第2話 魔狼に育てられた少年

 ◇◇◇◇



『――そうして魔狼の乳を飲み、大きくなったのがフィル。そなたじゃ』

 フレキは口を動かさず、魔法を使って語り終えると、大きく息を吐く。


「この巣に連れ帰って、育ててくれたんだね」


 フレキの巣は岩山を掘って作られた洞窟だ。

 フレキが岩を砕く魔法を使って、作ったらしい。


『そなたは、死神さまが遣わしたのだと我は思う』


 俺を拾った時のことを語った後、フレキは必ずそういうのだ。


「たしか、夢で見たんだっけ?」

『うむ。そなたを拾う前日。夢の中で、大きな木の根元に死神さまが立っておったのじゃ。きっと我にフィルを使徒として育てよという神託じゃ』


 フレキは、大昔、死神の使徒の従者をしていたらしい。


『使徒フィルさまは、とても強く、心優しく、高潔で……立派なお方だった』


 フレキはいつも使徒フィルがいかに立派だったか教えてくれる。

 使徒フィルを語るときのフレキの目はとても優しい。

 フレキにとって大切な人だったのだろう。


「そんな立派な人の名を、俺なんかが継いでいいの?」

『人の子には名前が必要であろう。それにフィルは我の子供なのだ。もし使徒さまがご存命なら、名を継ぐことをお喜びになったであろうよ』


 他の魔狼たちには名前がない。

 群れで名前を持つのはフレキと俺だけだ。


 フレキいわく、人と暮らすには名前は必要だが、魔狼には名前は必要が無いらしい。

 フレキがフレキという名を持っているのは、人である使徒フィルと暮らしていたからだろう。


「……俺は死神の使徒になると決めたわけでもないのに」

 そもそも俺が使徒になれるとも思わない。


 死神の使徒は死んだ魂を正しく輪廻の輪に戻すという役割があるらしい。

 未練を残した魂は、現世にとどまりアンデッドと化すことがある。


 それを防ぐのが死神の使徒の仕事なのだ。

 死神の使徒の従者として、手伝いをしてきたフレキはその仕事に誇りを持っているようだった。


『継がなくともよい。わしの知る最も尊敬すべき人物の名をつけただけのことよ』

「継がなくていいっていうけど、死神さまは俺が使徒になることを望んでいるんじゃないの?」

『そうかもしれぬが、そうではないかもしれぬ。どちらにしろ、死神さまは優しいお方じゃ。そなたが選んだ道ならば祝福してくれるであろう。もちろん我もな。だが、そなたは人なのじゃ。長じれば人の元に戻らねばならぬ』


 使徒にならずとも、大人になれば俺はこの森を出て人の中に戻るのだ。

 人の中でも生きていくために、身体を鍛え学ばなければならない。

 使徒になるための訓練は、人の中で生きていくためにもなる。

 いつもフレキはそう言っている。


「きゅぅーん」


 俺が出て行くと思ったのか、三頭の弟妹たちが俺の顔を舐めにきた。

 種族こそ違うが、同じ乳房から乳を飲んだ乳兄弟だ。


 みな、フレキに似た綺麗な銀色の体毛を持ち、まだ子狼なのに大きな犬よりも、ずっと大きかった。

 だからか、弟妹たちは、体の小さい俺のことを弟だと思っている節がある。


 弟妹たちは俺を温めるように身体を寄せてくる。

 今は冬。

 俺はフレキが持っていた人用の衣服を着てはいるが、寒いものは寒い。

 弟妹も毛皮を持たない俺をかわいそうに思うのか、よく温めてくれるのだ。


 俺は弟妹たちを、優しく撫でる。

「ありがとう、温かいよ。それにまだ俺は大人じゃないからしばらくはここに居るよ」


 そういいながら、フレキを見る。

 フレキは俺と、戯れる弟妹たちを優しく見守っていた。


『何度でもいうが、死神さまは良い神、善神じゃ。だが、誤解している者も多いのも事実じゃ』

「まあ、死をもたらす神だと思われたら、恐れられるよね」


 人に限らず生物は、本能的に死を恐れる。


『うむ。信者も少ない。人族を守護する人神や、生活に密着した農耕神、鍛冶神などと比べるべくもない』

「死も生活に密着しているとは思うけどね」

『そのとおりじゃ。だが、忌み嫌われることも多い。死神の使徒になれば、苦労することになるのは間違いない。……大切な、そして偉大な役割なのじゃがな』

「うん。なんとなくだけど、フレキの言いたいことはわかるよ」


 自分が死神の使徒になれるとは思わないが、死神の使徒になること自体は嫌ではない。

 誰かがやらなければいけない仕事ならば、俺がやってもいい。

 俺にやれることならば、だが。


 それにフレキは捨てられていた人族の赤子である俺を育ててくれたのだ。

 フレキが心の中でそれを望んでいるならば、叶えてやりたいとも思う。


 俺が無言で考えていると、

「わふ」

 俺を育てた母狼がやってきて、俺の手に冬苺を載せてくれた。


「母さん、ありがとう」


 冬苺はフレキの森で取れる木の実だ。

 母のくれた冬苺を食べると、強い酸味とほのかな甘みが口に広がった。


「おいしいよ。母さん」

 俺は冬苺が大好きなのだが、弟妹たちは、そして母とフレキも酸味が強すぎて好きではないらしい。


「わふ」

「ん、大丈夫だよ。母さん」


 俺はフレキそっくりな母の毛皮を撫でる。

 母はお返しとばかりに俺の顔を舐めてくれた。

 母はフレキの娘らしい。つまり弟妹たちはフレキの孫だ。


「わぅ」


 母も弟妹も俺とフレキが交わす人の言葉は理解できているわけではない。

 だが、フレキと会話して深刻そうに考えている俺を見て元気が無いと思ったらしい。

 俺を元気づけるため自分は苦手な赤苺を獲ってきてくれたのだ。


 母は、狼でもない俺を実の子である弟妹たちと同じように扱ってくれている。

 いや、母は俺のことを兄妹の中でも成長が遅く、狩りが下手な子狼だと思っている節がある。


「あう?」


 弟妹たちがカブトムシの幼虫を咥えて持ってくる。

 地面を掘り返して見つけてきたらしい。


 狩りが下手と思われている俺に「食べなよ?」と言ってくれているのだ。

 やはり弟妹たちは、俺のことを完全に弟だと思っているらしい。


「ん、大丈夫。俺には冬苺があるからね。ありがとう」

「わふ」


 冬苺を食べる俺とカブトムシを食べる弟妹たちを眺めていたフレキが口を開く。 

『それで、フィル。そなたの記憶と相違はあったか? もしくは新たに思い出したことはないか?』

 過去の話をした後、フレキは必ず尋ねるのだ。


「ないかな……」


 俺は生まれた直後からの記憶がある。

 現世における最初の記憶は目がよく見えないということと、自分の泣き声がうるさいと思ったことだ。


「生まれてからフレキに拾われるまでの記憶があるといっても、なにせ目が見えなかったからな」

『赤子は目が見えぬものじゃ。人も狼も』


 狼の赤子は知らないが、人の赤子の目はまったく見えないわけではない。

 ただ、ぼんやりとして判別が付かないのだ。

 親の顔も見てはいるのだが、会ってもわからないだろう。


「だが、親たちが話す言葉はわかったからね。捨てられた理由はわかる」

『赤い目と銀髪を持つ子は不吉、だったな?』

「そう。親たちは銀髪ではなく白髪と言っていたけど。あと、赤子なのに毛量が多いとか言っていたな」


 なぜか俺は魔力を抑えないと髪が白くなり、目が赤くなるのだ。

 赤子の頃は魔力の抑え方も知らなかったので、常に白髪で赤い目をしていた。

 魔力の抑え方を学んだ今は黒髪に黒目で過ごしている。


『毛量は知らぬが、赤目と白髪、いや銀髪を嫌うとなると、西の方の貴種かも知れぬ』


 フレキは狼なのに博識だ。人族の国や町、文化風習にも造詣が深い。


『人族は恐ろしい。人族が支配する外の世界は恐ろしいところじゃ。だから、使徒にならぬとしても……』

「学び、そして鍛えなければならない。だろ?」

『そのとおりじゃ。銀髪赤目も隠したまま戦えるよう、魔力を抑えたまま力を発揮する訓練もせねばならぬ』


 俺は魔狼の森から出たことがない。

 だから、この世界の人間や魔物たちがどれだけ強いのか知らないのだ。

 フレキに常識を教えてもらい、戦い方を教えてもらっているが、どれだけ通用するかわからない。


『フィル。生まれてから今までの記憶を改めて思い出したところで……』

「ん?」

『前世の名は思い出したか』


 そういって、フレキは俺の顔をじっと見つめた。

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