2.俺は彼女の良き相談役

「あれ、千夏ちゃん? こんな時間まで残ってたんだ」


 昇降口で千夏ちゃんとばったり……と、装ってみた。

 誰もいないと思っていたのか、千夏ちゃんは無防備な驚きの表情を見せてくれた。

 部活動の時間であり、帰宅部ならもうとっくに帰っている中途半端な時間帯。この昇降口には俺と彼女の二人だけしかいなかった。


「さ、佐野さのくん!?」


 いつもはちょっときつめの吊り目が真ん丸になっていた。レアな千夏ちゃんの表情を見れただけで胸がときめく。

 色素の薄い赤毛が肩までかかっている。くっきりとした二重、すっと通った鼻筋、ぷるんと潤いを感じさせる唇。制服からでもわかるほどの巨乳で、なのに均整の取れたスタイル。文句なしの美少女だ。

 そんな彼女に、よくもまあ大迫はあれだけの罵倒を口にできたもんだ。ある意味感心するね。


「どしたん? 何か用事してたの?」


 俺のすっとぼけた態度を怪しむ様子はない。そりゃそうだよな。今の彼女にはそんな余裕はないだろうし。


「あ、いや……別に……」


 案の定、意味のある単語は出てこなかった。

 別に適当な嘘でもつけばいいのにね。そんなことが思いつきもしない彼女は不器用で真っすぐだ。


「それとも、また大迫と何かあった?」


 知らないフリをしたまま、一気に核心をつく。


「ど、どうして……?」


 俺が修羅場の現場を目撃したとも知らずに、千夏ちゃんはこれでもかと驚いた。驚きすぎてわたわたしているのを見ているだけで、緩む口元を引き締めるのが大変だ。


「そりゃあ気づくよ。これでも同中からの友達だろ? それに……」


 自分の目元を指差して言った。


「目、腫れてるよ」

「~~!?」


 千夏ちゃんは慌てて背中を向けた。今さら隠したってもう遅いんだけどね。


「ねえ、話なら聞くけど?」


 優しい言葉と表情を意識する。チラリとこっちを盗み見る千夏ちゃんは警戒心を薄れさせてくれたようだった。


「……うん」


 そして、了承の頷きをくれたのだった。



  ※ ※ ※



 ここで俺、佐野さの将隆まさたかと杉藤千夏の関係を説明しなければならないだろう。

 千夏ちゃんとは中学の時、クラスメイトになったのをきっかけに接点が生まれた。

 勝気な吊り目がチャームポイントの美少女。異性に興味を持ち始める思春期というのもあり、俺は杉藤千夏という女子が気になってしょうがなくなっていた。


「何見てるのよ。じろじろ見ないでくれる?」


 だけど、彼女はこれでもかというほどガードが堅かった。

 視線を向けてくる男子はきつい言葉で黙らせる。かといって女子相手に態度が緩和されるってわけでもなかった。

 攻撃的な印象もあって、千夏ちゃんと仲良くする奴はあまりいなかった。正直に言えばけっこう嫌われたりもしていた。


「ほら健太郎っ。しっかりしなさい!」

「ちょっと千夏。わかったから引っ張らないでよ」


 しかし例外がいた。

 それが大迫健太郎だった。生まれた頃からの幼馴染ということで、千夏ちゃんが唯一心を許している男だ。

 幼馴染というだけで、ツンツンしている彼女にあれだけ好かれるだなんて……。正直初めて二人の関係を知った時は嫉妬した。

 だが、同時にまだチャンスがあるかもしれないとも思った。

 杉藤千夏と大迫健太郎は幼馴染ではあるが恋人ではない。


「いいから放っておいてくれよ。千夏に言われなくたって僕一人でできるんだから」

「フンッ。そんなこと言って、できなくて泣きついてきたってもう知らないんだからねっ!」


 大迫に甲斐甲斐しく世話を焼く千夏ちゃん。空回りしているように見える彼女に、俺は近づいた。


「ねえねえ 杉藤さん、何か困ったりしていない?」

「……別に。困っていることなんて一つもないわ」


 最初は素っ気なくあしらわれた。

 それでも俺はめげずに話しかけ続けた。しつこくならないように、でも千夏ちゃんが大迫からうっとうしがられたら必ず声をかけていた。

 ただ話しかけるだけじゃなく、彼女が話しやすい男になれるようにと努力もした。

 千夏ちゃんはただの美少女ではない。学業もスポーツも優秀なスーパー美少女だった。

 俺もそんな千夏ちゃんに追いつけるようにと目指した。勉強も運動も、どちらも得意じゃなかったけどがんばった。

 それからおしゃれに気を遣ってみたりもした。千夏ちゃんに比べれば元が良いとは言えなかったけど、少しでもマシに見えるように研究をした。

 そうして、千夏ちゃんに恋をした俺は少しずつマシな男になれたのだ。


「杉藤さん? また大迫と何かあったの?」

「聞いてよ佐野くん! 健太郎ったらまた言い訳ばっかりして──」


 その成果が出たのは、中学三年の春のことだった。

 それからは千夏ちゃんが愚痴を言いたくなれば俺に言うようになった。ガードが堅かった彼女も、俺の前では気を許すようになっていた。

 もちろん話すことは大迫のことばかり。嫉妬心が収まるはずもない。

 でも、俺が彼女と仲良くなれたのはその大迫のおかげでもある。

 あいつがいるから千夏ちゃんは俺を異性として見てくれない。だからこそ唯一の男友達になれた。


「きっと千夏ちゃんの気持ちは大迫に届くよ。高校でもがんばって」

「うん。ありがとう佐野くん。って、佐野くんも同じ高校に進学するんでしょっ。これでお別れみたいに言わないでよねっ」

「あははー。高校生になっても気軽に愚痴ってくれよな。いつでも聞けるように二十四時間体制で待ってるからさ」

「もうっ。それって私が健太郎とケンカばかりするって思っているんでしょ」

「違うの?」

「違うわよ! ……たぶん」


 中学を卒業する頃には、千夏ちゃんは俺の前で大迫への好意を隠そうともしなくなった。名前呼びをしても怒られない程度には友好的に思ってくれているのだろう。


 こうして年月を重ねて信頼を得たからこそ、今回も俺に相談してくれる気になったのだ。

 唯一の男友達で良き相談役。千夏ちゃんがそう思ってくれるのなら嬉しい。


 ──その信頼があるからこそ、千夏ちゃんの相談を聞くという体で、密室のカラオケルームで二人きりになれたのであった。


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