第5話 渦巻という女


 目が覚めた。

 体を横に向け、ふと見えた時計の長針と短針が6を差している。


 そろそろ起きよう。



 ベッドから起き上がり洗面台で歯磨きをしているとリビングから漂ってくる食パンのこんがりと焼けた匂いが鼻腔をくすぐる。

 リビングに着くとその匂いに呼応するかのように追いかけてくるコーヒーの深みのある香り。

 俺は朝のこの時間が何よりも好きだ。

 焼きたての食パンでお腹を満たし淹れたてのコーヒーで目が覚める。


 これが最高の1日の始まり方に違いない、俺と母親しかいないが。満場一致だ。


 今日が転入して2回目の登校になる。他の生徒と同じ時間に登校するのは何気に初めてだ。


 学校につくと玄関の前で上履きに履き替えている水鳥と目があった。相変わらず精霊のように綺麗な人だ。

 

 上履きまで輝いてやがる。


 ……いや冷静に考えてそれはない。


「おはよう水鳥」

「……おはよ、五之治くん」


それから俺と水鳥は教室に向かって歩き出した。


「あれからいい部活見つかった?」

「んー特にって感じかな。もし水鳥がいいなら今日も天文部に行ってもいいか?」

「いいけど、今日は天文部で活動するために活動予定表を提出しないといけないから少し遅くなるわ」


 部活をするのにもいろいろと大変だ。それも部員が1人しかいないと尚更大変なのだろう。


「なんだか忙しそうだな」

「そうね、少し荷が重いわ」


 ……荷が重い。


 その言葉を聞くなり俺の視線は真横を歩く水鳥の胸へと向けられた。水鳥のブレザーは制服の胸元がふっくらと浮き上がっている。


 水鳥、隠れ巨乳説。


 いかんいかん、遺憾だ。

 変態のおっさんみたいな発想になっている。


 視線が動いたのは自然現象に近い。

 つまり誰も悪くない。



「……確かに重そうだな」

 

 その胸の荷。とは言えなかった。


 でもポジティブに考えれば遠回しに俺を天文部に誘っているのかもしれない。

 手を貸して欲しいみたいな言い回しだからそう思ったに過ぎないのだけれど、そもそも荷が重いだなんて発言を会って2日目の俺にするだろうか。


「五之治くん、いま何考えてるの? 鼻の下が伸びてるけど」

「えっ……あー俺ってたまに鼻の下が伸びるんだ。自然現象というか生理現象みたいなもんだと思ってる」


 いけるか……?


「なにそれ。変な人」


 いけたー!!


「とうとう変な人で定着してしまったか」

「嫌だった?」


 階段を昇りながら上目遣いで心配そうな表情を見せた水鳥。

 

「いや、むしろ嬉しい…かな。変な人ってことは他人とは違うって事だからな。人と違うってことはそこに価値があるってことだろ」


「……確かにそうね、でもやっぱり変わってる。なんか普通の生徒とは違う、なんて言うか……考え方が少し大人だと思う」


「俺からすれば水鳥だって随分と大人びていると思うけど?」

「どこがよ」


 ツッコミ風に言う水鳥。

 余計なことを言ってしまった気がする。


「……話し方とか立ち振る舞い?」

「そう言われるのは素直に嬉しいけど別に見た目だけ繕っても大人にはなれないからね」


 クスクスと静かに微笑む水鳥に少しほっこりとしてしまった。

 やっぱり誰かが笑うのはいいもんだ。

 世界中どこを探しても心から笑い、それを表現できるのは人類だけ。それなのに笑わないのは人類に対しての冒涜だ。

 

 だからせめて俺の近くにいる人だけでも笑顔でいてほしい。




 

 終礼のチャイムが学校中に鳴り響く。

 それと同時に校内の至る所で生徒たちの会話が始まる。


 これが放課後。


「五之治くん、先に行ってて。私職員室に寄って行くから」


 水鳥はそう言い残し部室とは反対方向にある職員室へと向かった。

 水鳥が教室を去った後、背後から気怠そうな声が聞こえてくる。


「優春くんってさぁ、水鳥さんと仲良いよねー」


 振り向くと渦巻がスマホゲームでもしているのか指が一生懸命、液晶の上で跳ねている。


「そんなに俺と水鳥が仲良く見えるか?」

「んー水鳥さんって友達作らないタイプだから誰かと仲良くしてるのが不思議なんだよねー」


 友達を作らないタイプ……。


「……別にそういう風には思わなかったけど」

「ふーん」


 渦巻は操作していたスマホの画面を机の上に伏せるようにして置いた。


「……優春くん、水鳥さんがどうして友達作らないか知りたい?」


 水鳥にはあえて友達を作らない理由があるのかと疑問に思ったのだけれど、渦巻という女は正直ミステリアスだ。話半分に聞かないと収拾がつかなくなってしまう。……そんな気がした。


「別にいい。……逆にどうして俺と水鳥の関係がそんなに気になるんだよ」


「昨日も言ったじゃーん、品定めだって」


「俺はフリーマーケットに出品された商品か」


 渦巻はスマホを机から持ちあげクスクスと軽く笑った。

 誰かが笑顔になるのは良いと思ったのだけれど、水鳥と渦巻と花火、俺の知るこの3人の笑いには本質的な何かが違う。


「優春くん面白いねぇ。でも正直2人の関係なんてどうでもいいのー。うちが興味あるのは君だよー優春くん。それじゃーうち帰るねー」


 渦巻は席を立ち上がりスマホをカバンのポケットに収納し颯爽と教室の外へと出ていった。

 


 ……さてと、天文部に行きますか。



 空いた窓からは生暖かい風が流れ込み教室で渦を描くように流れていった。


 渦巻真冬、彼女は何者なのだろう……。

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