岳賦出陣

 前日には滝のように降りしきり、大地を水浸しにした豪雨も去って、緑林の上空には雲一つない青空が広がっていた。


 夜が明けても、しばらく両軍に目立った動きはなく、地面はなお泥濘ぬかるんでいたものの、戦に大きく影響するほどでもなさそうであった。


 高台に移した本陣から、寨の全景を見下ろしていた齊訡せいぎん黄頴こうえいは、やがて正面の門が開いて、中から騎馬の一軍が討って出るのを見た。


 漆黒の巨大な槍をかざし、自ら先頭に立って号令しているのは、確かに岳賦がくふであった。


 昨日の宣言通り、自ら討って出たらしい。


「俺はここにいるぞ! 邑綸ゆうりんよ、隠れてないで出てこい。決着をつけようぞ!」


 天にも届けと雄叫びを上げながら、槍を縦横無尽に振り回し、群がる敵兵を次々に突き伏せた。


 まるで無人の野を往くが如く西邑せいゆう軍を蹂躙する岳賦がくふの一軍に、勢いづいた緑林軍が寨から続々繰り出してきた。


 岳賦がくふ一人にいいように掻き回される体たらくに、見かねた齊訡せいぎんが自ら討って出ようとするのを、黄頴こうえいは懸命に引き留めた。


「御大将は我が軍の要、二度と捕われるようなことがあってはなりませぬ!」


「馬鹿を申せ。そう何度も捕われてたまるか。今度はわしが奴を捕らえてくれる。このまま野放しにしておけるか!」


 二人が押し問答するうちにも、岳賦がくふの一軍は圧倒的な強さで西邑せいゆう軍を駆逐し、後に続く他の軍団から少しずつ突出しはじめた。


 緑林軍は次第に縦長の陣形になり、岳賦がくふの勢いについてゆけず、少しずつ遅れる兵も出てきた。


 西邑せいゆう軍は、岳賦がくふの勢いに呑まれる格好で両翼へ広がり、先頭の一軍を懐へ呼び込むような陣形をとりはじめた。


「いま少し、いま少しの御辛抱を!」


 と、黄頴こうえいは出陣しようとする齊訡せいぎんを押し留めながら、


鳳凱ほうがい殿にまだ動きがござらぬ。昨夜の様子からも、必ずや岳賦がくふを狙って動くはず。まずはそれを待ちましょう」


 鳳凱ほうがいの名が出ると、齊訡せいぎんは冷静さを取り戻し、高台の本陣から、西邑せいゆう軍が縦長になった緑林軍の周囲を取り囲むような形になっているのを見て、



「む、いつの間にこのような陣形に?」


鳳凱ほうがい殿でござろうか。敢えて岳賦がくふを懐深く誘い込み、後続の軍と切り離す策ではないかと」


 しかし、その鳳凱ほうがいの姿はどこにも見えない。

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