ひめ
錦鯉の姿の女神は新たな住鯉二匹を見下ろした。
真紅と漆黒の錦鯉は遠目からは一色に染め上げられているようにしか見えないが、近づいて目を凝らして見ればその実、細やかで多種多様な色彩が存在していた。
きれいだったとても。
令嬢と王子の成れの果ては。
期日が来るまで闘い続けた二人。
幼い王子と令嬢が帰って来ないので心配して駆けつけ、取り戻そうとする護衛や家族さえも跳ねのけて、ただただ互いしか見なかった二人。
いや、王子は令嬢しか見ていなかったが、令嬢はそうではなかった。
笑顔が見たい。令嬢の願い。ただ独り占めしたいわけではなかった。
みなにも見てほしかったのだ。
王子をもっともっともっと多くの人に。
いいや、それこそあの星の生物すべてに。
この世に二人だけだったら幸せになれたのかもしれない。
ふと、思ったけれど、残念ながらこの世界でさえ叶わない。
恋心をだれにも言えなくなった鯉。
他人にも己自身にさえも。
悠々自適に空を泳いでいる。
互いに意識することなく。
互いに目を合わせることもなく。
存在を知っているのかさえ怪しい。
まあこれも人生、いえ、鯉生よね。
女神は新たな住鯉を探しに行こうと二匹に背を向けて飛び立とうとしたが。
実物か、
魂魄か、
想塊か、
幼い令嬢と王子がいた。ここに。
理由は。一人ではなく二人で来る理由。
鯉になり願いは叶った。
もうこの幼い二人が恋に落ちることはなく、後悔することも、苦しむことも、悲しむことも、傷つくこともない。
なのに。
取り戻しに来たの。
女神の問いに頷いたのか、返事をしたのかどうか。
一目散に二匹の錦鯉の元へ向かったのでわからない。
ただ、声は流れ込んで来た。
間違えたから。
今度は自分も相手も傷だらけで終わらせないように。
傷つけても癒す方法を見つけるためにも。
少しずつ、少しずつ。
この恋心と向かい合ってみる。と。
もうタイムスリップはしてあげないわよ。
逃げる錦鯉に手こずりながらも二人で協力し合って捕まえて、逃がさないと両の腕で抱きしめて、すたこらさっさとここから逃げていく幼い二人に言えば、一瞬だけ固まったので呆れてしまった。
けれど、一瞬だけ。
力強く、軽やかに逃げていく幼い二人に、ひらり、優雅に手を振って静かに見送った。
真紅と漆黒の錦鯉がお礼を言うように尾びれを動かしたのは、きっと気のせいではないだろう。
(2022.6.22)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます