09
通りすがりに困っている人に会うのは日常だが、だったら世界大総統に会う確率はどうなのか。最近やたら多い気がする。
すれ違おうかというところで、エミルは思い出したように胸の前で両手を合わせた。
「世界大総統の人!」
「ん? あー、君は……」
「お久しぶり〜! 元気?」
久しぶり、と言うほど親しい間柄でも無いのだが、それはエミルには通用しない。見目よりいくらか言動の幼い少女は、ただただ純粋かつ無邪気だ。
以前会ったのを思い出したのか、桂十郎も笑顔で「久しぶり」と返す。
「華山桂十郎だよ。肩書きよりは名前で呼んで欲しいなぁ」
「分かった、桂十郎さんね! あたしはエミルよ。エミル・クロード」
ぱあっと花が咲いたように笑ってエミルは応えた。
ありのまま、余計なことは深くは考えない。それが『アイス』と『エミル』の共存を続けていくコツだと教わった。アイスとしては、冷酷に、狡猾に、本来の幼さを隠し通して、思考を止めず、別人になり「殺し屋」を演じ続けろと。その分エミルとしては、そのままの自分で居て良いからと。完全に分けておくことで、気付かれることは無くなる、と。
つまりこの純真無垢で幼い少女こそが、彼女の「本質」。何も飾らないありのままの姿。
「今日は一人なのね? どこかに行く途中?」
「ちょっと息抜きにね」
「息抜き……。ねえ、じゃあ、一緒にお茶しない?」
「え?」
噂などでどんな人物か調べるくらいなら、自分で関わるのが早い──というわけではなく、誘った本人はそこまで考えてはいない。何も考えず、純粋な誘いだ。
そもそも依頼した情報は翌日には受け取っていた。三日も経っていて、今更調べることは無い。
突然の発言に戸惑う桂十郎の手を握って、エミルは「こっち!」と歩き始めた。
「悠仁のお店行こ! お茶いれるの上手なんだよ」
眩しいほどの満面の笑みでグイグイと引っ張っていく。
やがて通い慣れた道に差し掛かり、一件の可愛らしい看板の店に辿り着いた。雑貨屋「ラピュセル」、そこが悠仁が常駐する店だ。
「悠仁〜、お茶いれて〜!」
遠慮という言葉を知らないかのようにエミルは店内に入り声をあげる。
店内には珍しい商品を特に揃えている中、チラホラと絵が飾られている。その絵も商品であったりなかったりするものだ。希望があれば取り寄せも承っていることで、それなりに常連の多い店でもある。
「何だ姫さん、また茶だけ飲みに来たの……か……」
「あ、桂十郎さんは紅茶派? コーヒー派?」
「あー、コーヒーかな。ブラックで」
「だって。よろしく悠仁!」
レジの奥から出て来た悠仁が、エミルに声をかけようとして止まった。それに気付く気配もなく、当のエミルは桂十郎に聞き、またクルリと悠仁に向き直る。
結局いつだって悠仁は彼女のその笑顔に負けるのだ。
「…………ハァ。奥で待ってろ」
「はぁーい」
ニコニコと笑いながらエミルはまた桂十郎の手を引いて店の少し奥へと促す。ほんの数席のカフェスペースがあって、その一席に桂十郎を座らせては自分もその向かいに座った。
「えっと、何で急に俺を?」
「ん? だって、一人より二人の方が楽しいじゃない?」
また、にこり。
何度も一緒に出かけるような親しい友人は、実は居ない。何も考えずとは言え、最低限人に踏み込みすぎないよう、踏み込まれないよう、常に一線は守っている。だからこうして「その場限りの付き合い」を楽しむ。一度誘った相手は、誘われれば基本的に断らないが、再び自分から誘うことはない。
周りでは「エミルと仲が良い」と思っている者は一定数居るだろうが、総じてエミル自身にとってはそうでもないのだ。
ふと、そういえば、とエミルが通学鞄を漁り始めた。
「ホテルにも持ち込むくらいお仕事忙しそうだったって聞いたから、気になってたの。ハイ、これあげる!」
「?」
ぱっと取り出してエミルが桂十郎に差し出したのは、ホットアイマスク。未開封のパッケージそのまま剥き出しで、プレゼントとは言い難い状態ではある。
一瞬驚いた様子を見せた桂十郎は、次に考えるような仕草をした。あれだけ事務仕事のある人が単身ホテルに入ることが、一体どれだけあるだろうか。心当たりは、アイスを休ませてくれたあの日くらいのものなのかも知れない。そしてそれを思い返しているのか。
全くの別人を演じていても、元は一人だ。接触も無い関係を演じようとすれば矛盾が生じるかも知れない。だからここに関してはワザと、「エミル」と「アイス」両方と接触がある相手には匂わせるようにしている。
二人には繋がりがあるのだと。
少なくともこれまでは、それによって同一人物だとバレたことは無い。
「エミ……」
「お待ちどーさん」
ホットアイマスクを受け取って何か言おうと桂十郎が口を開きかけたところで、悠仁がコーヒーカップとティーカップを持って出て来た。それぞれ桂十郎の前、エミルの前に置く。
ありがとう、と悠仁に笑いかけるエミルに、桂十郎は言及することは無かった。第三者が居ることを気遣ったとでもいったところか。
ミルクを垂らし、砂糖はたっぷりめに。紅茶を甘くするエミルは誰が見ても幼い少女だ。長身なことから大学生くらいに見られることがよくあるが、現在高校一年生である。それでも歳にしてみれば随分幼く純粋な性格をしている。
クスッと笑った桂十郎も同じことを考えたのか、コーヒーカップを持ち上げながら問いかけた。
「そう言えばエミルって歳はいくつなんだ?」
「ん? 高一だよ〜」
「えっ!?」
「あはは、大学生くらいだと思った? よく言われるんだ〜」
「いや、どっちかと言うと年齢不詳というか」
見目からの年齢よりは下だし、性格から連想される年齢よりは上になる。それが一般的なエミルに対する評価だ。顔付きにまだ幼さが残っているにも関わらず成人前後に見られることまであり、西洋出身なだけあって皇人よりは顔付きも身体付きも大人っぽいとも言えるだろう。
そもそも制服であることにまず気付いて欲しいところだ。
「紅茶ならストレートでも飲めるんだけど、やっぱり甘い方が好きなんだ〜」
「そっか。……お、美味い」
「でしょ!」
コーヒーを褒められたことが嬉しかったようで、またエミルはぱあっと表情を綻ばせる。自分が淹れたわけでもないのに、親しい間柄の悠仁が褒められたようで。
「ありがとうございます。コーヒーは俺が好きだし、姫さんは紅茶が好きだしで、趣味程度の感覚でこのカフェスペース作ってるだけなんですけどね。コーヒーの味も、もうちょい改良の余地がありそうなんですけど……」
「ん? じゃあ俺の知り合いが趣味でやってる喫茶店に行ってみるか? そこのコーヒーも美味いんだ。コツでも聞いてみるといい」
「え、良いんですか?」
「おー、ちょっと聞いてみるわ」
営業スマイルを満面に浮かべた悠仁の言葉に桂十郎は提案を出し、表情を作るのを忘れて驚いた様子には携帯を取り出した。
すぐに了承の返事が来たとのことで、悠仁は喜んでエプロンを脱ぎ始めた。
「海斗、店番頼む。俺ちょっと出てくるわ」
「分かった、いつ戻る?」
「未定」
「了解」
エプロンを受け取り、海斗は見送る体制になる。紅茶を飲み終えたエミルも当然のように立ち上がり、桂十郎と三人で店を出て行った。
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