この世界は、俺の好きで溢れている。
しょうのすけ
第1話 ──かくして、物語は幕を開ける──
──夜の街。街を彩る喧騒、建物の灯りたち。その1つ、高いビルの屋上。その金網の向こうに1人、男が佇んでいた。
若い男だ。黒い癖のある髪の毛を少し長めに生やし、身長は180はあろうか、優しそうな顔からはあまり生気を感じられない。
「あーあ、何でこうなったかなぁ…」
誰に言うでもなく、その男はそう独りごちる。
そう、今、まさに今その若い命を投身という手段を持って散らそうとしているのである。周りから見れば馬鹿なことはやめろと言うところなのだが、当人からすればいたって大真面目な思考の結果なのだ。
思えばここまで順調だと思った仕事も、彼の精神を徐々に蝕んでいっていたのかもしれない。
だからこそ、安易な死という
「生まれ変われるのなら、美少女になりたいなぁ…」
そんな空想も、彼にとっての現実を逃避するための手段のひとつだった。
少し前までは、仕事も可もなく不可もなくと言ってはなんだが、それなりにやれていた。
ノルマはキツかったが、それでも何とか持ち前の明るさで顧客との関係は良好だった。
そして彼は沼の深いオタクでもあった。彼には一緒にオタ話をしてくれる大変に仲のいい少し年上の女性の先輩がいた。先輩には旦那さんがいて、お子さんまでいるが、彼自身、先輩をどうのこうのするつもりはなかった。
先輩は俗に言う腐女子であった。
一般の男性にはあまり馴染みのない世界ではあるが、何せ彼も業が深いオタクである。その世界に足を踏み入れてないと言えば嘘になる。
まあ、先輩からすればまだまだ浅瀬で波と戯れている程度ではあるが。
本当にひょんな事からオタ友の交流会がスタートした。
「チアキさんチアキさん!こないだ言ってたハプマイのグッズがコンビニに並んでたんで買っちゃいましたよ!」
チアキさんとは、その先輩の名前である。
「マジで!?ちょっと、推しが居たら頂戴よ!?」
チアキさんは少し興奮気味である。ちなみにチアキさんはジュク箱推しである。
「モチモチっすよ!ちな、俺の推しが出たら喜んでください。」
俺もつられてちょっと鼻息が荒くなる。一方俺は単体推し(複数名)である。幸い推し被りはしていなかった。
「木村氏、それは当たり前じゃないか」
チアキさんはサムズアップしながらそう言う。
そう、俺はチアキさんから「木村氏」と呼ばれていた。最初こそちょっとこそばゆかったが、今では慣れっこである。
そんな日常の一風景。これが彼にとっての大切な時間であり、何事にも変え難い心の支えだった。
そんな日常は、突如として終わりを迎える。
「えー、オカモト チアキさんは今週で産休に入ります。」
支店長がそう朝礼で告げた。
そうなのだ。チアキさんのお腹には新しい命が宿っていた。もちろん旦那さんとの子供である。変な勘ぐりはよしていただきたい。
俺の心は、おめでとうの気持ち八割、仕事に対するカンフル剤が処方されないことに対する不安二割。
素直に喜べない自分に若干の嫌気がさす。
(いずれこんな時が来るとは予測してたけど、想像以上にぐらついたな、俺。)
そんなことを、喫煙所で紫煙をくゆらせながら思った。
チアキさんが産休に入って数週間。自分でもビックリするぐらい精神を病んでいた。元々適性はないなと思っていた職種だっただけに、その蝕まれ方は尋常ではなかった。
事業の舵切りも大きかったのだが、実績をこなしきれない人間への風当たりもまるで暴風のようだった。
本当に病んで病んで、支店長を処そうかなとも思った。殺人をするくらいなら、いっそ自分を殺めてしまおうかという思いもあった。病院に行けばよかったのかもしれない。だが、元々病院にかからない彼は、その発想に至れなかった。その数週後、冒頭に至る。
「なんだかなぁ…こんなに弱かったんだな、俺ってば」
などと吹き抜ける風に言葉を溶かす。
しかしてそれは勘違いである。それは彼の性格が起因していた。
彼は長男であった。某有名漫画の言葉を借りれば、長男だから我慢できた、その一言である。
しかし、我慢ができる人には大別すると二種類いるのだ。
適度に発散し溜め込まない人と、発散方法が上手くなく必要以上に溜め込んでしまう人。彼は明らかに後者だった。まだいける。まだ大丈夫だと。
だがその性格を持ってしても今まで生きてこられたのは、その時々で支えの柱、精神の支柱を得たからである。そして直近で建てられた大きな支柱がチアキさんだった、それだけである。
ただ問題は、その支柱に大きく寄りかかってしまった。その結果が現実世界よりの飛行、その選択であった。
もちろんチアキさんが悪いのではない。
ただ巡り合わせ、それが尽く裏目に出ただけであった。
「さようなら、世界。また巡れるのであれば、その時は強くありたいな。」
言の葉が唇から毀れ、夜の街に吸い込まれ消えていく。
ぐらり、と大きく視界が傾く。
風を切る音、体に当たる風、その全てがどうでもよかった。
これで終わりなんだ。
これで終われるんだ…!
ただその思いだけ。最期にチアキさんに会いたかったなぁ、なんて考える暇もなく地面が近付いてきていた。
しかし、ガヂャッともグヂャッともつかない重さのある肉と硬いコンクリートの接触する嫌な音は終ぞ聞こえて来ることはなかった。
その地面にあったのは、白いゲートのようなもの。その痕跡のみだった。
「なんだここ?お話の国みたいな…」
ふと顔を上げると、その空間には何もなく、白いモヤが足下を揺蕩う不思議な乳白色の空間だった。小さい頃に見たテレビ番組がふと頭をよぎる。
「ここが死後の世界?なんでそれを俺という自我が認識できてるんだ??」
訳が分からず必要以上にキョロキョロしてしまう。
「ようこそ、正太郎さん。」
決して張られたという訳では無いのだが、不思議と耳に響く声だった。
「…どちら様ですか?何処ですかここ?」
一瞬の逡巡の後、疑問が口から転がり落ちる。
「なぜ俺の名前を…?」
そう言いながら声の方を振り向けば、美人がいた。もうすっごい美人。
「女神様?」
素っ頓狂な声が出た。そうとしか思えない、純白のドレスのような、はたまた少し長めのワンピースのようなものを着た美女が立っていた。
「私は運航者…あなた方の世界で言うところの、女神と呼ばれるものですね。」
そう美人は告げた。
「やっぱり…」
ストンと腑に落ちてしまった。
そりゃ信じますよ。すっごい美人だし、何より日に当たったことがないのかと思うほど白い肌。絹のようになめらかな黒髪。まつ毛は長く、慈しみを湛えた瞳は雲ひとつない夜空のような色をし、頬はほんのり紅潮し、プリンとした唇はうっすらと紅を引いてるのだろうか血色が良い。
しかもスタイルは、主張しすぎることの無い胸と、なだらかな曲線を描く腰部、スカートのあちら側なので伺い知ることが出来ないが、お尻も良き形をしているのだろう。うん、造形美とはまさにこの事を指すのではなかろうか。
「…んんっ、恥ずかしいので、そのへんで良いでしょうか?」
どうやら口から解説がとび出ていたらしく、顔を真っ赤にしている女神様が俯きながらそう言った。
「大変な失礼をいたしました!不敬をお許しください!!どうしても綺麗なものを見るとこうなってしまうのです…!」
初対面の人(?)に爆速で土下座をするという実績をアンロック出来そうなほど、滑らかな、そして見蕩れるような鮮やかな土下座だった。
「構いません。その…もうやらないのであれば不問にします。」
美人は寛大だった。心做しか嬉しそうだ。
ありがとうございますと言いながら、身を起こす。
流石美人、余裕がその佇まいから溢れてくる。顔真っ赤だけど。
「して、先の質問なのですがここは…?俺は死んだのでしょうか?」
いずれ分かるであろう疑問を投げかける。状況を把握したいのと、単純に美人と話したいという下世話な理由で。
「便宜上、貴方は亡くなった事になってます。ここは
そう告げられた。
死後の世界では無いのだろうか?死と生とその間の世界ということか?などと思考を回していると、
「非常に珍しいのですが、丁度神界ガチャで気紛れにガチャを回したところ、貴方が当たりました。」
「へっ?」
こんな短時間でこんなに感情ってジェットコースターするんだーなどと、まるで他人事のように自身を分析していた自分に驚いた。
「珍しい、というのは、ちょうど死に瀕していた貴方という人、そしてガチャのタイミング、これが奇跡的に合致したため貴方は実際は亡くなっていないのですが便宜上亡くなったと申し上げたのです。」
わーお、何それミラクル。と言うか神界ガチャってなんぞ?何がピックアップされんのそれ?などと考えてるとはおくびにも出さずに、冷静に。
「わーお、何それミラクル。」
くそっ、セリフが勝手に出てきやがった。
「本当に奇跡のタイミングでした。しかし…本当に気紛れでガチャを回してしまったので、当たったものをどうこうしたいという気持ちを持ってなかったのです。しかも、あなたは自らの命を絶とうとしていたところ。事態が複雑すぎて私にはどうすればいいか…」
少し泣きそうな顔をして、美人が困っていた。
「謝らないで下さい。私の世界には運命の女神のイタズラという言葉がありますが、そういうもんだと思うことも大事だと思います。本物の女神様に言うことじゃないと思いますけれども。」
ちょっと気恥ずかしくなって、頬をポリポリ掻きながらそう言った。
「当事者である貴方にそう言って貰えるのであれば、私も救われた気がします。しかし起きてしまったのも事実。お詫びの意味も込めて、あなたに選択肢を差し上げます。」
そう真面目な顔をして女神様が告げた。
「選択肢とは…?」
「はい、選択肢というのは途切れてしまった生を再び取り戻す、つまり蘇生です。」
「蘇生、ですか…」
若干の苦い顔。それは蘇生したところで…と思ってしまったからに他ならない。
「もうひとつは新しい生。つまりは転生です。」
転生…転生って漫画とかラノベとかでよくあるあの転生!?待て待て、落ち着け。元の世界に転生と言うことは例えば某7つの玉を集める冒険アクション漫画の、漫画の方の最後の敵キャラみたいに、悪の心を消した上で別の人格として再び生を受けるということかもしれない。落ち着け、こういう時は素数を数えるんだッ。奇妙な冒険をする漫画の神父様も言っていただろう!
「えーと、…宜しいでしょうか?」
女神様が、百面相をしていた俺を見ていた。
「…はい。」
恥ずかしい〜…穴があったら入りたい〜…
「転生と言っても、何も貴方が居た世界だけではありません。それこそ貴方の好きな御伽噺にあるようなファンタジー?と言うんでしょうか?そのような世界もあります。」
わーお女神様。さすが神か。と言うかしれっと心覗かないで欲しいです。さっきのも覗いた結果自爆した可能性すらあるぞ、これ。
「如何なさいますか?」
微笑み、優しく問いかけてくる。
実際とるべき行動などとっくに決まっていたようなものだ。少しの逡巡の後、自らの口で告げた。
「えーと、剣と魔法とスキルの世界とかあるんですかね?」
心を覗いて、その上で提案したということは…有る筈だ。
夢にまで描いた御伽噺。剣と魔法とスキルの有る異世界生活。
その身一つで成り上がる冒険譚。
数々の信頼出来る仲間との日常の一幕、強力な武具、武技、ド派手な魔法や、奇怪なモンスター
だがその可能性が今、まさに俺の手の届くところに顕現しようというのだ。これが滾らずにいられるだろうか。一抹の不安があるとすれば、それは自らのスペック、ただその一言に尽きる。
お世辞にも運動が得意とは言えない自身が、更に運動とそれはそれは無縁の生活をしていたのだ。ビックリするほど体力が落ちていてスライムにすら負けて即ゲームオーバー。なんてことにもなりかねない。まぁ、某スライムが主人公の作品のスライムなら別だけどね。
「勿論ございますよ。」
微笑みながら、女神様は囁く。
俺は興奮で血圧が上がりぶっ倒れるんじゃないかと思うほどの心臓の高鳴りを聞いた。
「ただ…」
徐ろにそう切り出す。
「ただ?」
「ただ、その世界に行きたいのはやまやまなのですが、その…私自身の身体スペックと申しますか、能力的なものが足りてなく、えー、どう伝えたら…」
しどろもどろになりながら伝える。
だってさ、皆よくよく考えてみてよ。
目の前には女神様が、しかもとんでもない美人の、物腰柔らかな、とんでもない美人の(大事なことなので以下略)女神様が立ってるんだよ?
しかもお詫びの気持ちとして素晴らしい、かつ俺向けの提案をしてくれてるんだよ?
そして何より初対面。
そう言う対象じゃないって分かってるけど、ちょっとカッコつけたいじゃんか。男子だし。
「男ってバカねぇ」なんて言葉が聞こえてきそうだが、男性諸氏は分かってくれるはずだ。多分。
「ふふふっ、大丈夫です。全て織り込み済みですよ?」
鈴の音のような笑い声が聞こえた。
めっちゃ可愛い。
ほんと不敬この思考。いい加減にして。
自分自身にノリツッコミを入れていると、
「貴方の見聞きしていらした御伽噺によれば、チート?と呼ばれるそれはそれは強大な力を我々のような存在から与えられるとありました。なので私からもそのような類のお力を授けます。」
ぺこりと頭を下げそう言った。シャラシャラと黒絹の髪が小川のせせらぎのように流れる。
「チートか…」
勿論憧れが無いわけじゃない。
無敵チート、経験値チート、自動エイムチート、無限レベルアップチート、ステータス爆上げチートetc《などなど》…数えあげればキリが無いほどにチートは存在する。
しかしそれで本当にいいのだろうか。
確かにその力を授かれば、無双することも可能なのだろう。何を無双するかは置いておいて。
あまりに酷いチートだと、ゲームのゲーム性自体を壊す最悪の展開にもなりかねない。
あくまでもゲームの話だが、自分のキャラが絶対に負けないと思ったら、ゲーム自体がただの作業に成り下がる。娯楽であるはずのものが苦行になってしまったら元も子もない。そう考えるのはゲーマーの性なのだろうか。
大して強くもないくせに、そういうところは潔癖なのである。
うるさい、そんなもん人の好きにやらせろとは本人の談。
話が脇道に逸れたが、それが現実に置き換わったらと考える。最初こそ、見るもの全てが目新しいかつ危険である異世界では確かに役に立つだろう。だが、飽きたら終わればいいゲームとは違う。
これは人生だ。誰のものでもない。俺の人生だ。
人の一生なんてものは浮き沈みがあって初めて味が出るってものだろう。
それが大量生産の、粗製濫造の、なんかそんな感じの無味無臭の世界になってしまったのでは、何より再び生を与えてくれる女神様に申し訳が無い。
だからこそ思う。
盛りすぎない程度でお願いしたいと。能力値は平均以上最強未満でと。スキルはちょっと盛って欲しいなと。出来れば刀剣作成とか武器作る系のスキルが欲しいと。つらつらと要望が上がってくる。マジで落ち着け。
「分かりました。出来うる限り貴方の望む通りにしましょう。」
「えっ?」
思わず口を抑えるが、なるほど心を読まれたのか。
口は一文字に閉じてその上に指を添えて考え事のポーズをとっていたのだ。喋れるわけが無い。あー、でも読心術なんかも欲しいな、便利だしなんて思っていたら、視界を光がつつみ始めた。
「わっ!わっ!なんだ眩し…」
思わず目を覆うも、どうやらまぶたの裏、もしくは網膜、または頭の中で光ってるのか効果が無かった。
「選択は成った。そう受けとってもよろしいですか?」
女神様はゆったりとそう告げた。どうやらこれが選択肢を選んだ結果ということらしい。あまりにも突然の事で若干パニくるが、伝えるべきことは伝えねばと務めて冷静に振る舞う。
「あまりにも急でビックリしましたが、何はともあれ感謝の気持ちを伝えさせてください。まさか第二の生を得られて、しかもその選択をさせてくれ、私の我儘まで聞いて頂いて、本当にありがとうございます。大変不躾ながら我儘をもう1つ…もう女神様に会うことは叶わないのでしょうか?」
掠れゆく視界で、女神様を必死に捉える。
「私は本来であれば、このように人に接することはありません。あくまでも今回は特殊なケースだと思っていただければ結構です。しかし、これで記憶もなくしサヨナラは少し寂しいので特別に記憶を保持したまま転生させて差し上げましょう。…いかがでしょうか?」
少し頬を紅潮させて、女神様が提案した。
「はい…はい勿論です!お心遣い痛み入ります!」
本心でそう告げた。もはや女神様は輪郭すら捉えられない、霞の外側のようになってしまった。しかし声だけは聞こえている。笑顔でまた、感謝の言葉を述べる。
「本当にありがとうございました。今日という日を忘れません。貴女が居たということも。貴女と会話したということも。」
そのままとぷん、と視界と意識が沈んだ──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます