番外編 陰キャ男子は鍛錬したい

 僕が通っているボクシングジムは、駅から徒歩十分のところにある。

 中に入れば独特な汗臭さに歓迎される。バシンッ! と、威圧するような強烈な音に最初はビビったものである。

 まさに男の空間だ。僕のクソザコ根性も、ここで鍛えればなんとかなるかもしれない。

 未来の自分に思いを馳せながら、僕は今日もトレーニングに励むのだ。


「よーし三分経過! 一分休め!」

「はい! はぁ……はぁ……」


 喘ぐようにして酸素を取り込む。

 最初は叩くことすら許してもらえなかったサンドバッグだったけれど、厳しい練習をこなしていくうちに、練習メニューに加えてくれるようになった。


「僕を立派な男にしてください!!」


 そう言ってこのジムに入会した。会長は「何言ってんだこいつ」みたいな顔をしていたっけか。

 舐めていたわけじゃないけれど、本当に厳しい練習だった。運動部に入ったこともない僕にはきつすぎた。正直死ぬかと思った。

 苦しくて何度もゲロを吐いた。それでも歯を食いしばって練習に食らいついていった。

 そうして半年が経った頃、会長やジムの先輩方が僕を認めてくれるようになった。

 降って湧いたかのような好意じゃない。僕のがんばりを認めてくれたから。ちゃんと自分の力で得た信頼だからこそ、本当に嬉しかった。


「ありがとうございました! お先に失礼します!」


 自分の肉体の変化。自分に対する周囲の変化。変わっていくもの全部が嬉しかった。

 ボクシングをやるのが本当に楽しくなった。充実感とともに、今日も練習を終えたのだった。



  ※ ※ ※



「あれ、大迫くん?」

「えっと……関谷さん?」


 ボクシングジムからの帰り。駅でクラスメイトの関谷さんと出くわした。

 クラスメイトと言っても、関谷さんとほとんど会話したことがない……。佐野くんが彼女と仲良さそうにしているのを見た覚えがあるけど、派手な外見の女子に話しかける勇気は僕にはなかった。

 だから、声をかけられて、正直驚いた。

 僕だったら見知った人でも、とくに仲が良くなければ話しかけようとも思わない。これがコミュ力の差か? 僕はまだまだ精進が足りない。


「大迫くんとこんな遅い時間に会うなんてびっくりだね。塾帰り?」

「いや……ボクシングジム帰り、だけど……」


 誤魔化そうかとも思ったけれど、本当のことを言った。

 やっぱりというか、関谷さんは意外そうに眼を丸くした。陰キャ男子の僕には似合わないと思っているのだろう。……否定はできない。

 でも、関谷さんは僕の考えた通りの人じゃなかった。


「ああ、でも納得。夏休み明けくらいからかな? 大迫くん、なんか引き締まった感じしてたもんねー」


「夏休み前に顔つきは変わってたけど」と、関谷さんは笑った。あまり接点はなかったのに、見られているもんなんだなと思った。

 それがなんだか恥ずかしくて、話題を変えようと口を開く。


「えっと、関谷さんは?」

「ん?」

「いや……何帰りなのかと……」


 あまり話したことのない女子だからか、緊張で言葉がつっかえる。「何帰り」ってなんだよ? 言葉のチョイスがおかしくなるのも緊張のせいか。うーん、これでも松雪さんとは普通に会話できるようになったんだけどな。


「あたしは普通に塾帰り」

「へ、へぇー……関谷さん塾に通ってるんだね」


「普通」の使い方がそれでいいのかよくわからなかった。むしろ塾に通ってまで勉強していたことの方が気になってどうでもよくなった。だって関谷さん、そういうタイプに見えないし。


「あっ、今意外だって思っただろー。あたしみたいな頭緩そうなのが塾に通ってまで勉強するわけがねー、とか思っただろ」

「お、思ってませんよっ」


 思ってました。正直あまり勉強するタイプじゃないって思ってました。

 うぅ……。偏見はやめようって決めてるのにな。僕の心はまだまだ鍛え足りないようだ。

 心の中でサンドバッグを叩いて自分を戒めていると、関谷さんが声を上げた。


「やばっ。あたし電車乗らなきゃだから」

「あ……送ろうか?」


 きょとんとする関谷さん。

 あれ、微妙な反応……。選択肢をミスったか?


「あはっ。気持ちだけもらっとく。ありがとね大迫くん」


「じゃあねー」と、仲が良いみたいに手を振ってくれた。僕も流されて手を振り返した。


「じゃ、じゃあねー……」


 僕の声は、すでに雑踏の中に消えた彼女に聞こえることはなかった。

 ふぅ、と息が漏れる。

 緊張ばかりで、身にならないことしかしゃべってなかった気がする。そんな会話の中で、一つだけ思ったことがあった。


「見た目ギャルの女子に、くん付けで呼ばれるってのは、いいもんなんだなぁ……」


 くだらないことだろうとは思う。だけど、この感覚も経験しなければわからないものだったろう。

 気を抜けば口元が緩みそうになる。女子とちょっと話しただけで嬉しくなるなんて、僕はまだまだチョロイ男子のようだった。


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