10
「ちょっと閣下! こっちに来るのよ!」
案内された喫茶店。軽やかにベルの音を鳴らして入るなり、中に居た少女が驚いたような表情をして固まった後、グイグイと桂十郎を引っ張って行った。
何だろう、と小首を傾げるエミルの一方、悠仁は心当たりがあるのか苦笑している。
大方、桂十郎──世界大総統と関わりのある、情報機関『アーカイブ』の人間……の、一人といったところだろう。同じアーカイブに『夢幻桜』として所属する悠仁は、『氷の刃』との繋がりを勘付かれないようにと一般の情報屋として存在している。故に自身のことは顔も表向きの職業も少し探れば分かる程度の隠蔽に留めている。
アーカイブの人間……例えば幹部とは言わずともそれなりに上層部に居る者なら、悠仁の顔くらいは分かるのだろう。殺し屋同様、情報屋にだって年齢は関係ない。
だったら今、連れて行かれた桂十郎と、連れて行った少女とがヒソヒソと話している内容も想像がつくことだ。
ヒソヒソ話が終わった頃を見計らって悠仁がカウンターに近付くと、それに合わせてエミルもてこてこと歩み寄る。カウンターに手をついて、その向こうに居る少女にいつものようににっこりと笑いかけた。
「じゃあ、むげ──」
「お姉ちゃん、かわいいねぇ」
こちらに向いて何かを言おうとしてたらしい少女が、またぴたりと固まる。お姉ちゃん。お姉ちゃんと言ったが、恐らく彼女はエミルと同年代、高校生くらいだ。
間もなく、スッとエミルの前に苺のショートケーキが差し出された。
「褒めても何も出ないのよ」
「いや、出てるし」
「余らせても困るだけなのよ」
言葉と行動が一致していない。なるほど、これが俗にツンデレと言うものか。思わず悠仁は苦笑した。
一方ではよく見かける光景だが、エミルがこうして人を誑し込むのに年齢性別は関係ない。深く考えることもなく、無邪気に、愛らしい笑顔で人の心を射止める。まるで、生まれて間もない赤子が笑った時のように、周囲の人の笑顔を誘うのだ。
相変わらずのエミルの様子をかわいいなと見ている悠仁に、少女は改めて視線を向けた。
「……何て呼べばいいのよ」
「ん? ああ。名前は上埜悠仁……って、それくらいは知ってるか。まあ、好きに呼べばいいさ」
「じゃあ、『桜』でも良いのよ?」
「ああ」
「ちょ、悠仁!」
明らかに本名ではない、アーカイブでの呼び名を意識した呼称に、驚いたのはエミルの方だった。一番あり得ないのは、それを快諾する悠仁だと。
だが当の悠仁は肩を竦めるだけで笑っている。
「そのくらいなら外で呼ばれたとしても名前みたいに聞こえるし、知り合いに聞かれても『あだ名』だって言えば通用するだろ」
「……それなら、良いけど」
「心配ありがとな、姫さん。……――で、逆にアンタのことは何て呼べば良いんだ? お嬢さん」
屁理屈とも言えるような悠仁の言葉に、納得しきってはいない様子で、だがエミルは黙る。
その一方で悠仁と少女はそのまま話を続けた。
「勝手に呼べばいいのよ。みんな好き勝手呼んでくるから、アナタもそうすればいいのよ」
「了解。じゃあ、そうだな……葵さん。コーヒーの淹れ方教えてくれるんだよな。よろしく頼むよ」
「お姉ちゃん、葵ちゃんっていうのね。かわいい名前!」
さっきまで不貞腐れていたのが嘘のようにまた花のように笑う。それからケーキを口に含んだエミルは、途端にぱあっと頬を緩めては表情を綻ばせた。
「これ、美味しい!」
「褒めても何も出ないのよ」
「いや、出てるって」
スっとエミルの前に差し出されたティーカップに、悠仁は突っ込まざるを得ない。「丁度さっき淹れたところだったのよ」と少女──葵はまた誤魔化すが、最早意味が無いと分かっているのだろうか。
カウンター向こうから出て来た桂十郎は、エミルの向かいに座って頬杖をついた。
「エミルも知ってるんだな。アイスとの関わりがあるからか?」
「悠仁のこと? もちろん知ってるよ。そのくらい知ってなきゃ、アイスと一緒になんていられないしね」
「じゃあ、アイスとはどういう関係なんだ?」
甘く美味しいケーキを口にするエミルは、笑顔が止まらない。悠仁が『夢幻桜』であるなどと、そんな当然のことに無駄な問答をする必要は無いのだ。
次にゆったりとティーカップを持ち上げ、傾けた。
「わぁ、これも美味しい! アールグレイね」
カウンター向こうに悠仁と一緒に入っていく葵にまた笑いかけると、心做しか誇らしげな表情が返ってきた……気がする。大きく表情を変えたわけではないので確信は出来ないが。
ソーサーにカップを置いて、それを見つめたままに真剣な表情をと言うべきか、エミルはほんの少し目を細めた。
「アイスはあたしの影。あたしが居なきゃアイスは活動を続けられないし、アイスが居なきゃあたしは生きてすらいけない」
瞳が揺れるのを自覚する。顔を上げられず、そのままでエミルは話すしかなかった。
表の顔が無ければ、裏での活動を続けるのは難しい。逆に『氷の刃』でなければ『目的』を成し遂げることは出来ない。
「だからね、桂十郎さん。アナタくらいの立場の人なら大丈夫だとは思うんだけど、あたしにもアイスにも、深入りしないで欲しいの。知り過ぎる人をこちらも放ってはおけない」
ぎゅっと一度目を閉じ、また開けてからゆっくりと、今度こそ顔を上げる。
「アイスは受けた依頼は必ずこなす。そっちにも抱えている『人』は居るだろうし、当然それなりの対応も出来るだろうけど……『世界大総統』を狙う依頼は後を絶たない。その依頼を受けないのは、あくまでパパが止めてるからでしかないから」
もしそのパパにも止められない『理由』が出来てしまったら、それは最早どうしようもないことになってしまう。
桂十郎がアイスに殺されるか、桂十郎を守る者にアイスが殺されるか。どちらかしか終わりはなくなる。相手が世界大総統ともなれば前者は可能性が低いだろうから、結果は後者だ。
故に、現状では決してその依頼を受けることは無い。全て依頼の窓口を請け負っているのはパパであり、アイスは詳細を何も知らない。話を回していないので、悠仁もまた同様だ。
「あたしは政治のことはよく分からないけど、あたしの知る人はみんな、桂十郎さんが世界大総統であり続けることを望んでる。アナタを、世界にとって必要な人だって認識してる。だから、そういう所からもちゃんと、自分の身は守ってね」
自らの命に未練など無い。だから『理由』さえ出来れば、アイスは依頼を受けるだろう。誰の反対があろうと関係ない。そしてパパは、反対はするだろうが最後には必ずアイスの味方になり、その声を聞き入れる。
世界に必要だと彼らが言うから。個人的には特に殺したい『理由』も無いから。だから手を出す気が無いというだけ。何より『目的』を果たす前に死ぬのは心残りになる。
人生を賭けた『目的』、その為にただ生きているだけなのだから。
開いているのかいないのかもよく分からない桂十郎の視線を受け止めながら、エミルはまたティーカップを持ち上げた。
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