タイトルマッチ:観客・桑村真奈美

ドガァッ!

『あーっと!挑戦者のフックがチャンピオンに炸裂!これは厳しい!』

 思わず目をつぶった私の耳に、アナウンサーの叫びが突き刺さる。怖々目を開くと天道寺さんがヨロヨロと後ずさっていた。

 私が天道寺さんのファンになったのはあるテレビ番組がきっかけだった。アスリートの一日に密着取材するという番組だ。その中でのインタビューで「辛くはないのか」と尋ねられた彼女はこう答えた。

「確かに辛いこともあります。自分でもなんでこんなに苦しいのになんで続けてるのかなって思ったこともあったんですけど、よく考えてみたら……うん、楽しいって気持ちの方が強いから続けて来れたんでしょうね」

 何でもないようなコメントだったけど、その当時の私にとっては福音だった。私はそれ以来楽しいことを探して探して、探しまくって……どうにか生きづらさとバランスを取ることが出来た。今の私はちょっと享楽的かもしれないけれど、それでもなんとか生きていられる。もし天道寺さんに出会えなかったら、私は折れていたと思う。

 だから、天道寺さんがタイトルマッチを受けると聞いたとき、なんとしてでも観に行きたいと思った。チケットを取るのは苦労したけれど、初めて生で見るボクシングの試合は、なんというか、会場の熱気に飲み込まれるのがたまらなく楽しい。試合を見ているのではなく、ボクサーたちの激闘が生み出す闘気を浴びに来ているような、そんな感じがする。

 だから、天道寺さんの試合が始まって、挑戦者を圧倒していたときは、まるでそれが私に乗り移ったかのように興奮したし……挑戦者のフックを食らった瞬間は、自分自身が殴られたかのように背筋が冷たくなった。

 怖々と目を開くと、天道寺さんは立ってはいるものの足元がふらついている様子で、そんな天道寺さん目掛けて、挑戦者がトドメのパンチを繰り出したところだった。

 恐ろしさが私の目を閉じようとした。けれど、「危ない!」「負けないで!」それとも「がんばって!」か「応援してます!」か。口に詰まった天道寺さんへの応援の言葉。本当に口の中から一気に出てこようとしてつっかえたその言葉が、目を閉じさせるのを忘れさせてしまった。……そして、その間に試合は終わった。

バッコォッ!

ドターン!

「……ダ、ダウン!……1!……2!……3!……4!……5!……6!……7!……8!……9!……10!ノックアウト!」

カンカンカンカーン!

 挑戦者のパンチに合わせるかのように天道寺さんはカウンターを放った。その一撃は挑戦者の顔面にクリーンヒットし、彼女を大の字に打ち倒した。

「ぃやったぁあああああッ!」

 私は思わず立ち上がり、万歳をする。隣席のおじさんが迷惑そうな顔をしたが、私は気にしなかった。

 担架で挑戦者が運び出される中、私は決意する。ネットで調べた近所のボクシングジム、その体験入塾に申込みしようと。

 天道寺さんが勝ち名乗りを上げている。私も彼女に負けないくらい「楽しさ」を集めようと、なんにでも挑戦してみようと思う。……「辛さ」に負けないように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る