武人の正体

「その辺で勘弁してやってくれ」と、また武人の声がして、耀輝ようきは慌てて辺りを見回したが、それらしい人影はなかった。


「どこだ? 隠れていないで出てこいっ! あんたのしもべは二人とも片づけたぞ。次はあんたの番だ!」


「さっきから俺はここにいる。おぬしが気づかぬだけだ」


「なんだと?」


 耀輝ようきは再び目を皿のようにして周囲を見回したが、武人の姿は見当たらない。


「上をみろ」という声に、空を見上げてみると、本堂の屋根からさらに十尺ほど上空から、武人の姿が悠然と見下ろしていた。


「舞空術か」


 武人は静かに地面へ降り立つと、気絶している武藝者に闘気を注入して、意識を呼び戻した。


「申し訳ございません。閣下の仰る通りでした……」


 意識を取り戻した武藝者と肋を折られた武藝者が並んで包拳し、丁寧に一礼した。


「やはり、われらでは到底……」


 武人は鷹揚に肯いて、


「納得したか、丁玄ていげん?」


「はっ!」と、声をかけられた偉丈夫が、包拳したまま肯く。


皇嵩こうすう?」


「はっ!」と、もう一人も慇懃に肯いた。


 武人に挑もうといきり立っていた耀輝ようきは、外見はそこらのならず者にしかみえぬ二人の態度が非常に礼儀正しいのに驚き、そういえば、武人の衣装も先日とは違い、二人と変わらぬ粗末なものであることに気づいた。


 確かに、あの格好でここへ来ようものなら、強盗どもが群がって、道中は死体の山を築かざるを得まい。


 彼らの衣装こそ天狼街てんろうがいに相応しい装いなのだと、耀輝ようきは思った。


 ――この者たちのあるじに対する礼の尽くしようは、並の主従のそれではない。


 耀輝ようきは再び先日武人に斬りかかった際に、まるで相手にならなかったのを思い出し、滾り立っていた闘志が急激に萎えるのを感じた。


「あんたら只者じゃないな。何者だ?」


 耀輝ようきが訊ねると、丁玄ていげんと呼ばれた偉丈夫が気まずそうに微笑み、「いきなり挑みかかり、すまなかったな。おぬしの力量を知りたかったのだ」と、答えた。「俺は禁軍右大将丁玄ていげん


「左大将の皇嵩こうすうだ」


「き……!」と、耀輝ようきは目を剥いた。「……禁軍だと?」


 さすがに、三人のみすぼらしい格好からは想像がつかなかった。


 ましてや、ついいましがた倒した相手が、その左右大将だというのは、あまりに突拍子もない状況である。


 いかに天才を自負する耀輝ようきといえども、自分が禁軍大将を打ち負かせるほどの手練れとは思っていない。


 にわかには信じられなかった。


 しかも、武人はそのあるじであるという。


 禁軍大将の上となれば、つまり……!


「まさか、そんな……では、その方は?」


 二人の禁軍大将は、耀輝ようきの反応を面白そうに眺めている。


 左大将の皇嵩こうすうが言った。


「そうだ。おそらく、おまえの思っている通りのお方だ」


 右大将の丁玄ていげんが、あるじと言った武人の後ろへ控え、


「このお方こそ、名高き禁軍大統領、すなわち天覇将軍岳賦がくふ殿である」と、唖然としている耀輝ようきに告げた。


 耀輝ようきは反射的にその場へ跪き、深々と一礼した。


「知らぬこととはいえ、重ね重ね御無礼の段、平にお許しくださいませ」


 謝罪の言葉を述べながら、その声はさすがに震えていた。


 よりによって、街中でかの天覇将軍に辻斬りまがいの腕試しを挑んだのである。


 罰せられて当然の所業であった。


 まともに顔を上げることもできず、項垂れている耀輝ようきに、岳賦がくふは穏やかな口調で呼びかけた。


「面を上げられよ、耀輝ようき殿」


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