百合姫様の憂鬱

@himagari

第1話


 確かな事は、私に罪があるとして、その罰を受けるのは私一人でいいでしょう。


 私一人の人生で、多くの悲劇を生み出した。


 多くの悲鳴を生み出した。


「……ごめんなさい、サリー」



 素質があることを知りながら努力をしてこなかった、私の魔法は孵化しない鳥の卵。


 生み出した風の刃は小さく、太い木の枝すら切り落とせない。


 けれどその程度の刃でも、乙女の柔肌一つ、首の半ばまで切り裂くことなら可能だった。


「これは私の罪、そして私への罰。貴女はただの被害者だった」



 最後に残った私のメイド。


 鈍臭くて、泣き虫で、物覚えが悪くて、不器用で、際立った美しさもなく、役立たずと評したメイド。


 けれど、国の全てが敵になった私に、たった一人味方してくれた私のメイド。


 私一人が逃げ出すために、貴女が穢されるくらいならば、私が貴女を終わらせる。


 長く綺麗だった茶色の髪は泥に塗れ、綺麗だった手を血に汚しながら私を守ってくれた最後の一人。


 穢らわしい男共に囚われたサリーの喉から血が噴き出して、貴女の瞳は光を消した。


 目を見開く獣達の次の獲物はこの私。


 感傷に浸る間もなく私のメイドを投げ捨てて私に向き直った怨敵達に、私は小さなナイフを見せつけた。


 輝くナイフを閃かせ、私は私の首を切る。


 痛くて痛くて堪らない。


 熱くて熱くて死にそうなのに、体は端から冷えていく。


 薄れていく意識と痛み。


 それでも消えない痛みは忘れない。


 貴女を殺したこの痛み。


 私は決して忘れない。


 たとえ死しても、永遠に––––。


 そうして私、スレイブロウ皇国第一皇女、エルリア・R・スレイブロウの生涯は終わりを迎えた。


 その筈だった。


「–––様っ、––リア様!エルリア様!!」


「……サリー?」


 つい先ほどまで暗かったはずの周囲が明るく染まる。


 窓から吹き込む風がレースを揺らし、ベッドに座っているパジャマ姿の私を包み込んだ。


 数年は味わっていないその感覚に思考が追いつかない。


「はい、サリーですよ。今朝の体調はいかがですか、エルリア様」


 そう私に話しかけながらサリーがパタパタと足音を鳴らし洗顔用のお湯や髪を解くための櫛を用意していく。


 この数年夢に見るほど願った毎日のように見ていた何気ない景色。


 それが今、目の前にある。


「サリー、お願い、こっちに来て」


 私はベッドから立ち上がりもせずにサリーを呼んだ。


 大きく動いてしまえば、この夢が終わってしまうような気がしたから。


 味方がみんないなくなってしまった世界で、サリーすらいなくなった世界で、そんな世界で目を覚ましたら思うと、死んでしまいそうなくらいに怖かったから。


 だから私は小さな声で、囁くようにサリーを呼んだ。


「い、いかがなされました?また何か不手際が御座いましたか?」


 私に呼ばれたサリーが恐る恐ると近づいてくる。 


 怯えた様子のサリーを見て私は何故彼女が怖がっているのかを思い出した。


 この頃の私はサリーの事をとてもぞんざいに、手酷く扱っていたからだ。


「もっと、もっと近くに来て頂戴」

「も、もっとですか?」


 ベッドの側まで歩いてきたサリーに私はこの夢が覚めないようにとそっと願った。

 

「もう少し近くへ。手が届くところまで」

「は、はい」


 そうしていよいよサリーの顔が上半身を起こしただけの私でも触れられるところまで来た。


 いますぐに、全力で抱きしめたい気持ちを抑えてゆっくりゆっくりと両手を上げる。


 夢ならばもう少しだけ覚めないでほしい。


 この幻想が壊れないようにと願いながら慎重に慎重にサリーの頬に手を伸ばした。


「エルリア様?」


 この頃の私ではあり得ない行動にサリーが不安げな声を上げる。


 そんなサリーに構うこともできず、私はそっと体をサリーの方へと近づけた。


 そしてサリーの顔を私の胸へと押しつける。


「温かいわね」 


「エ、エルリア様?こ、これは一体どういったご意図が?」


「……サリーの髪はとても綺麗ね」


 私はサリーを抱きしめながら小さな声で彼女の名前を呼んだ。


 茶色の髪をそっと撫で付け指先で感触を確かめて、その温度が私に伝わるように。


「エルリア様のお髪の方がずっとお綺麗ですよ。私はこんなに綺麗な黄金色の髪を見たことがないです」


「そう、でも私は貴女の髪の方が好きよ。それに小麦色の瞳もとても美しいわ」


 そっとサリーの頭を胸から離してその目を見つめる。


 秋の小麦のような綺麗な瞳が困惑に震えていた。


「エルリア様の蒼い瞳の方がお綺麗です。春夏秋冬の晴れ空を思わせる宝石だと皆が知っています」


 懐かしい会話だと思った。


 この話は私達が追われる立場になった時、森の中で野宿をしながら言い合った事だったから。


「あの、エルリア様、私は何か大変な失態をしてしまったのでしょうか?」


 いよいよ不安が抑えきれなくなったのか、声まで震えて綺麗な瞳を潤ませるサリーが私は堪らなく愛おしかった。


「サリー」


「は、はい」


「……愛しているわ」


「ふぇ?………えぇーーー!?」


 その時のサリーの顔を忘れることは生涯決してないだろう。



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