爽やかな恋の敗れ方

キリ韋

第1話



 親友と同じ人を好きになっちゃったら、どうしたらいい?



「ほのかー! 行くぞー!」

 元気な拓斗くんの声が聞こえて、私は一目散に玄関に走っていった。ほのかは十分寝坊したせいで、まだ歯磨きが終わっていない。

 洗面所で何かもごもご言っているけれど、無視して玄関にまっしぐら。ついさっきお父さんが出て行ったから、鍵は開けっぱなし。

 拓斗くんはわかっているから、遠慮なくドアを開けて中を覗き込む。

 お隣さんでほのかとは生まれてからの付き合いらしいし。今年中学三年になって、もう十五年だよ。

 ほのかによると、「同じ剣道部で朝練も一緒だから、なんとなく登下校が一緒なんだよ」ってことだけど。いいわけにしか聞こえない。

 違うよね。

 好きだよね。……ラブの方だよね。

 私はほのかより年下だけど、ほのかより世間は知ってる。男と女のことも、動物的勘っていうのが教えてくれる。

 いいわけだってわかる。だからってわざわざ突っ込んだりはしないけれど。

 私、心はほのかよりずっとずっと年上だし。

「お、もも。おはよ」

 玄関口にいた私にすぐに気づいて、拓斗くんが笑顔で挨拶してくれる。その爽やかな笑顔を見るだけで、嬉しくなっちゃう。

 笑顔で挨拶し返すと、拓斗くんは私に頬ずりしてきた。

「ももは今日も可愛いなぁ。いっそのこと、俺の妹になればいいのになぁ」

「何言ってんのよ。ももはうちの子よ。私の妹! 離れて離れて!!」

 洗面所から走ってきたほのかが憤慨し、私を拓斗くんから奪い返す。今度はほのかが私に頬ずりした。

 あああぁぁ、拓斗くんのすりすりも気持ちいいんだけど、ほのかのすりすりも気持ちいいのよね。悩みどころだわ。

「ほのか、髪、ここだけ跳ねてる」

「頑張ったんだけど直らなくて。変?」

「……変、じゃないけど」

「変じゃないなら何よ」

「ちょっと可愛……ナンデモアリマセン」

 拓斗くんが目を逸らしながら、変にギクシャクした声で言った。ほのかはむうっ、と眉根を寄せて荷物を持ち、扉から出ていく。

 ああ、もう。こういうところはどっちも子供なんだから!

「あんたたち、行かなくていいの? 朝練でしょう?」

 苦笑しながら台所からお母さんが出てくる。

「今日はお昼で学校終わりでしょ。お昼ご飯、チンすればいいようにしておくから。ももと一緒にごはん食べてね」

 拓斗くんの分もあるからね、とお母さんが続けると、彼がすごく嬉しそうに笑ってお礼を言った。

 ああ、この顔も可愛い! ほのかとは違う可愛さがあるわ。尊すぎて死にそう……。

 拓斗くんの家は母子家庭で、お隣さんのよしみで我が家がいろいろとフォローしている。

 押しつけがましくならないように、というのが拓斗くんに対しての我が家の方針。家族全員、それをきっちり守ってる。

 お母さんと並んで二人を見送る。行ってきますと元気よく私たちに挨拶して、二人は急ぎ足で学校に向かう。

 昨日のドラマ見た? 見た見た。あれ、最後どうなるんだろ。あと何回放送あるんだっけ、なんて会話が遠のいていく。

 お母さんが鍵をかけて、ふう、と息を吐いた。

「まだまだ子供ねぇ……」

 そうだね。私も頷く。

 お母さんが私の返事に苦笑して、台所に向かう。

 私は玄関に残ったままだ。閉じたドアを、じっと見つめる。

 二人のあとを追いかけていきたいけれど、私は駄目なんだ。

 だって私は二人とは――『違う』から。



 私とほのかたちは、本当の家族じゃない。

 三年前、いろいろな事情があって私はこの家に引き取られた。まあ、よくある暴力的被害ってやつね。よくあるっていうのも変な話だけど、最近のニュースとか見てると日常的な事件なんだなって思う。

 人も。動物も。みんな。誰かを傷つけないと安心できないのかな。

 誰かを傷つけて、自分が優位に立っていることを確認したいのかな。

 ……なんて、たかが一個人が考えてもどうにもならないんだけどね。

 かなりまずい状態になった私を、ひょんなことから引き取ってくれたのがほのかたちなんだ。

 血の繋がりはない。でも『家族』だ。

 私はここで、私らしく生きていけている。

 殴られたり蹴られたりすることにもう怯えなくていい。お腹が空いたってお母さんに伝えても怒られない。抱き締めて、撫でてもらえる。当たり前の日常が、この家にはある。

 私を妹扱いしてくれるほのかは、大事な人で、親友だ。

 ――その大事な人と、同じ人を好きになってしまった。

 本当にこればっかりはどうしようもないんだなぁと、拓斗くんのことが好きだなって気づいた時に思ったけれど。

 好きなのはどうしようもない。

 じゃあ奪っちゃうの? ってなったら、それもなんか違うような気がするし。だってそれでほのかを傷つけたいわけじゃないし。

 世の乙女たちはこういうとき、どうするんだろう。



 親友と同じ人を好きになったらどうするの?



「じゃあね、もも。パートに行ってくるね」

 お母さんは近くのコンビニで数時間、パートの仕事をしている。お母さんを見送るのも私の日課。

 スニーカーを履き終えたお母さんが玄関の扉を開けようとして、ふと、私を振り返った。

「この間、保護者会のLINEが来たんだけど、ここ最近不審者が目撃されているんだって。ご近所の佐藤さん、何も盗られてはいないんだけど、窓の鍵部分のガラスが割られてたってことがあったらしいのよ」

 それって空き巣……? 佐藤さんって共働きのおうちだったはず。

「うちは盗られて困るものはないけど、もし変な人がやってきても、何の反応もしちゃ駄目よ。すぐに隠れなさいね!」

 もちろん、そうするわ! 私の力じゃ空き巣なんかに勝てるわけないもの!

 勢いよく頷くとお母さんは満足げに笑って、私の頭を何度か撫でてから出て行く。行ってらっしゃいの挨拶と、鍵を閉める音が重なった。

 四人家族の一般的な広さのおうちに一人だけになると、やっぱり少し……かなり、寂しい。私はリビングに戻り、ソファの定位置に座る。

 ここが一番好き。日当たりがよくて、気持ちいいんだ。

 家族みんなが私のためにここを譲ってくれる。



 この家に引き取られるまではご飯もろくに食べられなくて、気に入らないとすぐに殴られたり蹴られたりしたから、誰かが家にいるととにかく隠れてた。見つかったら何されるかわからないから、いつも毎日ビクビクしてた。

 だから、こんな穏やかで優しい毎日が送れるようになるなんて、思ったこともなかった。

 ――神様なんていない。力が強い者が一番で、弱い者はそういう人たちに踏みにじられて終わるんだって思ってた。

 でも助けてくれる人がいて、その差し伸べられた手を掴むチャンスを、私は逃さなかった。

 ……希望だけは捨てないで欲しいって、思う。

 何の説得力もないし、必ず明るい未来がやってくるって保証もないんだけれど。でもある程度希望を持てないと、目の前に差し出された手がチャンスかどうかも判断できない。

 だから言いたい。チャンスは絶対に来るんだ! 絶対、絶対!!

 


 ……考えすぎたのかな。眠くなってきた。

 ちらりと時計を見る。

 午前十時。ほのかたちが寄り道せずに帰ってくるとしても、まだ時間はある。

 ふわわ、と盛大にあくびをしたあと、私はソファに横になった。

 ああ本当にここは居心地がいいわ。最高。


 

 ――ガタン、と何か物音がして、私は目を覚ました。

 寝ぼけ眼を擦りながら身を起こし、時計を見る。

 十二時半。そろそろほのかたちが帰ってくる時間だ。その音かな。

 玄関に向かおうとして、また音がした。本能的に肌がざわついた。

 音は玄関からじゃなかった。台所の勝手口からだ。

 そこは基本的にお母さんが出入りするところ。ゴミ出しとか、買ってきたものを冷蔵庫に入れるときなんかに使う。

 ほのかたちは使わない。そもそも勝手口の鍵を持っているのはお母さんだけだもの。

 と、いうこと、は……。

 ――嫌な予感しかしない。

 私はできる限り気配を消して、台所に向かう。今度はガチャガチャと大きな音がしたあと、しーん、として――そして、勝手口の扉が開いた。

 開いちゃったよ!?

 お母さんならいいんだけど、絶対絶対そうじゃないよね!? ど、どどどど、どうしたら……っ。

 何をしたらいいのかわからず、覗き見ている場所から動けない。そうこうしているうちに素早く扉が開き、長身のひょろりとしたやせ型の、作業服を着た男が入ってきた!

 作業帽を目深に被って完璧な営業スマイルを浮かべていたけれど、目が堅気じゃない!! 絶対絶対犯罪者の目だよ!!

 わああぁぁぁ、どうしたらいいの!?

 我が家に泥棒が!! 空き巣が!!

 あんな格好で来られたら、水道点検とかガス点検とかしか思えないよー!!

 どうしようどうしよう。あ、お母さんが言った通り、ここは盛大に逃げるべし!! うん!!

 でも、「それでいいの?」と頭の隅で昔の私が言った。



 それでいいの?

 ここは私の大事な居場所なんじゃないの?

 ここがなくなったら、また昔の私に戻ることになるかもしれないよ?



 ――それは、嫌、だ!!



 ここは私が一番居心地よく過ごせる場所なんだから、あんたなんかに壊させないわよ!!

 怖いからって隠れていたら、降りかかる火の粉は払えないんだ!! 私はやれる、やれるわ!! 

 臨戦態勢に入る。

 かすかに足音をさせて、男はこっちにやってくる。

 私は呼吸を整える。

 ――戦え。自分の大事なものを守るためには、勇気を奮い起こさなきゃいけないときがある。

 ――戦え! 今ここで戦わなかったら、絶対に後悔するんだから!!

 雄たけびを上げて、私は目の前を通り過ぎようとした男に飛び掛かった。渾身の力を込めてパンチすると、男がギャッと悲鳴を上げて倒れる。

 その隙に私は男に馬乗りになり、男の顔を連打!! 爪を立てて引っ掻くのも忘れない!!

「……なんだ、こいつ……っ!!」

 不意打ちから意外にも早く復活した男が、私を弾き飛ばす。でも、昔の痛みに比べればなんてことない。

 もう一発!! と腕を振り上げたら、おなかに蹴りが来た。避けきれずに食らってしまい、玄関の扉まで飛ばされてしまう。

 だんっ!! と大きな音とともに全身が叩きつけられて、息が詰まった。

 ずるりと床に崩れ落ちた私の背中で、鍵が大急ぎで開けられる音とほのかと拓斗くんの声がした。

「何、今の音!?」

「ほのか、俺が開ける!!」

 男が舌打ちする。

 この前、お父さんと一緒に見た警察二十四時とかいう番組で、空き巣と遭遇すると命の危機が、とか言っていたような……二人とも、入ってきちゃ、駄目。

 扉が開く。ほのかが小さく悲鳴を上げる。

 拓斗くんが硬直する。男が扉に向かって突進する。

 ほのかが私に気づいてしゃがみ込み、私に覆いかぶさった。絶対に守るから!! って気持ちが伝わってきた。

 馬鹿!! 私のことはいいから自分の身を守って!!

 拓斗くんが青ざめた表情のまま、反射的に背中に背負っていた竹刀を握り、構える。

 男は構わず突進する。拓斗くんを突き飛ばして逃げるつもりだろう。

 だんっ!! と一歩を踏み出し、拓斗くんが掛け声とともに男の右胴に竹刀を撃ち込む。見事な胴だった。

 まさか攻撃されるとは思わなかったのか、男はまともに食らって倒れる。

 拓斗くんが竹刀を放り投げ、男をうつ伏せにして背中に乗り上がった。がくがくと震えながらほのかも自分の竹刀を持って、「面面面!!」と叫びながら男の頭を容赦なく叩く。

「馬鹿、危ないから離れてろ!! なんか、縛るもの……!!」

 我に返ったほのかが慌てて玄関の収納棚からガムテープを取り出し、震えながらも男の手首を後ろ手にぐるぐる巻きにした。拓斗くんの指示で両足首も膝もぐるぐる巻きにして、何だか叫び始めたから口にもべったり貼り付ける。

 その頃にはご近所さんが何事かとこちらにやって来ていた。玄関扉、開けっぱなしにしておいて、正解……。

「ちょっとあんたたち、大丈夫!?」

「誰か、警察呼んで!! 不審者!!」

 拓斗くんが近くの壁に寄りかかって、両手を見る。その手がブルブル震えていた。

「……は、はは……今頃震えが来た……」

 ほのかが泣きそうな顔で拓斗くんの両手を掴み、ぎゅっと掴んだ。

「ありがと……」

 二人の目が合って、どちらからともなく小さく笑い合って。私は意識を失いながら強烈な敗北感を覚えてた。

 この二人の邪魔なんて、できないよなー……。



 それからはもう大変だった。

 警察の人がやって来て、現場検証? とか始まって。もちろん不審者は連行されて。

 近所の人たちの人だかりをかき分けてお母さんが帰ってきて、私たちの無事に安心してくれて、泣き出しちゃったり。

 すぐにお父さんも帰ってきて、泣きはしなかったけどお母さんと同じように私たちを抱き締めて無事を喜んでくれて。

 そのあとは警察にいろんなことを聞かれたり、ご近所さんに説明したり、とりあえず明日は学校休ませるとか拓斗くんのお母さんも帰ってきたら説明したりとか……。

 もっぱら私たち子供は聞き役専門で聞かれたことに答えただけだけど、とにかく疲れた。

 リビングのソファでは拓斗くんがあまりの疲れからか仰向けに寝そべっている。私はその隣に横になって、頭とか背中を撫でてもらっている。

 ほのかは拓斗君の足元に座って座面に後頭部を乗せ、やっぱりぐでっとしていた。こちらもかなりのお疲れモードだ。

 私は起き上がり、ほのかの頭を撫でてあげる。目を閉じていたほのかが笑い、私を抱き締めた。

 無事でよかったよ、と言ってくれる。

 拓斗くんがいてほのかがいて、お父さんとお母さんがいて。ここが好きだ。

 ここを失くしたくないと、改めて強く思った。

 だから仕方ないんだ。親友で家族のほのかと同じ人を好きになっちゃっても、答えは決まっている。

 私が諦めるしかない。

 だって、何よりも拓斗くんが。

「……疲れたけど、まあ……お前が無事でよかったよ」

 ぐったりしたままで拓斗くんが言う。ほのかが私の頭を撫でながら顔を赤くして、小さく笑った。

 ほら、これだもの。そもそも私が入り込む隙なんてないのよ。フン。

 でも少しは反撃したい。恋に敗れてそのままっていうのもなんか悔しいし。

 だから私はほのかの胸元にパンチを繰り出した。

「あたっ、あたたたっ。何、もも!? 急にどうしたの!?」

 私はほのかの顎にも一発パンチを食らわせながら、何でもないと言ってやった。



「にゃにゃんっ!!」

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