第2話 あのときからずっとかがやいてる


 莉央りおと電車にのっていると、出会ったときのことを思い出す。


 あれは、中学生にあがってそれほどっていないときで、電車通学もはじめてだったから、満員電車にまったく慣れていなかった。

 えっ、これほんとに入って大丈夫? という疑問をいだきながら人の肉の壁に突入して、押し寿司のように固められてしまった時点でものすごくびっくりしていたのだけど、次の駅ではさらに駅員さんがぎゅうぎゅうとタックルで人を押し込んで車内へ収納していくので、私史上のびっくり記録をごく短時間で更新することになった。


 とはいえ、そんなにもびっくりしたのは最初だけで、2カ月もするととにかく心を無にして乗るすべをおぼえた。

 3駅分だけ心をころしていれば、あとは電車が私をはこんでいってくれる。

 天井をぼんやりと見つめ、おたがいの圧力や、むせかえる汗と香料の複雑なかおりと同化し、空気の一部になろうとつとめる。


 そして、そんなふうに慣れてきたあの日に起きたことを、いまでも身ぶるいとともに思い出すことがある。


 お尻に、名状めいじょうしがたく気色のわるい、てのひらの這うような感触がした。


 ――痴漢だ。


 自分みたいな地味な人間が、まさか痴漢の対象になることがあるだなんて、思ったことがなかった。

 それでも、最初はこれだけ混んでいるのだし、たまたま手があたってしまっただけかもしれないと、考えるようにした。


 ただ、手はあきらかに私のお尻に沿うように押しあてられつづけ、少しすると、揉むようなまさぐるような動きに変わった。


 気もちわるい気もちわるい気もちわるい。


 その場で嘔吐物おうとぶつをぶちまけてしまいそうになるほどの気色わるさと、同時に、人間ではないバケモノに出くわしてしまったような恐怖が頭を支配した。

 のどの筋肉がぎゅっと硬直して動かせなくなってしまい、やめてくださいと、声をあげることもできない。


 ただ、ただ、頭がまっしろに染まっていった。


 気づいたら目元に涙がにじんでいた。

 つぎの駅まで、どれぐらいかかるんだろうと絶望感が胸にきざしていると、目のまえの女の子がじっと私を見ていることに気がついた。


 それが莉央りおとの出会いだった。


 莉央が目線を私のうしろに投げたので、私はすがるようにごくかすかにうなずく。

 すると莉央は人の肉のなかへ、ヘビのように手をのばしていき、思いっきり痴漢の手の甲をつねった(とあとで聞いた)。


「……っ」


 うめくような声が聞こえ、それきり手は引っ込んだ。


 そのあとつかまえようにも身動きがとれず、つぎの駅でうように降りた私はベンチへとたおれこむ。


「……死ねっ、死ねっ、死ねっ、死ねっ」


 恐怖から涙のにじんだ目もとをハンカチでおさえ、ふるえる肺から息をほそく吐き出し、呪詛じゅその声を小さくまきちらしていたところで、「だいじょーぶ?」と声がかかった。


 同じ制服を着た莉央が、スクールカバンを肩に負いながらりんとまえに立っている。

 朝の、まぶしい光を背景にして、彼女は私がこれまで目にしたなによりもかがやいて見えた。


 何度も頭をさげてお礼を言っていると、ちがうクラスではあるけど同じ中学で、同じ1年生であることがわかった。


 それから私たちは仲よくなり、私がもう少し早い電車(やはり混んではいるが、多少マシ)にのるようにしたときは、莉央もあわせてくれ、時間があうかぎりいっしょに登下校した。


 高校は分かれてしまったが、あのときからずっと莉央は私の救世主だ。


 ――莉央だけは、私がなにも言えないときでも、たすけてくれる。


 そんな幻想のような信頼感があった。


 だから私も、莉央のねがうことはできるかぎりかなえたいと思う。


 休日、電車でとなりにならぶ莉央を見ていると、莉央は「なに?」とスマホから目をはなして楽しそうに笑った。


 その笑顔は私という容器にこぽこぽと満ちて、私に生きる気力をあたえてくれる。


 が、そうして莉央に連れられて出かけた先で、あんなきっかけになる再会があるとは思わなかった。

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