500日後に恋人になる百合を、1日目と1000日目から見る
森林梢
1日目と1000日目
1日目
教室の喧騒が心地いい。適度な環境音が、読書への没入感を強めてくれる。
高校二年生2日目。昨日の自己紹介も無難に済ませたし、幸先の良いスタートだ。
一年時と同様に、このまま平穏な日々が続くことを切に願う。
「加~奈ちゃん! おっは~!」
横合いから、甲高い挨拶が聞こえた。しぶしぶ文庫本から顔を上げる。
何がそんなに面白いのか、声の主は満面の笑みを浮かべている。ショートカットに切り揃えたライトブラウンの毛先は、パーマを当てているのか若干カールしている。
シミ一つない白い肌。細い腰。すらりと長い、彫像めいた手足。
【健康的な印象の美少女ギャル】という一文を具現化したような出で立ちだ。
つまり、目つきの悪い日本人形みたいな私とは真逆の容姿。
三橋由香。と、昨日の自己紹介で名乗っていた。気がする。
黙して情報を整理していると、三橋さんは不安げに眉根を寄せた。
「あれ? 才谷加奈ちゃん、だよね?」
一応、丁寧に返答。
「……合ってますよ。おはようございます」
「態度、バリ塩じゃん! どったの!?」
目を見開く三橋さん。堪らず尋ねた。
「……すいません、バリ塩とは何ですか?」
「バリバリ塩対応の略じゃん!」
「塩対応?」
「冷酷、的な感じっぽい意味」
【的な感じっぽい意味】なんて日本語は存在しない。文法が崩壊している。
嘆息交じりに返した。
「わざと冷たくしている訳ではありません。元々、こういう人間なんです。あと、知らない単語を知らない略称で言われても分かりませんよ」
正直、彼女のようなタイプは苦手だ。他人のパーソナルな部分に、土足で踏み込みそうな気がする。偏見だろうか。
早くどこかに行ってくれ。祈っていると、また三橋さんが声を上げた。
「これ、【君好き】じゃん!? こういうの読むの!? ちょっと意外かも!?」
「……」
購入後に知ったことだが、私が読んでいる真っ最中の小説は、最近女子高生の間で流行っている一冊だそうだ。
……必死に流行を追いかけているヤツみたいで、恥ずかしい。
「ほ、放っておいてください」
「今の反応、バリかわじゃん! いいね!」
お願いだから、話を聞いて。
1000日目
身支度を済ませて、寝室に向かうと、由香はまだベッドで寝息を立てていた。
身体を揺する。華奢な肩がぴくんと跳ねた。
「……由香ちゃん、朝だよ。授業、遅れるよ?」
「あとちょっと……」
「先週も、そう言って出席しなかったよね?」
返事はない。彼女は寝返りを打つだけ。
こういう所は、高校卒業以前から変わらない。
自由気ままで、マイペースで、いつも私の心をざわつかせる。
携帯電話で時刻を確認。授業が二限とはいえ、そろそろ準備し始めないと間に合わない。
由香を見やる。ブランケットから、肩から上だけが出ている状態。白く細い首筋が露わとなっている。
……やたらと嗜虐心をくすぐる姿だ。
「……」
ジャケットを脱ぎ、ベッドへ上陸。
ゆっくり、息を潜めて、由香に覆いかぶさる。彼女は自身の危機に気付いていない。
舌なめずりしてから、首筋に顔を寄せ、唇を押し当てた。ゆっくりと吸う。
「ひにゃっ!」
嬌声を漏らす由香。更に吸う力を強めた。
「ちょっ! 加奈! ストップ! キスマーク残っちゃうから!」
残そうとしてるんだよ。服にシワが付くことも厭わず、彼女の柔らかな身体を抱き締める。絶対、逃がさない。
高校の頃から、加奈は友達が多い。
【恋人がいる】と言って、基本的に飲み会の誘いは断ってくれているが、どうしても不安は消えない。
――彼女は私の恋人だ。誰にも渡さない。
やがて、由香は抵抗を諦めた。ブランケットの隙間から手を入れて、彼女の手の平に触れると、優しく握り返してきた。
頃合いを見計らって、唇を離す。口紅のせいで分かりづらいが、首筋にはキスマークがくっきりと付いている。
ブランケットをマントみたく纏った由香が、ベッドの上で身を起こし、不満げに言う。
「もー! 隠さなきゃいけないじゃん! あと15分は寝れたのにー!」
「嫌だった?」
本当に嫌だったら、彼女はちゃんと「やだ!」と口にする。だから、こういうことをするたびに、私は聞いてしまう。
白けるかな。野暮なのかな。態度から察した方がいいのかな。
でも、万が一の場合は謝りたいし。
問いに、由香は頬を染めて、唇を尖らせた。
「……嫌じゃないけどさ~」
「……だと思った」
こっそり安堵の息を吐く。
これで二度寝はしないだろう。しかもキスできた。一石二鳥だ。
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