床をさす女の子

岫まりも

床をさす女の子


       1


「おっ、いたいた」

 なんて言いながら、教室に入ってきたやつがいる。

 そいつはこっちへやってくると、前の席の椅子をかってに引きだして、逆向きにまたがり、

「なあ、陸翔りくと

 と、ぼくの名を呼んだ。「やっぱり出るんだよぉ」

 ぼくはしかたなく、読んでいた文庫本から顔を上げる。

 目の前に、風間かざま俊介しゅんすけのやんちゃな顔があった。

 月曜日の放課後――。

 ここは、緑沢みどりさわ中学校、二年一組の教室だ。

 むこうの端では、女の子のなかよし三人組が、キャッキャッと笑いながらおしゃべりしている。ほかに残っている生徒はいない。

 ぼくだって、月曜日は塾もないし、早く帰りたい。でも幼なじみの女子がバレーボール部に入っている。家がとなりなので、こういうときには送っていかないといけない。さもないと、あとのたたりがおそろしいのだ。

 それで、バレーボール部の練習が終わるまで、窓ぎわの自分の席で、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの短編集を読んでいた。そこへこうして、小学校からのくさえんの風間俊介がやってきた、というわけだった。

「ふうん、なにが出るって?」

 たいして興味はないけど、いちおう、そうたずねた。

 竣介がいきおいこんでしゃべりだす。

「だから、幽霊だよ。旧校舎の一年二組に出る女の子の幽霊。きのう忍びこんでみたら、やっぱり出たんだよ」

「なんだ、幽霊か」

 ぼくはため息をつき、再び文庫本に視線を落とす。

「なんだよ、もっとおどろけよ」

「だって、幽霊だろ?」

 幽霊なんてめずらしくもない。

 なにしろぼくは、いわゆる「見える人」なのだから。あっちこっちでやたらと見ている。いまさら興味はわかない。

 ふと、窓のほうへ目を向けた。

 窓ぎわに双子ふたごの兄の海翔かいとが立って、グランドのほうを見おろしている。陸上部の女の子にお気に入りがいる、と言っていたから、それをながめているんだろう。兄も、ぼくらの会話には興味がないようだ。

「んもう、はりあいのないやつだなぁ。まあ、とにかく聞けよ」

 いらだった竣介が、ぼくの文庫本を引きよせ、開いたページにどんと両手を乗せた。

 ぼくは「あ」と声をあげた。もうあと五行読むと、キリのよい所へいくのに。

 ぼくが迷惑めいわくしているのにはおかまいなしに、竣介は話をはじめた。

 それは、こんな内容だった。


       2


 ぼくたちの中学校の敷地しきちのすみに、昔の校舎が残っている。

 ちく六十年とかいう、古い木造の校舎だ。みんなは「旧校舎」と呼ぶ。一階はいまでも倉庫として使われ、不要の机や椅子の置き場となっている。

 生徒は立ち入り禁止だ。

 その旧校舎の二階、一年二組の教室に、女子生徒の幽霊が出る、といううわさがあった。いわゆる「学校の七不思議」として、昔から伝わっている伝説だ。

 出るのは雨の日で、ひとりかふたりで教室に入るのが条件らしい。

 もちろん、ぼくは気にもしなかった。

 でも竣介は興味を持った。

 幽霊が出るか出ないか、ということではない。

 なぜその幽霊が出るのか、という点だ。

 彼は、ぼくほどではないが、「たまに見える人」だ。これまでの経験で、幽霊が出るには出るだけのわけがある、とわかっている。

 旧校舎の一年二組に出るとしたら、なぜそこなのか?

 竣介はそれを知りたかった。

 一番ありそうなのは、昔、女子生徒が、旧校舎で亡くなった、ということだ。

 もしもその死が突然の事故だったとしたら、女子生徒は自分が死んだことを受け入れられなかったかもしれない。だから成仏じょうぶつできなくて、幽霊となって出る。

 あるいは、その死は自殺だったのかもしれない。級友からいじめられ、旧校舎で自殺した。だからうらみの念が教室にこもって、幽霊となって出る。

 そんな理由が考えられた。

 でも、調べてみても、過去に学校で死んだ生徒はいない、という。

 そこで竣介は、まず本当に幽霊が出るのかどうか、確かめてみようと、旧校舎に忍びこむことにした。

 入るのは俊介ひとり。

 しかも、きのうの日曜日は雨。

 ちゃんと伝説の条件を満たしている。

 旧校舎は、生徒は立ち入り禁止とのため、戸や窓には鍵がかかっている。竣介は、裏手の窓の鍵をうまくあけ、なかに入ったという。

 ひとけのない薄気味悪い校舎のなかを、そっと歩いていって、二階の一年二組の教室へ入る。

 だれもいない。

 と、思った。

 少しすると、教室のうしろのほうに、もやもやした煙のようなものが浮かんだ。

 煙は、見ている間に、かなりはっきりした人の像へと変化した。

 女子生徒だった。

 小柄な子だ。おかっぱ頭で、セーラー服を着ている。制服のデザインは、どことなくいまのものと違う。なんだかやぼったい。彼女はうつむいていて、顔はよくわからなかった。

 女子生徒はうつむいたまま、ゆっくりと手を動かして、床を指さした。竣介の立っているところからすこし前のほうだ。

 竣介は、思わずあとじさった。

 すると、さがったときに踏んだ床板がくさっていて、めきっと音をたてた。さいわい、板が割れて、足が落ちるほどではなかった。

 でも、女子生徒の幽霊が、自分にケガをさせようとしたように感じられた。

 怖くなった竣介は、早々に旧校舎を引きあげることにしたのだった。


       3


「なあ、どう思う?」

「どう思う、って?」

 竣介に訊かれたけど、なにを答えればよいのか、よくわからない。

「だからさ、その女の子、なんで旧校舎に化けて出てくるんだろうね?」

「お前のその話だけで、推理しろってか?  ぼくはシャーロックホームズじゃないけど?」

「だってお前、幽霊、見えるだろ? 経験けいけん豊富ほうふだろ? なにかわかるだろ?」

 いきおいこんでそうまくしたてながら、竣介は、ぼくの文庫本を閉じてしまった。

 うわ。しおり、はさんでないのにさ。

 ぼくはにらみつけたけど、竣介はまったく平気な顔をしている。

 しかたなく、少し考えてから、答える。

「幽霊が、雨の日に出る、とか、ひとりかふたりだけで教室に入ると出る、っていうのは、たぶんそういうときに波長が合う、ということだと思う」

 あくまでぼくの考えだけど、幽霊が見える、っていうのは、普通に物が見えるのとは違う。普通に物が見える場合、光が当たって、反射したのが眼に入って、眼の神経が刺激しげきされ、という手順をふむ。

 でも幽霊の場合はそうじゃない。宙をただよっている霊体れいたいが、電波みたいなものを出して、人の脳を直接刺激する。その電波を受信できる体質を持った人が、いわゆる「見える人」だ。

 雨の日に限ってその幽霊が出るのは、そういう日に、電波の波長が合いやすい、ということなんだろう。

 ひとりかふたりだけで、という条件も、人が多くてにぎやかだと、電波が乱れる、ということじゃないだろうか。

「そして、二年一組に限って出るとしたら、霊体がその場所に執着しゅうちゃくしている、ということだ」

「でも、二年一組どころか、学校で死んだ生徒だって、いないんだぜ」

 と、竣介はさっきの話をくりかえす。

 ぼくはうなずいて、続ける。

「たとえば、学校で亡くなったわけじゃないけど、いじめを受けて、家で自殺した生徒がいたとする。いじめっ子が二年一組の生徒だったから、その教室に化けて出る、とか……いや、それなら、直接そのいじめっ子のところに行くか」

 竣介が、うんうん、とうなずくのを見て、続ける。

「じゃあ、こういうのはどうだろう? その女の子は事故か病気で亡くなった。でも、ひとりであの世へ行くのはさびしい。だれかを道づれにしたい。だから床を指さし、念力ねんりきで床板をこわして、けがを負わせ、殺そうとした……うーん、まだるっこしいな。床板をこわす念力があるくらいなら、直接人に働きかけて、殺せばいい。そもそも、旧校舎にとどまっていたって、基本的に人は来ないんだもんな」

「そうなんだよ。人が来ないのに、たぶん、ずっとその場にとどまっているんだ。なんだか、かわいそうだよな」

「そんなの、考えられるのは、ひとつだろ?」

 と、そのとき、横から会話に割りこんできたやつがいる。

 ぼくは首をひねって、窓のほうを見た。

 さっきまでグランドを見おろしていた海翔かいとが、いつのまにか、ぼくのほうを向いていた。

陸翔りくと、とぼけるなよ、お前だってわかってるんだろ? その幽霊が床を指さしたのは、そこになにか大切なものがあるっていうことだ。そうだろ?」

 海翔がとがめるようにぼくを見つめる。

 もちろん、そんなことは、俊介の話を聞いてすぐにわかったことだ。

 わかったけど、ちょっと竣介をからかってやろうと思って、わざとありえない可能性を説明していたんだ。

「そうだな……」

 ぼくは両腕を組み、背もたれにもたれかかって、考える。

 床になにかがある、といっても、単に落ちたものなら、とっくにだれかが拾っているだろう。

 そのなにかは、床下にある。

 ぼくは、今朝の新聞で見た、今週の天気予報を頭に思いうかべていた。


       4


 次の土曜日。

 ぼくは海翔といっしょに旧校舎にやってきた。

 天気予報は当たって、しとしとと雨がふっている。

 旧校舎の裏手は小さな山に面している。雑木林ぞうきばやしのなかをくぐりぬけ、人に見つからずに近づくことができた。

 竣介が忍びこんだという一階の窓は、すぐにわかった。

 旧校舎の窓は、枠が木でできた、引きちがい戸だ。中央に重なった木枠に鍵穴があいている。その鍵穴に、内側から長いネジ状の鍵をさしこんで、回してとめるようになっている。

 このテのものは、外から窓枠をつかみ、ネジと逆方向に回していくと、外れるのだ。

 竣介はそうやったのだろう。いまはネジ状の鍵を、内側から半分だけ入れて、窓をしめてある。

 窓までは少し高さがある。

 竣介に聞いたとおり、近くに小さな木製の台がころがっていた。それを持ってきて、踏み台にし、窓によじのぼって、なかに入った。

 雨の日の校舎のなかは薄暗うすぐらい。ギシギシと古い床を鳴らして進む。幽霊を見慣みなれているので、あまり怖いとは感じない。ただ、床板がくさっているかもしれないので、注意しながら進んだ。海翔はだまってうしろからついてきた。

 階段をのぼり、一年二組の教室へ入る。

 木製の机と椅子は、昔あったとおりに並んでいる。

 最後列の席と、うしろの壁の間には、ニメートルくらいのすきまがあいている。

 そこに、ぼうっと青白い光が浮いた。ねぼけたときに、目の焦点しょうてんが合わないことがある。それに似て、うまく光のようすをとらえられない。

 よく見ようと、目をこらす。

 青白い光は、じきに女の子の姿に変化した。背は低めで、やせている。セーラー服を着ているが、いまの制服とはすこし感じが違う。身体より大きめで、スカートがひざより長い。竣介が「やぼったい」と言っていたとおりだ。髪はおかっぱで、うなだれている顔は、ぼやけてよくわからない。

 女の子は、前方の床を指さしていた。

「そこに、なにかあるの?」

 ぼくの問いが聞こえないのか、女の子は反応しない。

 念のため、もう一度たずねたけど、同じことだった。

 ぼくは背負ってきたバックパックをおろした。なかからLEDライトを取りだして、幽霊がししめしたほうの床を照らした。

 黒く炭化した床板が並ぶなか、そこだけ二枚ほど、すこし新しめの板が張ってある。とちゅうで修理したのだろう。

 ぼくはバックパックのなかから、小型のバール(釘ぬき)と金づちを取りだした。新しめの板をとめた釘のところにバールの先をあて、お尻を金づちでたたいた。バールの先が釘の下にくいこむと、てこの原理で釘をひっこぬいた。

 釘を全部ぬくと、板をはずして、床の下にライトを向ける。

 ずっと奥のほうに、白っぽいものが落ちていた。

 腕をつっこんで、なんとか取りだした。

 ほこりにまみれたそれは、封筒だった。すっかり汚くなっているけど、ピンク色の、女の子が使うような封筒だ。すこしふくらんでいるのは、なかに便せんが入っているせいだろう。封筒の表には、かわいらしい字で、男性のあて名が書いてあった。

「ラブレターだな」

 と、海翔が言った。ぼくの肩口から封筒をのぞきこんでいる。

「そうみたいだね」

 ぼくがあいづちを打つと、海翔はとうとうと自分の考えを語りはじめた。

「たぶん、こんなことだろう。

ある日、彼女はラブレターをカバンにいれて、学校に持ってきた。でも、もじもじとして、相手にわたすことができない。

そのうち、いじめっ子が手紙をみつけた。いじめっ子は、はがれそうになっていた床板をめくって、床下に手紙を隠した。こわれた床板はすぐに修理された。

いじめっ子は、女の子に隠し場所を教えたかもしれない。でも、もう取りだすことはできなかった。

それから間もなく、女の子は亡くなった。事故か、病気か、自殺か、わからないけど。

死んだ彼女は、それでも手紙が気になるものだから、霊魂れいこんとなってここにとどまっている。

そんなところだな」

「それ、あの子に聞いたのか?」

「いや、ただの想像だ」

「聞いてみろよ」

「聞くもなにも、おれには見えないんだ。波長が合わないんだよ」

「なんだよ。役に立たない幽霊だな」

「悪かったな。役に立たない幽霊で」

 海翔がいじけた顔をする。

 そう。

 海翔は幽霊だ。

 まだ赤ん坊のころ、ぼくらふたりはインフルエンザにかかった。ぼくは大丈夫だったけど、海翔は脳炎のうえんをおこして亡くなった。それ以来、海翔は幽霊となって、ずっとぼくのそばについている。ぼくと同じように成長しながら。

 そんな幽霊のくせに、海翔は同じ幽霊がほとんど見えない。ぼんやりとした影を感じることぐらいは、あるらしいのだが。

「まあ、いいけどさ」

 と、ぼくは答え、幽霊の女の子に向けて、手紙をかかげた。

「これ、なかを読まないで、燃やすよ? それでいいかい?」

 うなだれた女の子は、ぼくのほうを向いて、かすかに――本当にかすかに、うなずいた。

 父の兄、つまり伯父は、神社の神主さんをつとめている。これまでにも、不吉な人形をおはらいしたうえで、燃やしてもらったことがある。今度も、たのめば、すぐに処分してくれるだろう。

 ぼくは手紙をバックパックのポケットに入れて、立ちあがった。

 歩きだすと、海翔と女子生徒のふたりの幽霊が、ゆらゆらとついてきた。

 ふたりの幽霊を引きつれたぼくの姿は、ハタから見ると、きっと滑稽こっけいだろうな。でも、ほとんどの人には見えないのだから、全然気にしないんだ。

 ぼくは来たときと逆の順をたどる。

 旧校舎から出た。

 外はいつのまにか雨がやんで、あたりに薄日うすびがさしている。

                                 〈了〉


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