必要があるのだから、同じ所に住んでいた方が動きやすいと言ったのはセレンの方だ。
元々そう多くは無いと思っていた荷物は、あれもこれもと聖や海斗が出して来るものを見る限り、意外とあったようだった。ひわによって追加された私服が二着や三着では済まなかったのもあるだろう。
服と言えば、仕事の時に着る服は決めてあった。『氷の刃』とは違っているが、動きやすさや武器の出し入れを基準にしたセレンの希望を元に桂十郎が選んだものだ。
仕事を終えて家に帰ると、恋人同士の時間になった。風呂以外はずっとくっついていて、寝る時に別々の部屋に入る。その間もこれでもかと言うほど甘やかされた。他愛も無い話をして、笑って、聖に渡されたマナー本を一緒に見て。練習をすれば大袈裟なほど褒めてくれる。
流石に毒をあおったあの日ばかりは、どれだけ心配したかとセレンが理解するまで説教された上、二度としないと約束させられたが。
食事と風呂を終え、着替えて桂十郎の部屋のソファでマナー本を開く。知識が偏ってはいけないだろうと、各国のマナー本を原語のままで渡されているので、読み終えるだけでも一苦労だ。始めは読めるのかと桂十郎に心配されはしたが、そこは全く問題ない。何せ幼い時分から世界各国あらゆる言語を教えられている。
『氷の刃』としても、世界中で「仕事」をしていた。勿論『暁の鳥』の活動範囲も世界中だったのだ。拠点が皇であることすら知っている者は多くない。
「今日は何処のマナー本だ?」
「昨日の続きだよ、フランシカ。聖から預かった本はこれが最後」
隣に座った桂十郎が本を覗き込む。小難しいことを書かれてはいるが、内容を記憶するだけなら問題ない。あとは実践出来るかを後日聖にテストされる予定だ。勿論聖一人ではなく、彼が呼んだ講師も数人つくらしい。
「実践が心配だなぁ。読んだだけじゃ分からないこともあるだろうし」
「大丈夫だろ。セレンは呑み込みが良いから」
甘く優しい言葉に、またそうやって甘やかすんだから、とセレンは膨れっ面になる。だけど長くは続かなくて、すぐに頬が緩んだ。
本の文字を目で追いながら、桂十郎の肩に寄りかかる。甘やかすのは桂十郎だが、結局はセレンもそれに甘えているのだ。
やがて読み終えると、そっと本を閉じると同時に目を閉じる。ゆっくり、頭の中でシュミレーションして、現場に対応出来るように考えておく。勿論、テストまでに何度か実践練習もするつもりだ。
合間で髪や頬を撫でられるのにも、そろそろ慣れた。
「空目もまだ勉強してるかなー」
「いきなり他の男の話!?」
「しばらく会ってないから気になっちゃって」
ふと思ったことを口に出せば、ちょっと拗ねたような声が降ってきた。思わず笑ってしまいながらも続ける。
「ずっと夢の為に頑張ってるからね。始めは戦闘要員を目指してたけど、あんまり強くなれなかったからって今度は勉強。でもそっちのが性に合ってるみたい」
「……ん? 何を目指してるんだ?」
「大総統府職員。その為にあたし達の仕事にも関わらせては無かったしね。その分収入が限られるから、まだ試験費用は貯まってないみたいなんだけど」
何だかんだ、先に大総統府に入ってしまったのは少々申し訳ない気もする。なんて思いながら苦笑を浮かべていると、それなら、と桂十郎が言い出してセレンは目を上げた。
「次の試験を受ければ良い。費用はこっちで負担するぞ?」
「え? で、でも、そんなことしていいの?」
「人手は常に足りないし、優秀な人材はいつでも欲しいからなー。俺が費用負担して入った奴なら他にも居るから大丈夫だ」
あまりにも、あっさり。四年もかけてやっと半分貯まったと言っていた試験費用をポンと出すだなんて。これまでの日々は何だったのかとすら思わせられる。
願書のこともあるし、日程などは直接話した方が良いだろう、と桂十郎が言って、トントン拍子で話が進んでいく。
こんなに上手く行っていて良いのだろうか。桂十郎と会ってから、まるで世界が変わったかのようだ。
「桂十郎さんは」
「ん?」
「まるで神さまね。何でも叶えてくれる」
むしろ、どんなに願っても何も聞き入れてくれなかった本物の「神さま」とやらより、余程神々しく見える。
「ありがとう。大好き!」
満面の笑みでぎゅっと抱きつけば、優しく抱きしめ返された。
その後間もなくして、軽く試験をパスした海斗は大総統府の第二秘書室に配属になった。
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