第15話 死神の使徒は殺さない
しばらく歩いて、弟妹たちの姿が見えなくなったところで、俺とフレキは走り出す。
ゆっくり歩いていたら、フレキの森を出るまでに数時間かかるからだ。
「フレキ。疲れたら言ってよ。歳なんだから」
『まだまだ、若い者には負けぬわ! フィルこそ、無理はするで無いぞ?』
「わかっているって」
俺もフレキも、長距離を走れるよう、全力では走っていない。
だが、走り始めて二十分ほどで、フレキの森を出た。
「森を出るのは初めてかもしれないな」
森を出ても、人族の痕跡はない。
ただただ、原野が広がっているだけだ。
『地図は頭にはいっておるな?』
「もちろん」
フレキからこの世界の地理などは教わっている。
『どこに行くか、なにをするか。全てフィルの自由じゃ』
「そっか」
『わしは、使徒として必要な知識をあらかた教えた。だから使徒として何をすべきか自分で考えて動くのじゃ』
「色々教えて貰ったけど、どれだけ覚えているか、自信ないなぁ」
『頼りないことを言うでない。わしは、基本的にフィルについていく。求められぬ限り、使徒としての振る舞いについて、何も言わぬし何もせぬ。……やらかしたときはあとで言う』
「やらかす前に言ってくれよ」
『それでは覚えぬ。……まあ致命的なやらかしだと思えば言うがな』
「わかった。そのつもりで動くよ」
俺がそういうと、フレキは満足そうに尻尾を揺らす。
『戦闘時も、基本的にわしはなにもしない』
「え? 世界は厳しいんじゃないの?」
フレキはこれまで、世界には強い奴が山ほどいて、恐ろしいところだと言っていた。
『強い奴は沢山おる。だがわしは最強の魔狼なのじゃ。わしがでれば、労せず勝てるじゃろ』
「なるほど、独り立ちしたときのために、一人で戦う訓練をしろと」
『そういうことじゃ。それと、絶対にわしをかばうでない』
フレキはそういうと、俺を睨むように見つめる。
「……わかったよ。俺はフレキをかばわない」
『……頼むぞ。もうあんなことは、つらいゆえな』
フレキはぼそっと小さな声で呟いた。
フレキの森を出た俺とフレキはそれなりの速さで走っていく。
「む? 追われているな。魔熊?」
フレキの森に入れない肉食の魔獣が、森の外には沢山いるようだった。
『わしはなにもいわぬぞ? 自分で判断し、自分で対処せい』
「わかっているって」
俺は足を止めて、魔熊を待ち受ける。
フレキは気配を殺し、俺から少し離れた場所に姿を隠す。
「フレキは気配を消すのがうまいなぁ」
音が聞こえず、姿が見えないのは当然で、匂いすらしない気がするほどだ。
「まあ、俺の鼻が狼ほど良くないってのもあるんだろうけど」
俺が独り言を呟いていると、あっという間に魔熊が追いつく。
「……」
魔熊は威嚇せず、鳴きもせずに突っ込んでくる。
俺を縄張りを侵した敵だと思っていたら、威嚇するはず。
つまり、俺を敵ではなく、獲物だと思っているのだ。
俺を捕らえようとして魔熊は鋭い爪の生えた右腕を振るう。
それを受け止めると、力を受け流し、投げ飛ばし、魔熊のお腹に拳を打ち込んだ。
「GUBUU!」
魔熊は驚き、変な声を出すと、慌てたように俺から距離を取る。
「追わないから、逃げていいぞ」
「GAAUUU!」
魔熊は二本足で立ち上がると、咆哮し、威嚇を開始する。
どうやら獲物から敵に昇格したらしい。
「縄張りからも、すぐに出て行ってやる。だから去っていいぞ」
「GAAA……」
「ガアアアアアアアアオオ!」
ダメ押しに大声で威嚇してやると、魔熊は走って逃げていった。
「フレキ、どうだった?」
『うむ。黒髪黒目まま、よく戦った。うまく魔力を抑えていたな』
「うん。人前で銀髪赤目になったら、目立つもんね」
『とはいえ、力を抑えて死んでは元も子もならぬ』
「わかっている」
『それで……フィル。なぜ、殺さなかった?』
以前、フレキから生物はむやみ殺すなと教わった覚えがある。
フレキが今にも死にそうでつらそうだった頃の話しだ。
「俺は死神の使徒だからね。あの熊には寿命が来ていない」
俺はフレキの教えと、死神と出会ったときに死神が伝えてきたことを合わせて考える。
死神にとって、生物は寿命を迎えて死ぬことが最良なのだ。
『ふむ。だが、あの熊が寿命を全うするとは、まずないとおもうぞ?』
「だろうね。野生だし」
野生の熊にとって、死は身近なものだ。
野生は老いて衰えたら簡単に死ぬ。衰えずとも、死ぬことは多い。
縄張り争いや狩りで怪我を負うことは多いが、野生では簡単な怪我が死に直結する。
「寿命を迎えずに死ぬことは仕方がない。この世界に、死はありふれている」
人も野生の動物も、簡単に死ぬのだ。
一昨日まで元気だった母が、あっさり死んだようにだ。
「人が熊を殺すこともあるだろう。他の使徒が殺すこともあるだろう。だが、死神の使徒が直接手を下すのは少し違う」
『何が違う?』
「死神の使徒は、死神の代理人。だから俺が殺すのは違う」
『フィル。そなたは死神の使徒であると同時に人族でもある』
「そうだね。だから食べるために殺すし、身を守るためにも殺すよ。人として」
『そうか』
そういうと、フレキはゆっくりと歩き出す。
「フレキ、俺の使徒としての考え方はあってると思う?」
『わしごときが、使徒さまの判断に口を出せるわけもない……だが』
「だが?」
『先代に似ていると思ったのじゃ』
それはフレキにとって、最高の褒め言葉に違いなかった。
「そっか」
そして、俺とフレキは、人のいない原野を走って行った。
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