かげろう

大塚

第1話 真城景一郎

 代々木よよぎが離婚する、とメッセージを寄越したのは千羽せんばだった。

 その時俺は8人いる彼女のうちのひとりとラブホテルにいて、オッサンくさい言い方をすれば一戦交えた直後だったのだが、

真城しんじょう、今から来られない?』

 と続け様に送られてきた頃にはもう身支度を整えていた。

「もうやらないの?」

「友だちがヤバいから、行かないと」

「ふーん」

 けいちゃんって意外と友情に厚いんだね、という彼女の呟きには隠しきれないほどに呆れの色が滲んでいた。たしかに。俺だって、こんなの普段の俺と違いすぎるなって思うよ。


 終電にはまだ余裕があったので、電車を乗り継いで代々木の自宅に向かった──その途中で、また千羽からメッセージ。

『中野に来て』

 中野?

 代々木は代々木という苗字だが、結婚してからは配偶者の女性が長く生活している南麻布で暮らしていた。危うく全然違う方向に向かってしまうところだった。独身時代の代々木は確かに中野に居を構えていたが、結婚して2年も経つ今もまだあのアパートを維持しているのだろうか?

 そんなことを考えながら、急遽進路変更をして中野へ。15分ほど無駄な時間をかけてしまった。改札を出てすぐのところに、千羽が立っていた。間もなく梅雨入りするという中途半端な季節に、彼は着流しにスカジャンを羽織った格好でいた。

「景〜。ごめんね急に」

「いいよ」

「いや良くないでしょ。ホテルにいたでしょ」

「……」

 ああな、とわざと雑に答える俺の顔を見上げて千羽がウフフと笑う。身長175センチの俺より少しばかり小柄な男だ。柔らかな象牙色の肌に烏の濡れ羽色の髪を長く伸ばし、足元を華やかなドレスシューズで彩っている。これが彼の普段着なのだ。

「カノジョ怒ってなかった?」

「呆れてた」

「あはは」

「それより、代々木は」

 話題の男がいないじゃないか、という思いを込めて言えば、

「いつものファミレスにいるよ。行こ」

 と千羽が俺の手を引いた。


 果たして代々木じょうは千羽真織まおりが言うところの『いつものファミレス』のボックス席で背中を丸めていた。なんなら少し泣いていた。そりゃそうか。離婚するんだもんな。

「ジョー。景来たよ」

「景ちゃん!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が弾かれたように俺を見上げる。軽く肩を叩いてやり、それから正面の席に腰を下ろした。代々木の隣には千羽が座った。千羽とは違い代々木は背が高い。180センチちょっとある。腕脚もそれなりにがっしりしており、胸板も厚いため何かのスポーツをやっているのかと問われることも多いようだが、全然そんなことはない、彼は俺たち3人の中でもいちばんのインドアだ。所謂オタクと称しても良いだろう。古今東西ありとあらゆるマンガやアニメを愛し、流行りのソシャゲにはすべて手を出しなんなら課金もし、同人誌の即売会にもしょっちゅう足を運んでいる。いやにガタイが良く見えるのは彼が勤務先の出版社に自転車通勤をしているからで──いや、そんなことはどうでもよろしい。

 注文を取りに来た深夜勤のアルバイトと思しき男性にドリンクバー付きのハンバーグセットを頼んだら、横から千羽が「チョコレートパフェ」、代々木が涙声で「チーズケーキ」などと言い出した。こいつら、俺が来る前からここにいたんじゃなかったのか? 今何時だと思ってるんだ?

「太るぞ」

「おれは景と違って代謝がよろしいので〜」

 んふふ、と笑って見せる千羽は確かに異常に代謝が良い。特に何もしていないのに太りも痩せもせず、常にすらりとしたシルエットを崩さずにいる。

「俺は……自転車乗るからいいもん……」

 もんではないのだ。こんなぐじゃぐじゃに泣き崩れている幼馴染を自転車に乗せて南麻布──或いはどこか別の場所、それがどこであったとしてもとにかく野に放つわけにはいかない。どこかで転倒して大怪我を負ったり、最悪死にでもしたらこちらの目覚めが悪い。


 そう。俺と千羽と代々木はほんの子どもの頃からの幼馴染だ。

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