第33話 睦子が……(※三人称)
驚いた。市民達への緊急アンケートが行われてから数日後、その回答が「こんなに集まる」とは思わなかった。公民館の中に集められる、アンケートの紙。それが入れられた段ボールの山。段ボールは公民館の中に次々と入れられたが、それが小ホールの真ん中からどんどん積まれて行くと、最初は「結構、有るな」と驚いただけだったが、最後には思わず「凄い」と唸ってしまった。「小ホールの中が、殆ど埋まっている」
天理は神社の神主に目をやり、それからお寺の次男坊にも目をやった。二人共、彼の言葉に苦笑いしている。彼等もまた、「此処まで凄い」とは思っていなかったらしい。彼等の手伝いにやって来た人々はそうでもなかったが、此処まで段ボールを運んで来た行政の職員達、神社の関係者やお寺の協力者達は、自分の汗を何度も拭って、腰の痛みに「ううん」と唸っていた。天理は、彼等の反応に苦笑した。
「お、お疲れ様、です」
「ああうん、お疲れ様です」
そう応えたのは、誰なのか。それは、天理にも分からなかった。天理は運搬役の人々を暫く眺めていたが、次男坊が自分に「それじゃ、やるか?」と言うと、口元の苦笑を消して、次男坊の顔に視線を移した。次男坊の顔は、儀式の空気に表情を引き締めている。「やりましょう、此が上手く行けば」
彼等もきっと、救われる。町の因習に捕らわれている二人も、その呪縛からきっと解き放たれる筈だ。それに関わっている外村秀一も、その悩みから解き放たれる筈である。天理は(小ホールの出入り口から見て)正面、それに続いて次男坊は左斜め、神主は右斜めに立って、それぞれに得意とする力を使い始めた。「神と人の融合、神秘とムの融合を」
只、望む
天理は二人の呪文に続いて、その掌に勾玉を作った。それは本来、悪霊を本来の姿に戻す道具だが。今回は、その仕組みを少し変える。勾玉の持つ浄化作用を活かして、呪いの中にも浄化作用を付ける。
町の人々に分けられた呪いが、その内容以上に暴れない為に。その呪いによって、人々の命が脅かされない様に。呪いの濃度を薄める事で、その災い自体を「和らげようと」したのだ。「神」と「仏」の加護に合わせて、その力を「強めよう」としたのである。天理は二人が町の人々に呪いを掛けると、段ボールの山に向かって、右手の勾玉を放り投げた。「点の光を」
そう、呟いた瞬間だろうか? 天理が段ボールの山を見詰める中で、その山が目映い光に包まれ始めた。神秘の色を纏った光、救いの声を抱いた光。光は段ボールの全てを包んで、その姿をすっかり隠してしまった。
……その光が消えたのは、それから直ぐの事だった。それと同時に広がる、不可思議な光景。段ボールの山が突然に消えてしまった光景。それが不意に現われたのである。
天理は、その光景に驚いた。驚いた上に何処かホッとした。「此で全てが終った」とは言い切れないが、それでもやはり「ホッ」としてしまったのである。天理は段ボールの山があった所に近付いて、その場所にゆっくりとしゃがんだ。「気配が感じられない。アンケート用紙に押された血判の気配も」
それに「そうだな」と応えたのは、寺の次男坊だった。次男坊は……いや、「次男坊」と言うのは止そう。彼はもう、天理に自分の名前を名乗っている。「
半蔵は穏やかな顔で、天理の横に歩み寄った。「血判に呪いが宿ったからね。賛成者のアンケートは皆、祠の中に飛んだんだろう。あの人柱に代わる人柱して。反対者の血判も、賛成者の呪いを和らげるのに役立った。天理君が作った勾玉に意思を乗せる事で、呪いの力を下げる。賛成者の負担を減らす為に」
天理も、その言葉に続いた。彼は今の場所から立ち上がって、半蔵の顔にそっと向き直った。半蔵の顔は、彼と同じ様に笑っている。「そして、その呪いが続く様に。呪いの力は、それを受けた子孫の人達にも受け継がれる。此の呪いを受けた、『血族』として。未来永劫、此の呪いを受け続けるんだ。彼が、あの人柱が、町の平和を守り続けた様に。その子孫達もまた、平和の呪縛を受け続ける」
半蔵は、その言葉に微笑んだ。それを聞いていた神主も、何処かホッとした様な顔を浮かべている。二人は運搬係の人達に「儀式が終った旨」を伝えて、彼等に「有り難う御座いました」と微笑んだ。「我々の贖罪を手伝って頂き」
運搬係の人達は、その言葉に首を振った。特に年配の人達は、二人の謝罪に「そんな事は、ありません」と返していた。「此は、我々の罪でもある。ずっと昔から続いていた、我々の罪。『罪』と言う名の無関心。あなた方は只、その無関心に気付かせてくれただけだ」
二人は、その言葉に胸を打たれた。「悪いのは自分達だけではなく、此処に居る全員だ」と言う思いに、人間の温かさを感じたのである。彼等は運搬係の人達にまた頭を下げて、儀式の為に用いた道具を片付け始めた。運搬係の人達も、それを手伝った。彼等の近くに居た天理も、その作業に加わった。
彼等は何処か嬉しそうな顔で、用具の片付けを続けたが、半蔵が天理に「鞍馬君は、彼奴等の所に行ってくれないか?」と言うと、作業の手を一旦止めて、天理の方に視線を向けた。「彼奴等?」
天理は、その言葉を無視した。言葉の中にあった代名詞が、どうしても気になったからである。
「それは?」
「勿論、彼奴等だよ。外村秀一と人柱、そいつ等には」
知る権利がある。此の因習に関わった、文字通りの「当事者」として。「秀一もきっと、好きな人に会いたい筈だ」
天理は、その言葉に頷いた。言葉の裏側に「はい!」と頷く様に。天理は公民館の中から出て、外村秀一の家に走った。家の中では、秀一と人柱が彼の帰りを待っていた。天理は二人に儀式が終った事を伝えると、彼等の笑みに「喜ぶのはまだ、早い。儀式の結果が分からない以上は」と言って、二人の足を「さあ、行こう!」と促した。「そこに答えが待っている」
二人は、その言葉に頷いた。それに頷いて、家の中から飛び出した。二人は天理の足をも超える速さで、件の神社に「うん、行こう!」と走った。神社の中は、しんと静まっていた。本堂の方は勿論、その敷地も同じ様に静まっている。
全てが夏の静寂に包まれていた。本来なら聞える筈の音も、午後の日差しに掻き消されている。鳥居の前を潜る前には聞えていた蝉時雨も、それを潜り終えた頃には全く聞えなくなっていた。
二人は、神社の祠に向かった。天理も、二人の後に続いた。彼等は夏の日差しを浴びる中で、祠の前に進み続けた。祠の前には、一人の少女。秀一がずっと会いたかった、最愛の少女が立っていた。彼等は彼女の姿に喜んで、彼女の前にサッと走り寄った。「睦子!」
少女は、その声に振り返った。両目の目頭に涙を浮かべて。「しゅう」
の続きが、掻き消された。
「どう、して?」
の続きも、掻き消された。浜崎睦子は今の状況も分からないまま、不思議そうな顔で秀一の顔を見続けたが、秀一に自分の身体を抱き締められた瞬間、その表情を一気に崩してしまった。「あ、ああ」
彼女は、分かった。解ってしまった。祠の中から出られた事に、そして、秀一が自分を助けてくれた事に。秀一の声や体温を通して、その事実を察してしまったのである。睦子は秀一の唇にそっと口付けして、その潤んだ目に「ただいま」と微笑んだ。「ありがとう」
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