15.新しい記念日ができました

 好きな女の子が泣いている。こんな時、男の取るべき行動とはなんだろうか?


「うええん……」


 黙って千夏ちゃんにハンカチを差し出すと余計に泣かせてしまった。男のハンカチは泣いている女の子のためのもの、という認識は間違っていたのだろうか?

 ……泣いてしまうほど、大迫が松雪といっしょにいるところを見るのがつらかったのかな。

 どれだけ千夏ちゃんが大迫のことが好きなのかを、彼女自身の口からたくさん聞いてきたから知っている。

 相談に乗ってきたのは千夏ちゃんと仲良くなるためだ。そんな確固たる理由がありながらも、好きな幼馴染のことを語る彼女を前にして、相談を投げ出しそうになったことは一度や二度じゃない。

 俺が嫉妬するほど、千夏ちゃんの好きの気持ちは大きかった。その分、今の悲しみは計り知れない。


「とりあえず、クレープ食べない? ほら、中身溶けちゃうしさ」


 千夏ちゃんは泣きながらこくこくと頷いた。

 そして、無言でクレープを食べる時間が続いた。千夏ちゃんは泣いているせいか食べるのがとても遅かった。


「飲み物買って来ようか?」


 千夏ちゃんには落ち着く時間がいるだろうと思って、そう提案した。


「ありがと……。でも、大丈夫だから……」


 ベンチから立ち上がるとズボンをぎゅっと掴まれて止められた。声からはまだ元気が戻っていないように聞こえる。


「俺が喉渇いただけだから、千夏ちゃんの分はついでだよ。だから気に──」


 ズボンを掴む手に力が込められる。俺は抵抗できずにベンチに腰を下ろした。

 千夏ちゃんは俺が渡したハンカチで涙を拭う。それからずびびっ、と鼻をすすった。この場には俺しかいないので彼女の乙女の評価は下がらない。


「……佐野くん」


 千夏ちゃんの声は、もう涙が混じってはいなかった。


「私、健太郎のことが好きだったの」

「……うん。知ってるよ」


 知っていても、千夏ちゃん自身の口から俺に伝える意味。それが察せられないほど、鈍感なつもりはない。

 ああ……ダメだったか。この流れは振られるパターンだ。彼女が弱っているところにつけ込むなんてことをしても、俺は千夏ちゃんの隣に立てないのか……。


「でも、なんで健太郎のことが好きだったのかは思い出せないのよ」

「うん……、うん?」


 半ば「健太郎への恋に殉ずるわ」みたいなことを言われる覚悟をしていたら、何やら話が予想したものとは違っているようだった。


「今までの気持ちが嘘だったわけじゃないけれど、いつから好きだったのかも覚えていないの。生まれた頃からいっしょにいるから、このままずっといっしょにいるものだと考えていたのよ。これまでの健太郎が格好良かったとか、私を守ってくれたとか、そういうことは一度もなかったのに。いつか健太郎は何かすごいことをやってくれるって妄信していたのかもしれないわ」


 自分の心を整理するかのように、千夏ちゃんは一気に言葉を吐き出した。


「幼馴染だと思っていたから、絆はあると思っていたのよ。でも、長年付き合いのある私よりも、健太郎は自分をいじめていた連中を信じるのよね……。結局、私ってその程度なのよ。何一つ信頼されていないわ」


 彼女の話を黙って聞く。

 千夏ちゃんにまったく落ち度がなかったかといえば、俺のひいき目を入れてもそうではない。きつい口調は大迫のような弱いメンタルだと委縮させることもあるだろう。

 それでも、千夏ちゃんはフラフラしがちな大迫が道を外れないようにと世話を焼いていた。

 時に励まし、時に叱咤し、時には行動で大迫の尻拭いもしていた。

 そんな献身的な彼女を、信頼するどころか裏切り者扱いをする。鈍感を通り越して愚鈍だと思わずにはいられない。


「もっと上手くできなかった私が悪いのよね……」


 そして、千夏ちゃんはいつだってすべての責任を背負ってしまうんだ。


「千夏ちゃん」


 少しでも俺の気持ちが伝わりますようにと、真剣に彼女を見つめた。


「俺と付き合ってほしい」

「え?」

「俺は知ってるよ。千夏ちゃんが健気で繊細で素敵で可愛いってこと。がんばり屋で恥ずかしがり屋で、そして真っ直ぐな女の子だってことも」


 俺がどれだけ千夏ちゃんのことを知っているか。千夏ちゃん検定を受けてもいい自信があるね。


「そんな君を守りたい。傍にいたい。同じものを見たり経験したい。千夏ちゃんが好きだから……、そう思わずにはいられないんだ」


 こてん、と。千夏ちゃんの頭が俺の肩に乗る。


「私、ずるい女よ……」

「えっと……? ず、ずるいって何が?」


 千夏ちゃんの急な接触に内心慌てふためく俺。いやだって千夏ちゃんの頭がすぐ近くにっ!? ああ、良いにおいがする……。

 色素の薄い赤毛から視線が逸らせなかった。髪も一本一本が綺麗だ。それがわかってしまうほどの距離に、彼女がいる。


「私ね、そうやって佐野くんから褒められるのを待ってたの」

「えぇ?」

「佐野くんに構ってもらえて、佐野くんに褒めてもらえて、佐野くんに……す、好きって言ってもらえて……、本当に嬉しかったのよ」


 頭をぐりぐりと押しつけてくる千夏ちゃん。何この幸せな攻撃はっ!?


「それから、その……佐野くんに触れられるの……けっこう気持ち良いって気づいちゃった……」

「はうっ!」


 胸がドキドキする。この胸の高鳴りは明らかにいつもとは違っていた。


「佐野くんの傍にいたい……。今日はずっとそのことばかりを考えていたのよ。さっき気を遣ってもらえて、私も自分の気持ちに正直になりたいって、思ったの」


 千夏ちゃんが深呼吸をする。彼女の覚悟をひしひしと感じる。

 そして、千夏ちゃんは素直に切り出してくれた。


「ちゃんとできるかわからないけれど、私を……佐野くんの……こ、恋人にしてくれますか?」

「もちろんです! 俺の彼女になってください!」


 テンパりながらも即答した。

 振られるかもしれないという予想が外れたどころではない。まさか今告白の返事をもらえるとは考えてもいなかった。これ夢じゃないよね?


「……やった」


 千夏ちゃんは俺の胸にぽふんっ、と顔を埋めながら、そう小さく言った。

 ……めちゃんこ可愛かったです。

 その可愛さこそが、俺に現実感を与えてくれたのだった。


「あの、千夏ちゃん」

「なあに?」


 しばらく幸せを噛みしめてから、俺は千夏ちゃんにお願いをした。


「……抱きしめてもいいですか?」

「むしろ待っていたわ」


 俺の胸に顔を埋めながら上目遣いする千夏ちゃんは、可愛さが天元突破していた。


「じゃ、じゃあ……」


 恐る恐る千夏ちゃんの背中に手を回す。

 思った以上に華奢だった。なのに、彼女の胸部は俺に当たって大きく存在感を主張する。

 硬くなっている俺に、千夏ちゃんも同じように腕を回してきた。なんだかそれだけのことで気持ちが通じ合った気がして、心が幸福感でいっぱいになっていく。


 今日というこの日が、俺と千夏ちゃんが付き合い始めた記念日となったのであった。


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