#002-1 少女は、出会った。

 2022年6月14日、日本。最近発売した大人気のVRゲームのあれやこれやとは疎遠な、田んぼばかりが広がる長閑な田舎。人口が1000人にも満たないような小さな村の中をふらふらと歩く小柄な少女がいた。


「暑い……まだ梅雨にもなってないのに、こんな暑さ溶けちゃうよー」


 中学校のセーラー服に身を包んだ彼女は頬を伝う汗に心底嫌そうな表情を浮かべている。むしっとした暑さとここ数日で大きくなり始めた虫たちの声。加えて徒歩で片道30分という長い通学路にも苦しみながら、山道を少しずつ登っていく。


「夏本番になったら冗談抜きでヤバそうかも。昨日のニュースでも都会の学校で熱中症があーだこーだ言ってたし私も気を付けないと」


 丁度良い木陰にスカートを広げながら腰を下ろして、ヤバいヤバいと小声で呟きつつリュックサックから銀色の水筒を取り出す。コップとして使える蓋へと学校で汲んでおいた井戸水を注ぎ込み、ちょびっとずつ喉を潤して。


「ぷはー、ちょっと温くなってるけど生き返るよー。早く帰って動画でも……いや、もう少しだけ涼んでいこうかな」


 道路の傍はまだ暑さが残っている。しかしここから少し歩けば小川が流れていて、そこなら充分に涼しさを楽しめるはず。そう思い直した彼女はリュックを背負い直して、慣れた足取りで木々の間を歩き出した。


 山の中で成長してきた少女にとってここは実家の庭のようなもの。実際の所、祖父が所有している山の中であるため正真正銘実家の庭なのだが。ともあれ木々の根っこに躓くこともなくすいすいと川の音へ近付いていく。


「やっぱ川が流れる音だけで癒されるよねー。涼しいし、何だか落ち着くし。どうせ家族は畑に行ってていないだろうから昼寝でもしようかなー」


 自他共に認めるのんびり屋な彼女は、近くの木の根元へと荷物を下ろして川へと歩みを進めた。そして裸足を付けて涼もうと思い靴を脱ごうとしたその時。


「……誰かいるーっ!?」


 川に流されてきたかのように、下半身を水に浮かべて川辺に倒れている人を発見した。明らかに意識がないようで彼女は慌ててその人の元へと寄り、大丈夫ですかと顔を覗き込む。


「わ、すっごく綺麗な人。あの、大丈夫ですか?」


 その顔付きはまるでアニメに出てくるかのような整ったもので、きっと外国の人だと予想がついた。しかし観光地も特にないこんな場所でどうしたんだろうと不思議に思いながら、恐る恐るぺちんと頬を叩いて呼びかける。


 数度叩いてみればその女性の目が鬱陶しそうにヒクつく。まるで眠りにおちたお姫様を起こしているかのような光景だが、このままだと風邪を引いてしまうと心を鬼にして肩を揺らす。すると嫌そうな呻きを漏らしながら女性は薄らと目を開けた。


「……誰?」


 そう問い掛けられたにも関わらず、少女は喉から声が出ない。何故ならこちらを見つめる緑色の瞳が宝石のように美しくて、思わずぽーっと見蕩れてしまったから。しかし初対面で瞳を見つめられる側は堪ったものじゃないようで、警戒するように目を細めて体を起こした。


「あれ、ここは? 何で私は川に入ってるの?」

「あ、あの! 大丈夫ですかー!」


 ようやく我に返った少女は焦っていたことも思い出してわたわたと身振り手振りをしながら声を掛けた。日本語が通じているのにも関わらず、どうにかこうにかボディーランゲージをしようとしているのは混乱のせいか、それとも日本人離れな女性の容姿のせいか。


 そんな少女の様子を見て、女性は暫しきょとんとした後噴き出すように笑う。こんな場所で眠りこけていられる程に彼女は相当なのんびり屋であった。


「うん、多分大丈夫よ。それで貴女は何者かしら?」

「ほっ……良かったー。えっと、わたしの名前は加賀野かがの夏海なつみって言います」


 セーラー服の中学生、夏海はぺこりと頭を下げて挨拶をした。いちいち動きのあるその幼い容姿に森に棲む小動物たちのような可愛さを感じた女性は、柔らかな笑みを浮かべて真似をするように頭を下げた。


「この地の挨拶の仕方かしら、面白いわね。私はヴェール、リナクリシアの里に住むエルフよ」

「……はい?」


 意味不明な発言にまた思考がショートした夏海に向けて、ヴェールはしっとりと濡れている髪をかき分けてよく見えるようにと耳に掛けた。そこにあったのはとても綺麗で、普通の人間とは思えない程に尖った耳。


 漫画やアニメでしか知らない、フィクションの存在が目の前に現れる。普通なら冗談だと笑い飛ばしたりするものだけれど。


「夏海は初めて見るのかしら。変ね、昔は引き籠もってばかりだったけどここ数百年は外に出る子も多くなってたはずなのに……それに空気も何だか変だし、一体何が起きたのかしら」


 首を傾げて妙なことを呟くその姿が、非常識なくらいに美しくて。信じるか信じないかとかそんな段階をすっぽかした夏海は一言。


「……とりあえず、家に来ます? 服も乾かさないといけないと思うので」

「そうね。冷たくて気持ちいいけれどいつまでもこのままじゃ駄目だもの。お言葉に甘えさせてもらおうかしら」


 エルフでも川は冷たくて気持ちいいものなんだな、なんてどこか的外れな言葉を頭の中だけで呟きながら、夏海は自身のリュックサックを拾うのだった。

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