第12話 母
不死者の王を天に還した達成感を覚える暇も無い。
俺は何事かと慌てて、フレキたちの方を振り返って駆け出した。
大量にいた骸骨のほとんどはフレキたちによって倒されている。
残ったわずかな骸骨も、弟妹たちと弟妹たちの父が、打ち倒すところだった。
倒したと言っても胸骨と仙骨を砕いただけ。
あとで火葬にするか、奇跡を行使し、魂を天に還す必要がある。
「フレキ! なにがあった!?」
フレキから返事がない。
俺は残りわずかな骸骨に後方から襲いかかる。
不死者の王に比べたら、骸骨は弱い。
胸骨と仙骨を砕いて、骸骨を動けなくして、フレキの元へと走る。
俺がフレキの元にたどり着く頃には骸骨は全て倒れていた。
急所を破壊された骸骨が、それでも動こうとカタカタと鳴らす音が聞こえている。
「フレキ?」
フレキはお座りした状態でこちらに背を向けている。
そして、フレキの向こう側には母が横たわっていた。
「母さん?」
先ほどの尋常ではない鳴き声は母のものだったらしい。
「がぁう」
母が俺を見て優しく鳴いた。
そのお腹が裂けており、内臓がこぼれている。
「なんで? どうして?」
慌てて駆け寄り、腹の中に内臓を押し戻そうとしたが、上手くいかなかった。
手で傷口を押さえるが、血が止まらない
『すまぬ。……わしを、……かばって』
フレキが辛そうに言う。
「フレキ、薬草を持ってこないと」
『……無理じゃ。この傷を癒やす薬草などない』
「治癒魔――」
『そのような都合の良い魔法はない』
「治癒の神の使徒を……」
『到底間に合わぬ』
頭ではわかっている。
今からこの時代にいるかどうかもわからない治癒の神の使徒を連れてくることなど不可能だ。
それでも、理解したくなかった。
「針と糸で、傷口を――」
『落ち着け。糸はともかく、針はない』
「落ち着いていられるわけないだろ!」
俺は母の傷口を押さえながら、フレキが冷静な理由がわからなくて、叫んでしまった。
「がう」
母がゆっくり体を起こすと、俺の顔を舐めた。
まるで落ち着きなさいと言っているかのようだ。
「母さん、動かない方が良い」
母の傷口からあふれる血が少なくなってきている。
止血が進んだのではない。心臓が止まりかけているのだ。
「きゅーん」
弟妹たちが母を心配そうに見守っている。
「がう」
弟妹たちの父が、俺の顔を舐めてから、母の鼻に自分の鼻をあわせにいく。
弟妹たちも弟妹たちの父も、そしてフレキも、悲しんでいるが落ち着いている。
そして、母自身も安らかな表情をしていた。
狼狽しているのは俺だけだ。
そんな俺を心配したのか、弟妹たちが俺を落ち着かせるように舐めてくれる。
『母が最後に見るそなたの姿は、それでよいのか?』
フレキが俺の目をじっと見る。
「……そうだね」
母が安らかに天に還ることができるようにしなくてはならない。
俺は立派に育ったのだと見せなくては、未練を残す。
俺は大きく息を吸って、自分を落ち着かせるとじっと母を見た。
母はそんな俺を見て、少し微笑んだ気がした。
それから母は、
「がう」
弟妹たちの父に、そして弟妹たちに向かって何か伝えはじめた。
それを皆が大人しく聞いている。
恐らく遺言だ。
母の言葉がわからないことが、もどかしかった。
「がぁう」
次に母はフレキに対して、語り始める。
『……親をかばって、死ぬ奴があるか。……逆であろう』
フレキが、独り言のように呟いた。
「がう」
『わかっておる、言われるまでもない。そなたはなにも心配せずとも良い』
そして、母は俺を見た。
「……がう……がぁぅ」
『そなたは私の子。私の誇り。健やかに。長生きしなさい』
フレキが母の遺言の内容を教えてくれた。
「俺も母さんの子であることを誇りに思うよ」
「……がぁぅ」
『私の代わりにフレキより長生きしなさい』
「うん。任せておいて」
そういうと、母は俺と弟妹たちの顔を見回した。
そして目を閉じる。
「が……ぅ……」
母は長く息を吐いた。
俺には母が死んだことがわかった。
俺が死神の使徒だからわかったのだ。
『娘は……?』
「大丈夫。ちゃんと天に還ったよ」
天。すなわち死神の御許。
俺が使徒になったあの場所に母は行ったのだ。
奇跡を行使するまでもない。
未練をなく死んだ魂は、きちんと天に還ることができる。
母が死んだことを理解した弟妹たちは、
「あぁぁぁぁぁぉぉぉぉぉぉぉん」
堰を切ったかのように泣き始める。涙を流せない分、大きな声で泣く。
母の還った天に届かせようとするかのように、長く大きな遠吠えを繰り返す。
弟妹たちの父も一緒になって遠吠えを繰り返した。
すると、遠くから遠吠えが聞こえてくる。
フレキの森の魔狼全てが、悲しんでいるかのようだった。
俺とフレキはその様子を黙って見守った。
涙は不思議と出なかった。
遠吠えが終わった後、
「……俺が使徒になったから」
俺は思わず呟いた。
死神の使徒は、不死者の神の敵。
新たな死神の使徒の誕生に気付いた不死者が襲ってきたのだ。
それに巻き込まれて母は死んだ。
『それは絶対に違う。むしろわしが……』
俺が自分を責めないようにフレキは色々と言ってくれる。
だが、俺の耳にはあまり届かなかった。
死神は使徒になれば悲しい目に遭うこともあると伝えてくれていた。
他の神を信奉する者たちから襲われる可能性があるということだったのだろう。
『フィル?』
フレキが俺の顔をじっと見た。
『娘は死神さまの御許に向かったのじゃ』
「うん。そうだね」
俺は母の亡骸を見つめる弟妹たちを抱きしめる。
「大丈夫。俺は母さんの行った場所を知っているんだ。いいところだよ」
「が…………ぅ」
「だから、悲しまなくていい」
そう言ったのに、弟妹たちは悲しそうに鳴く。
『フィル。あの娘は死神さまの御許に向かったのじゃ』
フレキは同じ表情で、先ほどと同じ言葉を繰り返した。
『だから、もうよい』
「よいって、なにが――」
『よいのだ。フィル。…………わしは少し向こうに行く』
静かにフレキは歩き出す。
「フレキ」
『…………』
「最後に母さんはなんて?」
『幸せだったと』
目から涙があふれた。一度あふれると止まらなかった。
俺は声を上げ、生まれたばかりの赤子のように、泣き続けた。
そして、遠くから、抑えようとして抑えきれないフレキの泣き声が聞こえてきた。
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