届けてみせます、どこまでも
マヤマコトー
これから、ここから
私はこの世界が嫌いだ。
………いや、世界といえば大袈裟か。だとするとなんだ。世間か?それも違う気がする。
まあいいか。
私はこの世界が嫌いだ。私から全てを奪っていくこの世界が嫌いだ。
「………ふぅ」
息を吐く。
どれくらい屈んでいたのかわからないが、ふくらはぎに疲れがある。屈伸をして立ち上がり、置いていた缶コーヒーをジャケットにしまう。
「じゃあな、また来る」
返事のない相手に声をかけ、私は歩き始めた。
本日は曇天。風に冷たさがある3月末。今年は開花具合が遅い桜もどことなく肌寒そうにしている。せっかく咲くのなら、他のやつと一緒に咲けばいいのに。だいたい桜なんて、ポツンと咲いてたって物悲しいだけじゃないか。まるで…
「………はぁ」
息を吐く。今度は溜め息だ。
「早いのは仕事だけにしろよ、まったく…」
やや俯きがちに歩きながら、つい愚痴が出る。マスクがあってよかったと思う。独り言も聞かれずに済むし、化粧も手抜きでいいからな、うん。いやまあ、マスクをしていようがしてなかろうが、化粧は普段からロクにしていないし、手抜きこそ普通だが。
そんな言い訳をしながら歩き、待たせている愛車を一瞥して通り過ぎる。今は和菓子屋に行くことが最優先だ。ここ数日はこのために頑張ったとも言っていい。
疲れた時には甘いもの。これがあるから頑張れる。
全てを奪っていくと言ったが、私にとって残された数少ないもの。ここが無くなれば私は…
「……………」
意識が飛びそうになる。
スマートフォンに表示された日時を確認。カレンダー機能、ポケットに忍ばせている手帳と照らし合わせて確認する。今日は定休日ではない。
いつもは開いている入口にシャッターがされ、紙が貼られている。
[ご来店の皆様へ。
本日は誠に申し訳ありませんが、店主の体調不良により開店を取り止めることとなりました。せっかく御来店いただきながら申し訳ありません。
再開は………]
もう、最後まで読めなかった。
わかりやすく落胆して来た道を引き返す。下り坂だが、愛車へと向かう足取りは重い。
そして思う。
私はこの世界が嫌いだ。
牛込神楽坂駅から程近い駐輪場。そこに置いてきた愛車に跨がってヘルメットを被る。すると大学生らしき人々が、こちらを見て何かを言っているのが視界に入ってきた。
しかし特段気にしない。最近は大型トラックでも女性のドライバーは増えてきたし、趣味で大型のバイクに乗る人達だっている。多くはないにしても、奇異な目という程のものでもない。
左右確認の後、私は大学生とおぼしき面々に目を向けず愛車を発進させた。黒の大型バイクに黒のヘルメット。古くから続く店と新しさが混在する神楽坂を、しなやかに走っていく。
天気のように気分もどんよりとしながら私は自宅を目指した。
「こうなったのもアイツのせいだ」
バイクの振動と風だけが心地よく感じるなかで、目的の最中が買えなかったことを八つ当たりする。いいんだ、返事はないことなんてわかってる。それもまたいつものこと。もう慣れている。
というより、寧ろ返事がある方が恐い。
さて私は右側に神田川。左側に白い屋根のドームを見ながら、自宅のある千葉方面へ走っていく。
神楽坂よりかは少しだけ桜の咲き具合がよかった。
卒業でも入学でもなく、異動でも入社でもない。ただの日常として走る都会の道は無機質だ。大学病院や程なくすると秋葉原も近い。比較的賑わいはあるが、どうしても平日の午前中は雰囲気は暗く停滞している。今の私と似ているかもしれない。
そんなことを思って、私は少しだけ遠回りであるこのルートを選んだ。まあ実のところ、ただ単に中央総武線を右手に見ながら走るのが好きなだけ。
もしかすると仕事中の反動かもしれない。
今日はのんびり帰ろう。
昌平橋を左折。とりあえず蔵前橋通りを目指すとして、少しだけ観光気分になってもいいでしょう。
私はルールの範疇で愛車のスピードを上げた。
曇天だし最中は買えなくて気分は重かったけど、少し楽しくなってきたような気もする。明日からまた頑張ろう。
向かう東の空は、青空が顔を出し始めていた。
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