07
雑貨屋の裏口で、アイスは扉を三回ノックした。
『mon maitre』
「princier fillette」
扉越しの機械のように義務的な声にすかさず返すと、その扉が開く。裏口から入る時の、これが合図だ。
「姫さん、急にどうしたんだ?」
招き入れたアイスを、エミルを呼ぶ時と同じ呼称で悠仁が呼ぶ。同一人物を相手にしているのだから当然だ。彼の驚いた様子は、随分と素直だった。
いつもは来る前に連絡を入れる。だが今日はホテルからまっすぐ来たせいでそれを忘れてしまっていた。
店側から顔を覗かせたこの雑貨屋の店員でありエミルの同居人・
「依頼よ」
一言言えば、ハッとした様子の海斗はすぐに店の方へと戻って行った。いつも「仕事」には関わらせない。これはルールだ。そしてその一言に、悠仁も表情を引き締める。
「華山桂十郎の情報をちょうだい。前の『羊』の時みたいな無茶はしなくていい。噂とかテレビで報道されてることとか、そういう表層部分で良いから、取れるだけ取ってきて」
「世界大総統? 何かあったのか?」
「顔を見られたかも知れないわ」
眠ってしまっていた間、何も無かったとは確信出来ない。もし顔を見られていたら。もし『エミル』と繋がってしまったら。
まして相手は世界大総統だ。厄介なことこの上ない。
『羊』の情報を依頼した時は、偶然とはいえその情報を得られてしまったせいで口封じされる危険性があった。情報屋の『夢幻桜』たる悠仁も含めて、何故生かされたのかは未だ分からないままだ。
そんな危険は、もう二度と侵さない方が良い。
「分かった」
いつも通り快く引き受けた悠仁は、何だか苦い表情をしていた。状況の厄介さに……とは違っているように見えるが、彼は何を考えているのだろうか。
だがすぐ後、気分を変えるようにぱっと顔を上げる。
「ところで、今日は仕事だったんだろ? どうだった?」
「どうもこうも、あんな雑魚相手に何が起こるっていうのよ。ちょっと遊んでみたけど、相変わらず弱すぎて話にならなかったわ」
「オイオイ、こういう仕事は油断大敵じゃないのか?」
「二年前とは違う、なんて大見得切ったんだもの。楽しませて貰えると思って期待した分、ガッツリしたわ」
「まあ、姫さんに勝てる奴はそう多くないからなァ」
笑いが苦笑に変わってくる。これは、相手を憐れんでいる顔だ。
今回の仕事に時間をかけたのは、以前会った時よりは強くなっているかと期待して、相手の実力を引き出そうと思ったからだ。普通にいつも通り戦っていたら瞬殺してしまうから。
負けるのは面白くないが、強い相手との戦いそれ自体は楽しい。幼い頃、訓練中の師である二人との戦いがまさにそうだった。
二人のうち一方は引退して長く、当時の実力はもう無い。もう一方は死んでしまった。故に今、アイスより強い者は外にしか居ないのだ。具体的に言えば、同程度である『羊』の面々、恐らくそれより実力も上だろうリーダーの東間青水と、その師・御厨弦月。
他にはまだ、見ていない。
「見てみたいのは、
思わずうっとりとしてしまう。『羊』たちの中でもその戦いぶりを見たことは無い。
知らないことは恐ろしいことだが、これに関しては楽しいことの方だ。機会はそうそう無いだろうが、見られるものなら見てみたい。
別枠で東間青水と御厨弦月に関しても分からないが、こちらは実力が桁違い過ぎて見たいとも思わない。遊んでくれるなら訓練くらいにはなるだろうか。
「……魔法、ね」
何かを考え込むように悠仁は視線をずらす。考えていることは分からないが、例えば「魔法なんて非現実的だ」とかだろうか。見たことがなければそう思うのも無理は無い。
だがアイスは以前、魔法はファンタジーだと零した時に弦月に言われた。
──『おやおや、貴女が其れを言いますか? 彼の一族の次期当主とされていた、貴女が』
アイスが生まれた一族は特殊だった。魔法にも近しい『
だけど、聞かれないならそれで良い。知ればきっと、『紫炎』のような目を向けられる。彼らの目があんな色を灯すくらいなら、何も知らないで居てくれた方が良い。
「そろそろ帰るわね。今日の依頼の件、頼んだわよ」
「ああ。揃ったら連絡する」
あっさりとしたやり取りをして、アイスはまた裏口から出て行った。
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