悪魔憑きが来る!!

橋本洋一

狗神朋子

「トモコよぉ。お前、『怪我』する覚悟あるのかよぉ」


 はあ。朝から憂鬱なことを悪魔――ラプちゃんから言われた。

 私は面倒だったけど「怪我の内訳は?」と訊ねる。


「フハハ。『火傷』と『骨折』だぜぇ」

「うっわ。最悪。火傷って治るとき、痛いのよね」


 通学路をてくてく歩きながら、隣に『憑いて』いる『普通の人には見えない』ラプちゃんと小声で会話する。

 ラプちゃんのサイズは大きな赤ちゃんぐらい。赤と灰色が冒涜的に塗られていて凶悪なパンダのような見た目。特に顔は悪役プロレスラーの覆面みたい。


「そういえば、最近ここらで放火が多発されているけど」

「勘がいい女は好きだぜぇ」

「……マジで? 百パーありえないんだけど」


 ということは、その放火魔も『悪魔憑き』ってことになる。

 関わりたくないわ……


「あ、狗神いぬがみちゃん! 青い顔してどうしたの?」


 通学路の途中で同じ高校でクラスメイトの友人、山頭火種子さんとうかたねこが話しかけてきた。

 種子はいつもにこにこしていて明るい。クラスでも人気者だ。

 しかも私にはない、大きくて立派なものを持っている。牛乳飲んでいるのに。ちくしょう。


「ああ。種子。どうやら悪魔憑き関係で怪我するの決定したらしいわ」

「ええ!? またぁ!? ここ最近多くない?」


 頭一つ分小さい種子は私の顔を覗き込んで心配そうにしている。

 私は「あんたの兄貴の力が必要だわ」と言う。


「いつものゲーセンにいるのかしら?」

「う、うん。デパートの。今日こそクレーンゲームの商品取るんだって」

「あの人、浪人生でしょう? いつ勉強しているの?」

「最近はしていないみたい。ねえ、狗神ちゃん。頼みがあるんだけど」

「数学を教えてあげるのは勘弁。あの人、私に欲情するんだもの」


 種子は困った顔で「欲情じゃなくて恋しているんだよ」と訂正する。


「お兄ちゃん。狗神ちゃんの言うことしか聞かないから。真面目に勉強するように言ってよ」

「見返りを要求してくるじゃない。悪魔みたいに」

「だんだんと精神が同化していくみたい」

「あの人の場合は、どうかしているのよ」


 だけど、今回の悪魔憑きは放火を犯すぐらいの危険人物だから、手を貸してほしい。

 ま、あの人と連絡先、交換していないから種子を介するしかない。


「私は悪魔憑きじゃないから、よく分からないけど。引き合うんでしょ」


 そう。種子の言うとおり、悪魔憑きは引き合うのだ。

 まるで引力のように。


「そうねえ。出席日数が足りなくなるのは勘弁してもらいたいわね」

「入院してもお見舞いに行くから」


 学校に着いて、教室に入ると「あ。狗神ちゃんに訊きたかったことあるんだ」と種子が言う。


「どうして1が素数じゃないの?」

「うん?」

「だって、素数の定義は『1とその数以外は割り切れない数』だよね? だったら1も入っていいはずだけど」


 ゆるふわな見た目をしているくせに、案外鋭いことを言う。

 私は「二つ理由があって」と説明する。


「一つは『エラトステネスのふるい』を活用するため」

「え、エラ……なにそれ?」

「アルゴリズム、つまり計算方法なんだけど、表を作って素数を見つけるのよ。1から100までの素数を見つけるときは2の倍数を消して、3の倍数を消して……ってどんどん数字を減らす」

「へえ。なんか効率がいいのかな」

「そのとき、1が素数だとどうなる?」


 種子は腕組みして――胸がはみ出て周りの男子共が欲情した。私は睨んだ――考えた後に答えた。


「全部、消えちゃうね」

「そういうこと。二つ目は『素因数分解の一意性を保つ』ため」

「な、なんだか難しそうだね」

「種子。8を素因数分解すると?」

「ええと……2×2×2?」

「別解は存在する?」

「ないと思うけど」


 私は隣に浮いているラプちゃんを気にしながら「じゃあ1が素数だと?」と問う。


「えっと……あれ? これ解けなくなる?」

「そうね。1はいくらかけても1のまま。だから別解が無限に存在してしまうのよ」

「つまり、人間の勝手で定義されているの? そんな印象だけど」


 私は頷いた。ラプちゃんは「フハハ」と笑った。

 数学が好きになったのはラプちゃんの影響だ。

 人間には限界がある。特に数学がそうだ。

 世界の物事を数字で完全に説明できないし、ましてや悪魔のことなんて理解できない。

 そして、人間の心も――証明できない。



◆◇◆◇



「まさかねえ。帰宅すると放火をしようとしている放火魔と出くわすなんて」


 限りなく確率が低いことでも、起きてしまえば事象となる。

 目の前で『悪魔を使って』放火しようとしている不良の若者がいる。

 どうして目の前にいるのかというと、今まさに火をつけようとしているのが、私の自宅だったからだ。


「あちゃあ。家主っつーか、住人に見られちゃ駄目だわ。まだまだだわ」


 髪を金色に染めて、腕にはタトゥーが入っている、服装もストリート系な不良。

 いや、チーマって言えばいいのかな?


「俺の名前は、笠井かさいって言うんだけどよ」

「あ。興味ないです。このまま帰ってくだされば、警察に連絡しませんから」

「まあ待て。それは魅力的な提案だ。でももっと魅力的なのは――」


 ぼうっと音を立てて、笠井の後ろにいる、どろどろのマグマが人型をしている悪魔が、私に向かって炎を投げつけようとしていた。


「――人が燃える様を見られることだよなあ!」


 私は炎を避けて――距離もあって、速度は無かった――そのまま逃げる。


「ああん? お前、こいつが見えるのか。面白えじゃん!」


 うう! またこの展開か!

 私は「ラプちゃん! あの人のところまでのルートを!」と呼びだした。

 ラプちゃんは「トモコが死ぬと俺も死んじまうからなぁ」と笑った。


「右の道に向かえ。後それから『バナナで滑る』覚悟はできているか?」

「……今時、それは恥ずかしいわね!」


 私はスマホを取り出して「種子! 助けて!」と打った。

 後はあそこに向かえば――


「……マジであった」


 道の真ん中にバナナの皮。

 避けることもできる。

 踏まずに通ることもできる。

 だけど敢えて――バナナで滑る!


「きゃああああ!」


 思いのほか、バナナはよく滑った。尻餅をついてしまう。

 だけど『バナナで滑ったおかげで放たれた炎を避ける』ことができた。

 危ないところだった……コケなければ、全身火傷してしまうところだった。


「次は『バスケットボールを子供に返す』んだぜぇ。トモコぉ!」

「相変わらず、意味不明ね!」



◆◇◆◇



「はあっはあ、どうなってんだ……?」


 デパートの四階と五階の間の階段の上で、私は仁王立ちしている。

 放火魔の笠井は理解できていないみたいだった。


 そりゃあそうだろう。

 バスケットボールを子供に返したおかげで、またボールが道路に落ちて、運転手が避けるためにハンドルを切って、放火魔の攻撃をトラックの荷台で防いだ。

 ホームレスの近くに小銭を落としたことで、それを拾おうとして中腰になったホームレスに放火魔がぶつかって転んでしまった。

 その他にも一見、無意味に思われる行動が、結果的にここに来させてくれた。


「お前のその悪魔は、なんなんだ!」


 おそらく、イフリートと呼ばれる炎の悪魔に憑かれている笠井。

 私は「あなたは『ラプラスの悪魔』って概念を知っているかしら?」と言う。


「はあ? なんだそりゃ?」

「大昔、ラプラスって数学者が唱えた概念よ。『ありとあらゆる計算が瞬時にできるモノがいれば、未来すら予知できる』つまり、私が憑かれている悪魔はそれよ」


 ラプちゃんは「フハハ。そういうこった」とにやにや笑っている。

 私が死ぬと、ラプちゃんも死ぬけど、怪我とかの痛みは共有していないから余裕なものだ。


「ラプちゃんの指示に従えば、ここに辿り着けるのよ。ま、いろんな『覚悟という対価』が必要だけど」

「意味分からねえ。どうしてお前がここに着たがっていたのかも、分からねえ。逃げ場ねえじゃねえか」


 笠井が一歩ずつ階段を昇っていく。

 まだ、遠い……


「話聞いていた? ここに辿り着いた時点で、あなたの負けが決定しているの」


 挑発にカチンときたのか、笠井は勢いよく私に向かって駆けていく。

 私は――宙を飛んだ。


「なっ――」


 笠井を巻き込んで、揉みくちゃになりながら、階段を落ちていく私。

 足が折れた感覚――想定通りね。


「て、てめえ……」

「ふ、ふふふ……」


 笠井も動けずにいる。

 彼もまた、足を骨折したようね。


「このくそ女が!」


 炎で攻撃されたけど、距離が近いせいか、笠井自身も巻き込まれないように威力を殺していた。だからほんの少しの火傷で済む。


「あー、火傷と骨折、したわねえ……」

「それも計算のうちか? くだらねえ」


 笠井は階段の手すりを使って立ち上がった。

 天井からスプリンクラーの水が出る。


「まさか、この程度の水で、炎が出せないと計算しているのか?」


 笠井は得意げに手元から炎を出す。

 私は「そんなわけないじゃない」と笑い返してやった。


「スプリンクラーは、あの人を呼ぶため。階段から落ちたのは、あなたを逃がさないため」


 笠井は何か言おうとしたけど、背筋が凍る思いをしたのか、勢いよく振り返る。

 そこには、種子のお兄さん――山頭火種彦たねひこがいた。


「俺の狗神朋子ともこに何をしている?」


 あんたのものじゃないけど。


「て、てめえは……」


 お気の毒だけど、あなたはもう終わりね。

 浪人生でデパートのゲーセン通いのどうしようもない人だけど。

 憑いている悪魔の格が違う。

 だって、悪魔というより、魔王って言ったほうが正しいんだもの。



◆◇◆◇



「退院にはしばらくかかりそう?」


 器用にリンゴを剝いてくれる種子に私は「綺麗に折れているから早いそうよ」と言う。


「お兄ちゃん。滅茶苦茶に怒っていたよ。放火魔もそうだけど、狗神ちゃんにも」

「あれは不可抗力よ」

「目が覚めたとき、お兄ちゃん説教したじゃない。それで気まずくて、お見舞いできないって」


 私はため息をついて、それから種子に言う。


「仕方ないわね。私のほうから会いに行くわ」

「本当!? 珍しいねえ」


 デパートのゲーセン、行かれなくなったって聞くし。


「ねえ、ラプちゃん。あの人許してくれるかな?」


 私はラプちゃんに訊ねた。


「フハハ。知らねえよぉ。だってお前ら、割り切れねえ関係じゃねえか」


 そのとおり。

 私の気持ちを計算して証明するのは、まだ先送りにしておこうかな。

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