3-2 陛下のご息女、お悩みあそばされる
ムスクロさんが営む八百屋の一角。
俺はイノさんと椅子に座って、ありがたいことにお茶とイチゴまで振る舞われて、話をさせてもらうことになった。
「父のこと、ですか……」
「あ、ご家庭の立ち入ったこととか、話しにくいなら結構なんで」
「はあ……」
気のない返事であった。
いくら衛士だっていきなり初対面の男に話せと言われても、そりゃ気は進まんわな。
なので、会話の掴みとして、いいことを言っておく。
「これだけ商店街のみんなに好かれてるってことは、きっと立派なお父さまなんだろうなあと。俺から見ても、折り目正しく厳格そうな紳士、という感じでしたし」
親を知りたければ子を見ろ、子を知りたければ親を見ろ、と言う格言がこの国にはある。
若くして学舎の講師という、真面目で立派な仕事をしているイノさんを見れば、きっとその父親である陛下もたいした人物なのではないかと思うのだ。
「皆さんが父によくしていただいているのは、とてもありがたいことなのですけど……正直、私は父がそれほどの扱いを受ける理由がわかりません。財産も家柄もなにもない、下町の老人ですから」
「それでもみんなに好かれてるってことは、なにかそういう、きっかけになることがあったんじゃないですかね。みんなが喜ぶようなことをしたとか」
そうでない限り、陛下とも呼ばれないだろうし、タダで店のみんなが物を振る舞ったりしないだろう。
「父は私が生まれた頃……だいたい20年前からこの九番通りの外れに住んでいるので、お店の方たちとは長い顔なじみというのはあります」
「あ、イノさんは九番通りがそのまま生まれ故郷なんですか」
意外……でもない。
派手に飾っていない、と言う点では九番通りとイノさんは共通している。
そして、イノさんは20歳前後なのか。
これは貴重で有益な情報を手に入れられたぞ!
うん、俺とも歳は近いし、お似合いだと思う!
「そうです。でも、私が物心ついたころにはもう、父は陛下と呼ばれるようになっていて、なにがきっかけなのかを皆さんに聞いても、笑ってはぐらかされるだけで教えてくれないんです」
「イノさんも、詳しくは知らないんですね」
実の娘まで知らないというのであれば、もうどうしようもないな。
街のみんなも、娘さんに教えてやるくらいしてやりゃいいのに。
「はい。それと、ご覧になってお分かりかと思いますけど、父は仕事をしておりません。働ける状況にないと言いますか……」
「それは、はい、なんとなく……」
実は一目見たときに、察してはいた。
おそらく陛下は、心か頭の病で、ああなってしまったのだろうと。
自分をなにがしかの高貴な人物と思い込み、巡察のつもりで街を散歩し、尊大な振る舞いで道行く人を家臣や従者であるように思い込んで。
仕事を引退した老人が悠々自適に貴族ごっこをしているのではなく、イノさんの記憶にある限り、ずっと、そうなのだという。
「幸い、国の保護や年金がありましたので、私と父はなんとか暮らすことはできましたし、奨学金で勉強もさせてもらって、今こうして学舎で働くこともできています。でも父が目的もなく街を徘徊して、みなさんに今もご迷惑をかけているんじゃないかと思うと……」
立派な心がけだなあ。
ともあれ、年金をちゃんともらえているということは。
陛下はああなる前の働き盛りの頃に、しっかり真面目に働いていたということなんだろうな。
その額が十分かどうかは……陛下とイノさんの様子を見る限り、哀しい話題である可能性が高いけど。
「誰も迷惑だなんて思ってないでしょ。理由は分からないけど、陛下がいると街のみんなも楽しそうですよ」
おべっかではなく、素直な気持ちでそう言った。
商店街のみんなは、嫌な顔一つせずに陛下の相手をしていた。
よほどの人徳がなければ、ああはなるまい。
「そうであればいいんですけど……」
結構、繊細な領域の話までさせてしまったように思う。
これ以上あまり立ち入った話を聞くのもなんだか気が引けるな。
俺は話を切り上げて、見回りに戻ることにした。
イノさんとお喋りしていたいのはやまやまだけど、仕方がない。
「詮索してしまってすみません。俺は仕事に戻りますね。お話、ありがとうございます」
「カニングさんこそ、わざわざ気にかけてくださって、ありがとうございます。それと、これは父のことではないんですけど……」
別れ際、イノさんはそう言って手の指をもじもじ動かす。
父君である陛下の他に、言いにくいことがあるのだろうか。
俺に一目ぼれしたというのであれば、それはもう大歓迎なことだ。
これから二人で花の咲いている原っぱに行って、見つめ合いながら色々なことを話し合わなければならない。
「なにかありましたか? こんなときのための市民の味方、衛士隊なので、遠慮なく言ってくださいよ」
「は、はい。私、なんだか最近、知らない人に後をつけられているような気がして……」
残念ながら当然と言うべきか、衛士の仕事に関わる領分の話だった。
「それは、穏やかじゃないですね。詳しく聞かせてもらっていいですか」
イノさんの力になれるなら本望だけどな。
ろくでもないやつが彼女の周りをうろちょろしているなら、ただじゃおかないぞ。
「気のせいかもしれないんですけど、夜に寝ているときも、部屋の外でなにか物音がしたり……」
「最近になってからですか? それとも、ずっと前から?」
「ここ最近……春になるか、ならないかくらいの頃からです。視線を感じて、振り返ると誰もいない、と言う感じで」
俺の他にもこの街にイノさんの魅力に気づくやつがいたか。
などとバカなことを考えてる場合じゃないな。
もし本当だとしたら、事件に繋がる、よくないことの予兆かもしれん。
「気味の悪い話ですね。わかりました。班の仲間に伝えて、周辺の見回りを強化できるか相談してみます」
イノさんを苦しませたり泣かせたりするような奴がいたら、俺がこの手で泣いたり笑ったりできないようにしてやる。
「そこまでしてもらうほどのことじゃないかな、とは思ったんですけど。毎日のように続くので、怖くなってしまって……」
「いえいえ、市民の皆さまの安心を守るのが、俺たち衛士隊ですから!」
俺が力強くそう言うと、ずっとうつむいて伏し目がちだったイノさんが、はじめて笑った。
「ありがとうございます。新しい衛士さんが来たって聞いたから、怖い人じゃないといいなって不安だったんですけど。カニングさんみたいな優しい人で、良かったです」
その笑顔を見ただけで、俺は衛士をやっていてよかったなと思うほどだった。
いやまあ、まだなにも問題は解決していないんだけど……。
見回りを切り上げて詰所に戻った俺は、さっそくイノさんの話を班長のドワーフ衛士、レーグさんに報告した。
「ああ、陛下の娘さんか。そういやラウツカに戻って来とるんじゃったな」
お使いで持ち帰った茶屋の団子をかじりながら、レーグさんが言う。
レーグさんにとっても、陛下は陛下らしい。
なぜそう呼ばれているのか、由来はレーグさんも知らない。
「イノさん、どこか別の街に行ってたんですか?」
「去年まで、首都の高等学院に通っとったんじゃ」
「え、ホントですかそれ!? すげえな……」
公国の首都にある高等学院は、国内最高の教育機関である。
他の大きな街、古い街にもいくつか高等学院はあるらしいけど、首都のそれは他と大きく格が違う。
国内全土から選りすぐりの秀才天才しか、通えないようなところだと聞いている。
学問と無縁な俺でさえその存在を知っているのだから、よほどのものだ。
「ラウツカの公立中等学舎から、家庭教師もつけずに浪人もせずに高等学院に合格したっちゅうて、あの頃は随分騒ぎになったわい」
「なんでそんな人が、ラウツカでガキども相手に講師なんてやってるんですかね」
俺には想像の及びにくい世界の話だけど、もっといい仕事があるんじゃねえかな。
それこそ貴族の家庭教師とか、国の上等な小難しい研究機関で働くとか、なんかそういうの。
もちろん、街の学舎のセンセイだって立派な仕事だってのはわかってるよ。
「父ちゃんのことが心配じゃから言うて、学位を取ったらすぐにラウツカに帰って来たんじゃ。親孝行なことじゃわい」
「聖人か……?」
かれこれ2年以上、実家に一度も戻っていない俺には耳が痛い話だった。
ん?
だとすると、立派な娘さんを育てた人から、街のみんなも畏敬を込めて陛下と呼ぶようになったってことか?
いや、イノさんの話では、彼女が物心ついたときから、すでに陛下は陛下であらせられたということ。
なので、この説は却下か。
「見回りの件なら、ちょうど衛士本部からも住宅街の保安を強化せえっちゅう連絡が来てたところじゃ。暖かくなってきたからの」
「暖かいと、なにかあるんですか?」
春の陽気が恋以外の、いったいなにを運んでくるというのだろうか。
「庭先や広場に出て、外で酒を飲むやつが増えるじゃろう。そこで喧嘩なんかが起きるんじゃよ」
「ああ、確かに……」
まったく情緒のかけらもない話だった。
人の多い街はこれだから……。
「お前とファラスで相談して、陛下の住んでる団地を何度か回る経路を考えとけ。他の場所も手を抜くんじゃないぞ」
陛下とイノさんは九番通りの端、八番通りとの境にある公営住宅に親子で住んでいる。
結構な戸数の、簡素な平屋造りの家が規則正しく並ぶ区画だ。
同じ様式の家が連続して建っているので、俺はあそこに行くとちょくちょく方向感覚を失う。
それでも、イノさんの不安解決には一歩前進だな。
「わかりました! ありがとうございます!」
「若い女が絡む仕事のときは、気合の入り方が違うのお……」
「やだなあ、そんなこと」
大いにありますけどね。
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