纏う凶器と秘められた狂気

矢魂

纏う凶器と秘められた狂気

「ええ……。気が付いたらここに倒れていたんです」


 そう言うと、頭に包帯を巻いた男。この高校の体育教師である梅沢うめざわは生徒指導室の中央にある机を指差した。


「なるほど。つまり梅沢先生は昨日の放課後、この生徒指導室で特定の生徒の指導をされていた……と。そして生徒達を帰した後、背後から何者かに襲われた。間違いないですね?」


 ヨレヨレのスーツに身を包んだ刑事・新田信一郎あらたしんちいろうは梅沢の指先と自身の手帳を交互に見つめながら問いかけた。


「はい。こう、出入口に背を向ける様に私は座ってたんですわ。色々と書き物も溜まってましてね。ついでにやっちまおうと机に向かってたんですが……」

「ちなみに犯人のお心当たりは?」

「ああ。どうせ指導に呼んだ生徒の誰かでしょう、忌々しい。特に昨日呼び出した三人はとんでもない悪ガキどもでしてね。他の先生方もほとほと手を焼いてるんですわ」

「生徒指導の報復に傷害事件ですか。にわかには信じられませんが……」


 新田の言葉に梅沢は『はぁっ』とため息を漏らした。


「まあ、あのバカ共のことです。ムカついたからぶん殴った……。そんなとこでしょう。昨日は特にきつく叱ったもんですからなぁ」


 包帯の上から後頭部をさすると、梅沢はどこか遠い目をする。


「心中お察しします。……ところでその三人と言うのは?」

「ああ!失礼しました。その生徒の名前は……」


 梅沢から三人の容疑者候補の名前を聞くと、新田は使い込まれた手帳に、その特徴をすらすらと書き込んでいった。


 一通りの捜査が終わると、新田は再び生徒指導室の中をぐるりと見回す。そして腕組みをすると、ふぅと深く息を吐いた。そんな彼の元に、一人の男が駆け寄って来た。新田とは正反対の、パリッとしたスーツを着た新人刑事・古川である。


「お疲れ様です!新田先輩!」

「ああ、古川君か。お疲れ様。どうだい?捜査の方は?」


 新田の問いに、古川は両足を揃えると、勢い良く敬礼をした。


「はい!それはもう!全くもって皆目見当もつきません!」

「そんなに元気良く言うもんじゃないよ。そういうことは」


 ペチンと額をはたかれた古川は、申し訳無さそうに新田の顔を見つめる。


「それじゃあ今回の事件を整理してみよう。そうすれば見えてくることもあるだろう」

「整理?ですか……」


 パラパラと手帳を捲ると、新田は事件の概要についての解説を始めた。


「今回の被害者はこの高校の体育教師である梅沢さんだ。生徒指導室にて作業中、後頭部を鈍器の様な物で殴られ負傷している。犯行直後、梅沢さんは気絶しており犯人の姿は見ていないそうだ。また傷口から少量の出血があり、凶器には彼の血液が付着している可能性が高い」

「なるほど。して、容疑者は絞れているんですか?」

「うん。容疑者は三人。柔道部に所属する俵田たわらだ君。野球部に所属する草野くさの君。剣道部に所属する小手川こてがわ君だ。それぞれ二年生の男子生徒で、犯行時間の直前に生徒指導の名目で梅沢さんに呼び出されている」

「柔道部に野球部に剣道部ですかぁ。なんか皆喧嘩強そうですね」


 他人事の様に相づちを打つ古川にやや呆れつつも、新田は続ける。


「実際喧嘩の多い生徒達だったようだよ。昨日の呼び出しも素行の悪さを注意されたらしい。」

「怒られた腹いせに犯行に及んだってことですか?……怖いなぁ」

「逆に言えば衝動的な犯行だとも言える。つまり使用された凶器は事前に用意された物ではなく学校で調達された物だと考えられるね」

「学校で……。野球部ならバット、剣道部なら木刀?柔道部なら……」

「いいや、それはないよ。そんな物持ち歩いて校内をうろついていたらすぐに見つかってしまうからね」

「そうですか。なら、新田先輩は凶器に心当たりはあるんでしょうか?」


 古川がそう尋ねると、新田は自身の腕時計をちらりと見た。


「大方の見当はね。事件の当日、容疑者の三人は部活動の最中に顧問の先生を通して呼び出されている。その際相当急かされていたんだろう。それぞれ柔道着や剣道着、野球のユニフォーム。つまり各々が競技中の服装そのままで指導室を訪れていた。この事実に加え、今捜査員の皆に探してもらっている『ある物』が見つかれば……」


 そう新田が言いかけた直後、一人の捜査員が生徒指導室に飛び込んできた。


「新田さん!仰っていた物が見つかりました!」


 彼が差し出した手には、小さなビニール袋が握られている。そしてその中にはビー玉ほどの小石が数粒入っていた。


「校舎の外、生徒指導室の窓の前から発見されました!新田さんの予想通り微量ですが、被害者の血液が付着しています!」

「被害者の血液!?……じゃあ犯人はこんな小石で殴りつけたんですか?」

「いや、それだけでは不十分だ」


 新田は古川の眼前に二本の指を立てた。


「事件解決の鍵は二つ。指導室を訪れた容疑者三名の衣服の相違点。そして、窓の外から発見された血の着いた小石。どうだい、古川君?犯人はわかったかな?」

「え……ええ~と」

「ほら、行くよ。さっさと犯人を確保しないと」

「ちょ、待ってくださいよー」


 新田は古川を伴うと、別室に向かって歩きだすのだった。


 コンコン、というノックの後に空き教室のドアが開かれた。それと同時に目付きの悪い男子生徒が顔を覗かせる。


「いやあ、悪いねこんな所に呼び出して」


 木製の椅子に腰掛けた新田はその男子生徒に笑顔でそう言った。そんな新田とは対照的に、彼はムスッとした顔で入室する。


「ホントっすよ。あの事件のことはもう警察に何度も話したんスから。今更こんな空き教室に呼び出して何を聞こうってんスか?」

「いくら君が罪を犯したからってあまり公にする必要は無いと思ってね。僕なりの気遣いだったんだが……迷惑だった?」

「……は?アンタ今なんて」


 男子生徒の声を遮る様に新田は立ち上がると、彼に向かって人差し指を突き付けた。


「だから、君が今回の事件の犯人だと言ってるんだよ。……野球部の草野君!」


 驚く草野に歩みよると、厳しい視線を彼に送りながら新田は話を続ける。


「君は昨日、俵田君・小手川君と共に生徒指導室で梅沢先生にお叱りを受けた。そして一時は解散したものの、どうしても腹の虫が収まらなかった君は生徒指導室まで引き返し、無警戒の梅沢先生を背後から襲った。違うかい?」

「はぁ?何で俺だけなんだよ!他の二人だってやったかもしれねえだろ!それに凶器だって見つかってねえはずだ!他の警察が言ってんの聞いたぜ」

「そう!それだよ!……消えた凶器!それこそが今回の犯行を裏付ける証拠になるんだ!」


 そう言って新田はポケットからあの小石の入ったビニール袋を取り出した。


「あん?何だよ、それ」

「これ自体はどこにでもある何の変哲もない石だよ。だからこそ君も野球場に戻る途中にでも拾えたんだろう。そして君はこれとある物を組み合わせることで梅沢先生を気絶させたはずだ」


 その瞬間まで黙っていた古川だったが、ついに痺れをきらしたのか、新田の肩をゆさゆさと揺すった。


「新田先輩。何なんですか、ある物って?いい加減教えてくださいよ」

「わかったよ。答えは『靴下』さ」

「靴下?」

「そう。例えば、そうだな。この袋を靴下としよう」


 そして新田は小石の入ったビニール袋の端をつまむと、それをくるくると回し始めた。


「こんな風に重量物を袋に入れ、遠心力を利用すれば女性や子供でも窓ガラスくらいなら簡単に割る事ができる。犯人はこの要領で梅沢先生の後頭部を殴打し、生徒指導室の窓から中身の石を捨てた。そしてこの犯行が可能なのは、この教室に呼び出された際、唯一靴下を着用していた野球部の草野君しかいないんだよ。柔道と剣道は競技の性質上、靴下は履けないからね」


 だが、新田の推理を聞いた草野はニヤニヤとした笑みを浮かべ、教室の椅子に腰を下ろした。


「そんなのただの憶測だろ?俺の靴下が使われたっていう証拠はあるのかよ?」


 二人を挑発するように、草野は椅子を前後に揺する。だが、新田はそんなことなど気にもとめない様に淡々と口を開いた。


「その様子だと靴下の処分はうまくいったみたいだね」

「さあ?何のことだか」

「……例えばの話さ。今話した通りに靴下を使った場合、犯人はその後どうやって靴下を持って帰ったんだろう?」

「…………」

「中身の石にさえ血痕があるんだ。直接傷口に触れた靴下はもっと血が付着している可能性が高い。そんな物を手に持って出歩く訳にはいかないだろうし、かといって片足だけ靴下を履いていないってのは案外目立つ。んー、僕だったら……そうだね。いっそ履いて帰っちゃうかな。ほら、血の着いたであろう爪先の部分は靴で隠れちゃうし。まあ、靴の中はちょっと血が移っちゃうかもしれないけど」

「……!」


 その言葉に草野の表情が僅かに曇る。


「ところで、草野君?君の履いている上履き。ちょっと見せてもらってもいいかな?」

「…………っ!クッソ!!」


 観念したように上履きを叩きつけると、草野はその場に座り込んだ。そして自身の犯行を認めたのだった。


 事件解決後、新田と古川の二人は事件現場である校舎を後にし、帰路についていた。


「いやぁ~、お見事でした!先輩!まさかあんな方法で凶器を隠すとは……」

「それほどでもないよ」

「それにしても、生活態度を注意された腹いせに暴行かぁ。彼は凶器だけでなく、その胸の内にも隠していたんですね!」

「………」

「あれ?どうしました?新田先輩」


 はぁっとため息を吐くと、新田は古川の額をぴしゃりと叩いた。


「少し、いや。かなり寒いよ。今のは」

「ま、ま、いいじゃないですか。これからの時期は寒いくらいで。ほら」


 古川の指さした先では、ジリジリと照りつける太陽と、大きな入道雲が夏の訪れを静かに告げていた。

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