1-4 わが甘き思い出の日よ
街中に大きく鳴り響く、警鐘の音色。
ラウツカ市内の警鐘は、その鐘の鳴らし方の長さ、区切り方によって、どこの場所で問題が発生しているのかがわかるようになっている。
「この鳴らし方は市内の北西……北北西だな」
俺は馬を走らせながら、新人の訓練所時代に散々叩き込まれたその区別を思い出し。
「ここか!?」
それが、今自分のいる九番通り付近ではないかと思ったのだが。
「いや、これだけしっかり見回って商店街はなんもなかったんだし……もっと北か?」
俺やレーグさんたちが割り当てられている区画、九番通り北地域より更に北の場所と言えば……。
ラウツカ市を外敵から守るための、街の象徴とも言える白亜の城壁だ。
城壁と城門を守るのは衛士隊の中でも特に荒事専門の、泣く子も黙ると恐れられる「北門衛士隊」の面々。
その彼らのもとに、なにかが起こって、応援を呼んでいるのだろう。
「とにかく、一刻も早く駆けつけなきゃ……!」
俺は昂る気持ちと共に、一目散に九番通りを北にさらに走る。
その先へ続く城門を目指した。
「け、警鐘を聞いて来ました! なにか手が必要でしょうか!?」
到着すると、城門は堅く閉ざされていて、その先に広がる市外の平原は見えない。
そこには北門衛士の腕章を付けた男の隊員がいる。
別の部隊だから、はじめて見る顔、階級は当然俺より高い。
いずれ北門隊の皆さんにも、あいさつ回り行った方がいいのかなあと俺は思った。
その隊員は馬に乗っている俺を見て、聞いた。
気のせいか、少し面倒くさそうな表情をしたように思える……。
「見ない顔だな。どこの班だ?」
「九番通り北詰所の、レーグ班にいます! カニング五等隊士と申します!」
ああ、と納得してくれたようで、その隊員は特に慌てることもなく、落ち着いて言った。
「ならレーグ班長にも伝えて、一緒にそちらの持ち場の警戒に当たってくれ。魔物が城壁の内側に入り込んだかもしれん」
ドキリ、と俺の心臓が跳ねた。
魔物。
魔王に魂を売ったか、あるいは心を支配された、俺たち「生き物」とは異なる存在。
獣の姿のものもいれば、人の姿をしているものもいる、忌々しい連中だ。
「か、数や、大きさなんかは……」
「わからん。今、城壁の外で他の隊が応戦しているんだが、閉門が間に合わずに紛れ込んだ可能性がある、と言うことだ。一匹もいないかもしれんし、数匹くらいいるのかもしれん」
魔物には体が小さくてすばしっこいやつも、地面の色に紛れて目立たないやつもいる。
厳重に警戒するに越したことはないということだろう。
その割には目の前の隊士が落ち着いているというか、余裕があるように見えた。
経験の差だろうか。
「わ、わかりました! そのようにします!」
「あんまり気負いすぎるな。転ぶぞ。そこまでの大物はいないだろうさ」
俺は名前を聞き忘れた北門衛士の指示のもと、ひとまず詰所に戻って事情をレーグさんに知らせるために、再び馬を走らせた。
なにか、嫌な予感と言うか、違和感がる。
山の中の出張所に配属された新人の頃も、魔物が出ることはあった。
魔物の他にも、熊や狼が村を荒らすようなことがあれば、先輩に連れられて退治に行ったものだ。
みんな、必死で真剣だった。
さっきの隊員のような、弛緩した気分で仕事に当たってる衛士なんていなかった。
油断すれば大怪我をする、命を落とすってことを、みんな、理解してたからだ。
「クソ……気分わりぃなぁ」
俺は、小さい頃のことを少しだけ思い出した。
生まれ故郷のミノッサ村に駐在してた衛士は、なにかいつも無愛想で、偉そうで、村のみんなをバカにしたように笑う、いけ好かない野郎だった。
衛士に対していい感情を持っていなかったそんな俺を変えてくれたのは、4年前の大事な出会いがあったからだ。
あれは俺がまだ15の、今よりもっとガキの頃。
俺は下の弟と妹を連れて、ラウツカの秋祭りを見物に行ったんだ。
ミノッサ村からラウツカは、歩いて半日の距離、いわばお隣だ。
俺たちは通りがかりの商人に頼み込んで荷馬車の端っこに乗せてもらえたので、それほど時間もかからずラウツカの街に着くことができた。
「でっかいかべー!」
弟は東西に延びる巨大な城壁に感激して。
「このあめ、なかにいちごがはいってる!」
妹は祭りの出店ではじめて見るような、凝ったお菓子に夢中になった。
そうして楽しい時間を過ごしていた俺たちだけど、祭りがおこなわれている大通りから少しだけ外れたところに入りこんでしまった。
「こっちに来てもなんもねえぞ。さっさと出店のある方に戻ろうぜ」
俺はそう言ったけど、弟と妹はもっと探検したい、と言ってきかない。
始めて来る大きな街だから、仕方ないかと思って俺も少しの間、好きにさせてやるかと思ったんだ。
そんなときだった。
「おおっとボクちゃんたち~。道に迷ったのかな~?」
「祭りに来てんだ、ガキとは言えそれなりに金は持ってるだろ」
「大人しく出すもんださねえとどうなるか、わかってるよな」
たちの悪い3人組が現れて、そのうち一人の男が妹の手を無理矢理、掴もうとした。
「に、にぃちゃあん……やだぁ……」
「や、やめろコラッ!」
俺はなにも考えずに、妹に乱暴しようとしてた男に体当たりをかます。
「うぉっ、こいつ!」
俺の攻撃は全然効いておらず、相手をよろけさせるのが精いっぱいだったけど。
「お前ら! 走ってすぐに大人を呼んで来い!」
弟と妹にそう告げて、俺は悪漢たちに後を追わせないようにその間に立ちふさがった。
そしてそのあとすぐ、衛士の人を呼んで来いと言わなかったことを、軽く後悔した。
根本的に、衛士なんて信用してなかったんだな。
「調子に乗んなよ!」
ドカッ、と背中を蹴られる。
地面につんのめった俺を、ろくでなしども3人がすぐに取り囲む。
「全然弱っちいなおい!」
バキッ、と顔を殴られる。
ドゴッ、と腹を蹴りあげられる。
いてえ、いてえよ畜生、しつこいぞこの連中……!
そうだよ、俺は弱いよ。
兄ちゃんも父ちゃんも漁師の割には優しくて、俺はめったに殴り合いの喧嘩なんかしたことなかったからな……。
俺は魔法の腕も未熟だから、こんなにボコボコにされちゃあ、魔力を行使するために気を張ることもできねえ。
弟たちは、ちゃんと助けを呼べただろうか。
まあ、あいつらが無事なら、最悪それでもいいか、なんてことをタコ殴りにされながら俺が思っていた、そのとき。
「止まれーーーッ!! 衛士隊だーーーーーーッ!!」
天を切り裂くような大声が路地裏に飛び、俺も、暴漢たちも、動きを止めた。
声の主は、女だった。
背もそれほど高くなく、体つきもそれほどがっしりしているという風でもなく。
ほっそりしているようにも見える、長い髪を後ろで結んだ女の衛士が、そこに立っていた。
「な、なんでえ。ちんちくりんの衛士が一人か」
「でかい声で驚かせやがって」
「面倒だし、ずらかろうぜ」
男たちは笑ってそう言いながら、俺が首から下げている銭入れ袋をひったくろうとする。
しかし。
「やめろと言うのがわからんのかーーーッ!!」
女衛士はそう叫ぶや否や、恐ろしい速度でこちらに走って来て。
「ホアッチャーーーッ!!」
男のうちの一人を、大弩で放たれた石弾のような勢いで、蹴り飛ばした。
比喩ではなく、蹴りを喰らった男は軽く十歩分以上は、吹っ飛んでいた。
「て、てめえ! なにしやがる!」
もう一人がその女衛士に勢いをつけて殴りかかる。
「って、おぉッべ!?」
しかし、なにがどうなったのか俺には全く分からない理屈で、殴りに行った男の方が、宙を一回転して顔から地面に落ちた。
そして、最後の一人。
「こ、こいっつ……なめやがって!」
男は腰から短い刃物を抜いて、女衛士に突進して行く。
「あ、あぶない、衛士さんッ……」
俺はズタボロのていでありながら、なんとか地面に落ちていた石を拾い、男にめがけて投げた。
「イテッ……」
大した効果はなかったと思うけど、命中して男の気を逸らすことができた。
その一瞬の隙で、いつの間にか衛士の女は男の背後に回って。
「すまん、助かった!」
俺の方を一瞥しそう叫びながら、男の後頭部の髪の毛を両手でむんずと鷲掴みにして、おもいっきり地面に引きずり落とした。
「ぐぎゃぁ!!」
ものすごい速度で後頭部と背中を地面に強打した男は、苦悶の声を上げながらのた打ち回った。
おそらく、俺が手を貸したのなんて、余計なお世話でしかなかったんだろう。
でも、あの女の人は、衛士さんは、一瞬だけど。
俺に笑って、お礼を言ってくれたんだ……。
そこで俺は気を失い、次に目覚めたのは、ラウツカ市内の、どこかの衛士詰所だった。
俺は安静にベッドに寝かせられて、傷もある程度手当されていた。
「にぃちゃん死なないで~~」
妹が足元にすがって泣いている。
「あ、おきた! にいちゃん、おれ、えいしさんよべたよ!」
弟が興奮して話しかけてくる。
俺の枕元には、助けてくれたあの女の衛士さんが濡れた布巾を持って立っていた。
「大丈夫か。熱は出ていないようだが、念のためにと思ってな。今、医者を呼んでる。もう少し寝ていろ」
ぺちん、と俺の頭に濡れ布巾を乗せて、穏やかに笑ってそう言ってくれた。
まるで象牙のように滑らかな肌と、涼しい目元をした美人だった。
さっきまで、鬼か闘神かと言うような大立ち回りをしていた同じ人物とは思えん。
「あ、ありがとうございました……なんとお礼していいか」
「なに、仕事だ。しかし、勇気があるじゃないか。立派だったぞ」
「いえ、そんな……」
俺が恐縮して小さくなっているのを励ますように、優しい声をかけてくれる。
全然、大したことなんてできなかったと思うけどな。
「ところで名前は? 住まいはどこだ? もう仕事はしているか?」
医者が来るまでの時間つぶしか、事件に巻き込まれたから調べる必要があるのか。
女衛士は俺の素性について質問してきた。
「ジョー・カニングです。ミノッサ村で、親の漁の仕事を手伝ってます」
「ほお、漁師さんか。美味い魚が毎日食えていいな」
「いっつもいっつもだと、たまには違うものが食べたいですけどね……」
俺も少しずつ元気を取り戻してきて、話に付き合う余裕が出て来た。
「そう言えば林檎があったな。気分が良くなったら食べるといい」
女衛士は俺の手に、大きく熟れた秋林檎を握らせて言った。
喉が渇いていた俺は、すぐさまそれをいただいた。
シャリシャリして、甘くて瑞々しくて、今まで食べたどんな林檎よりも美味かった。
「美味しいです、すごく」
色々あって感極まってきた俺は、目の奥に熱いものを感じているけど、なんとかこらえる。
口数の少ない父ちゃんが唯一口うるさく言うことは、男が軽々しく涙を見せるな、ということ。
人前で泣かないというのは、俺たち男兄弟にとって絶対の家訓なんだ。
「医者が来たみたいなので、私はもう行くよ。帰りの馬も含めて、あとのことは他の隊員に申し送りしてある。なにも心配するな」
「なにからなにまで、本当にありがとうございます……」
「お安いご用だよ。これからもなにかあれば、衛士隊にご一報よろしく」
颯爽と立ち去って行った女衛士の背をぼーっと見送る。
その後、無事に家に帰った俺はある一つのことを後悔していた。
「名前、聞いてない……!」
名も知らぬ、強く美しい女衛士はその後も俺の心に大きく存在し続けた。
もしも衛士になれば、いつかあの人にお近付きになれるかもしれない。
ダメだったとしても、村にいるよりはきっと出会いも多いに違いない。
ついに俺は17の春、村を出て衛士隊に入ることを決めたのだった。
そこまでが俺の、淡き思い出の日の話と言うことさ。
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