第27話 幽霊の未練
そして、幽霊は語り出す。
『健康だけが取り柄なぐらい元気な娘だったんだが……、急に灰石病に掛かってしまって。まだ十歳だっていうのに』
「灰石病?」
俺の知らない病気だった。ちらりとフレキを見ると、耳元で教えてくれる。
『手足が石のようになる病気じゃ。緩やかに進行し、心臓などの大切な臓器が石化したら死んでしまう。恐ろしい病気じゃ』
「治療法は?」
『……ない』
フレキが俺の耳元でこっそりそう答えるのと同時に、
『よく効くいい新薬があるんだが、とても高くて手が届かない』
幽霊はそう言った。
恐らく、フレキが人の社会を離れ、森に移ってから開発された薬なのだろう。
「これが、その新薬の瓶か?」
俺は先ほど手に取った瓶を見る。
『そうなんだ。これが、あればアンナが助かる』
「ちなみに、この小瓶はどうやって手に入れたんだ?」
『…………』
それまで饒舌に語っていた幽霊が急に口を閉ざした。
「心配するな。たとえ悪事をなして手に入れたものだとしても、俺は罰しないし、叱ったりもしないよ」
『本当か?』
「ああ、本当だ」
彼はもう死んでいるのだ。
今更、人族の、生者の法で裁けるわけもなし。
それに、死者の魂を罰することは、死神の仕事ではない。
どんな悪人の魂であっても、受け入れるのが死神だ。
「死神はどんな悪人でも受け入れてくださるからな」
そういうと、幽霊はほっとした様子を見せた。
『この薬は人神さまの神殿に忍び込んで盗んだんだ』
そう、幽霊は白状した。
『その特効薬は、人神さまの神殿が開発したんだけど、値段が高くて……』
「ちなみに、どのくらい?」
『それなりの腕前の金属細工師だった俺の収入の二年分だ』
「高いな」
『素材が高くて、製法も難しいとか神官は言っていたな』
だとしても高い。
『治療薬は高くて、とてもじゃないが買えない。だけど、アンナには俺しかいないんだ』
盗みは悪いことだ。
だが、一人娘の命を救うために、罪を犯したこの幽霊を誰が裁くことができようか。
「盗んだ帰りに荷崩れに巻き込まれたのか?」
『そうなんだ。鍵はちょちょいって開けられたんだがな。俺は金属細工の副業として錠前も作っていたから』
俺はこの物置部屋から地上に出る階段を見る。
そこにつけられた鍵は、錆付いており、開けられるようなものではない。
つまり、この幽霊は、かなり長い間ここにいるのだろう。
『警備員に追いつかれないよう時間稼ぎのために木箱を移動させようとして……この有様だ』
「なるほどな」
『もう一月も経っている。急がないとアンナは死んでしまう』
俺は本当のことを告げようか、少し迷った。
恐らく一月どころか、数年は経っているだろう。十年以上経っていてもおかしくない。
父を失った致死性の病にかかった幼いアンナが、生きているとは思えなかった。
「アンナがどうなっているか、わからない。もしかしたら、もう死んでいるかもしれない」
そういうと、幽霊は泣きそうな表情になる。
『それでも……俺は……、この薬を届けてやりたい。もし万が一、死んでいるなら墓に謝らないといけないんだ』
「……わかった。連れて行ってやろう」
『いいのか?』
「ああ、未練を解消させる手伝いも、俺の仕事のうちだ」
『ありがたい。早速だが、俺を潰している木箱をどかしてくれないか』
「わかった」
俺は木箱を持ち上げて骨の上からどかす。
幽霊なのだから、木箱をどかさなくても本当は動ける。
だが、木箱に潰され、抜け出そうとして抜けだせずに、死んだ幽霊なのだ。
動けないと思い込んでいるし、実際にどかさないと動けない。
そういうものだ。
木箱を動かしていると、
『よいのか?』
フレキが離れたまま、俺の耳元でささやいた。
『娘の死を知ったら、よりどころがなくなり、亡者になるやも知れないぞ』
「……わかっているさ」
『ならばよい』
生きているかも知れないと思いながら、未練を残して天に還るのか。
悲しくて苦しい真実を知ってから、天に還るのか。
どちらが幽霊にとって幸せなのか、俺にはわからない。
だから、幽霊の希望を叶えることにした。
木箱をどかして、俺は幽霊に向かって言う。
「もし、自我を失うようなことがあれば、その時点で天に還す。それでいいな?」
『ああ、わかっている。頼むよ、使徒さま』
幽霊は優しく微笑んだ。
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