36.妄想を実現するために

 プールを楽しんだ俺と千夏ちゃんは帰路についていた。


「今日は泳ぎを教えてくれてありがとう。今度埋め合わせにデートしようよ」

「それ、マサくんがデートしたいだけでしょ?」

「千夏ちゃんは俺とデートしたくないの?」

「……デート、したいわよ」


 流れるように千夏ちゃんの予定を聞いた。次のデートの約束を取りつけたのは我ながら優秀だと思う。

 夕暮れの帰り道。千夏ちゃんの家へと向かう。


「今日は千夏ちゃんが家に入るまで見送るからね」

「うん……」


 前回、大迫との揉め事があっただけに、俺の心配も仕方がないだろう。千夏ちゃんも文句を口にすることなく頷いてくれた。


「ともかく、次にプールに行ったら今度こそ勝負しようよ。俺も泳げるようになったしさ」

「あら、今日泳げるようになったばかりなのに勝負してもいいの? 私、けっこう速いわよ」


 自信満々に胸を張る千夏ちゃん。勝ち誇った顔をする彼女も可愛い。

 もうすぐ夏休みだ。

 またプールに行けるだろうし、そうじゃなくても夏のイベントは多い。

 憧れているだけだったはずの女子と、恋人として夏休みを迎えられる。前までの俺なら妄想でしか実現しなかったことだ。


「……」

「マサくん?」


 足を止める俺に、千夏ちゃんが首をかしげる。

 この先の角を曲がれば、すぐに千夏ちゃんの家だ。言うタイミングはもうここしかなかった。


「ち、千夏ちゃんっ」

「は、はい……」


 緊張で胸が痛い。俺の緊張が伝わったのか、千夏ちゃんが頬を赤くする。


「千夏ちゃんに……言わなきゃならないことがあるんだ……」

「はい……、って私に言わなきゃならないこと?」


 松雪に知られている以上、もう隠せなかった。

 千夏ちゃんの目の前で、がばっと地面につきそうなほど頭を下げた。


「ちょっ、いきなりどうしたのよマサくんっ!?」

「俺……本当はあの場にいたんだ」

「え、あの場って……なんの話?」


 いきなりこんなことを言われてもわからないだろう。脈絡がないにもほどがある。

 だから、わかるように説明した。


「……あの日、学校で千夏ちゃんが大迫に罵倒された日。俺も、あの場にいたんだ」

「……え?」


 きょとんとした声を漏らす千夏ちゃん。俺は構わず続けた。


「見たのは偶然だったんだ。でもあの後、俺はそんなこと知らないフリをして千夏ちゃんに声をかけた……。君を慰めれば……俺に振り向いてもらえるんじゃないかって思ったから……」

「……」


 こんなこと、言わなくて済むと思っていた。

 ただの親切な男友達として。そして、ずっと想いを寄せてきた男として、そう接していたのだと思っていてほしかった。

 最後の最後で俺はずるいことをした。本当は彼女を助けられたのに、そうはしなかった。それどころかチャンスとばかりに彼女のピンチを見過ごし、弱っているのをわかっていて想いを告げた。

 ここへきて後ろめたい心が顔を出す。松雪に指摘されて、卑怯な手段を選んだ自分をさらけ出された。


「本当に……ごめんなさい……っ」


 結果は大切だ。でも、それに至るまでの過程も大切だった。

 悪い手段をとれば、それを誰かが見ているかもしれない。少なくとも、選択した自分自身は必ず見ているのだ。

 それは、棘となって自身の心を襲う。


「…………」


 沈黙がとても長く感じる。

 今、千夏ちゃんはどんな顔をしているだろうか。頭を下げたままの俺は彼女の表情を確認する術はなかった。

 いや、むしろ見えなかった方がいいのかもしれない。

 もし千夏ちゃんに蔑みのこもった目を向けられでもしていたら……。想像するだけで恐怖でいっぱいになる。


「……マサくん、顔を上げて」

「でも」

「でも、じゃないでしょっ。顔を上げてくれないと話にもならないじゃない!」


 迫力のある声に、顔を上げて応える。

 千夏ちゃんの表情から感情が読み取れなかった。怒っているようにも、悲しんでいるようにも、喜んでいるようにすら見えてしまう曖昧な表情。


「マサくん。マサくんは……私のこと、好き?」

「もちろん好きだ。ずっと、俺は千夏ちゃんのことが好きで……本当に、嘘じゃないんだ」


 自分でも、言葉に説得力がないと思ってしまう。

 それでも今は言葉を重ねるしかなかった。伝えなければ、きっとわかってもらえない。


「──そっか」


 千夏ちゃんが小さく呟いた。

 何かを言おうとしたはずなのに、口を開きかけて、そこで俺は止まってしまった。


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