第4話 初めての口付け(※三人称)
「倒れる、すごい熱がでて。熱は、何日もつづく」
「なるほど。でも、それは」
彼女は秀一よりも小さい分、その精神もまた幼かったのである。それこそ、神様の事を本当に信じてしまう程に。彼女は秀一の「そんなのは迷信、只の偶然だよ」を聞いても、不安な顔で彼の目を見詰めていた。
「ぐうぜんじゃない! みんな、『見た』って言うから!」
「な、何を?」
「神さまを」
「神様、を? まさか」
「うそじゃない! みんな、言っていたもん! 『自分が倒れるちょっと前に神さまを見た』って! 『神さまは、自分の命を取ろうとするんだ』って!」
「だから、ムーちゃんも信じるの? 神様の事を」
その返事は、「うん」だった。今にも消えそうな声で頷いた、「うん」
「ばから、うんう、そんなの信じる事ないよ? 神様は多分、居るけど。この事故は、違う」
「違わない。神さまは、本当にいるもん! 神社の裏に」
「神社の裏に?」
「うん。神社の裏に小さい建物」
それはきっと、
その生贄に選ばれた少女達が、今も生きているらしい事。それが、どうも不自然だった。その生贄達が違う意味で食われる、「神様に自分の精神を食われる」とかなら別だが、睦子に「それ」を確かめた限り、神様に対して何らかの心的外傷がある人は居るものの、自分の命を実際に奪われた人はまだ居ないらしい。そこだけが、どうしても不自然だったのである。
秀一は、その話に腕を組んだ。話の中に「死者」が出ていないのが幸いだが、それでも睦子の不安は充分に分かる。祭りの巫女に選ばれた事でもし、自分の心がおかしくなったら? 恐らくは、狂うだろう。自己の精神が壊れて、最悪廃人に成るかも知れない。秀一は自分と従妹の立場を置き換えて、その状況を心から悲しんだ。
「家の皆はもう、知っているの?」
「しっている。でも、みんな助けてくれない。『この町じゃ、これが普通だ』って」
「そっか……」
秀一は無言で、彼女の身体を抱き締めた。そうしなければ、この感情を抑えられなかったから。彼は少年が男に変わる瞬間、「自分の愛する女を守りたい」と言う衝動に駆られた。
「ムーちゃん」
「な、なに?」
「僕、睦子の事を絶対に守る。何があっても」
睦子は、その言葉に目を見開いた。言葉の中に「睦子」があった事、そして、「自分を守る」と言う一言に胸がときめいたらしい。彼女は従兄の身体を暫く抱き締めていたが、やがて彼の唇にそっと口付けし始めた。「うん……」
初めての口付けは、甘かった。甘かった上に重かった。相手の不安を一心に背負って、それに男の責任を持つのは。小学五年生の少年には、少々重過ぎる。いや、大人でも充分に重かった。自分の行いにもし、何らかの間違いがあれば? それだけで、彼女の命が危うくなる。その精神も、危険に
だから、止まる訳には行かない。朝ご飯の席で周りから「どうしたの?」と訊かれても、その拳から力を抜く訳には行かない。彼等にこの気持ちを表す為には、あらゆる恐怖に打ち勝たなければならなかった。秀一は何度か深呼吸して、自分の周りをゆっくりと見渡した。彼の周りには、その親戚達が座っている。「ねぇ、皆」
親戚達は、その声に驚いた。声の調子が余りに真剣で、彼に「どうしたの?」と返す事が出来なかったからである。親戚達は彼の声に顔を見合わせたが、やがて彼の顔に視線を戻した。彼の顔はやはり、その声と同じに真剣である。
「ど、どうしたの?」
「巫女の役、だけど。それ」
その先を遮ったのは、家の当主。つまりは、秀一の祖父だった。祖父は「巫女役」の「み」を聞いただけで、彼の言わんとする事を察したらしい。普段は(「どちらか」と言うと)自分の孫には甘い彼だが、この時に限ってはかなり厳しい、それも秀一が自分に怯むような表情を見せていた。彼はご飯茶碗の上に箸を置くと、孫と同じくらいに真剣な顔で、孫の顔をじっと見返した。「それは、出来ん」
秀一は、その言葉にカッとなった。それは只、「お前の話等聞きたくない」と言っている訳ではない。「お前の意見等最初から聞く積もりはない」と、そう暗に言っていたからである。秀一はそう直感的に思って、普段ならそこまでやらない祖父の顔を睨み付けた。
「どうして?」
「どうしても、だ! 今年の巫女役は、睦子で決まり。これは、どうやっても変えられん。それが」
「決まり? それとも、『風習』って奴? この町にずっと昔から伝わっている、そんな物に!」
「倣うよ? いや、倣わなきゃならん。この町がこの町である以上は、その風習にも従わなきゃならんのだ。この町がまた、『アレ』に襲われん為にも」
「アレにまた襲われる?」
「そうだ。それは」
例の祠に奉られている者。その昔、「この町に災いをもたらした」と言う怪異だった。怪異は神社(正確には、そこに奉られている神)と巫女の力を使って、その祠に封じられているのである。「だからもし、その封印が破られれば」
秀一は、その言葉に押し黙った。そこから先は、聞かなくても分かる。それが実際に起きるかは別として、「この町に何らかの災いが起こる」と言う事だ。それがどう言った災いかは分からないが、兎に角大変な事が起こるのである。
「それを防ぐ為にも、巫女役の存在が必要なのだ。アレの力を抑える為にも。睦子には」
「『その生贄になれ』って? 冗談じゃない! 睦子は未だ、小学生なんだ。小学生の、それも二年生で。そんな女の子を!」
「分かっている。分かっているが」
「何?」
「多くの命には、代えられない。睦子がもし、祭りの巫女役を断れば」
「こと、われば?」
「睦子が死ぬ」
「え?」
ムツコ、ガ、シヌ? 祭りのミコをことわった、ダケで?
「そんな、嘘だ! 睦子が死ぬなんて」
「本当だよ。巫女が己の役目を降りれば、その命が奪われる。今までの巫女が死ななかったのは、巫女の役をちゃんと熟したからだ。それを
「高い熱、何かの病気で済んでいる?」
「そう言う事だ。だから、降ろす訳には行かない。睦子の命を守る為にも」
秀一は、その言葉に俯いた。本当は、それに噛み付きたかったのに。彼は悔しげな顔で、両手の拳を握り締めた。
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