幼馴染と弁当を食べる話

@Alken

第1話 約束


 永遠の眠りと錯覚するほどの安らかな眠りについたその瞬間、彼は叩き起こされた。

痛む頭を押さえつつ彼が辺りを見回すと、その犯人は逃げも隠れもせずにベッド脇に仁王立ちしていた。

「また約束破ろうとしてる!」

「悪かったよ、徹夜明けで」

「前も約束破ったでしょ。あの時反省してたのは誰だったかなー?」

 犯人、もとい幼馴染の彼女は白い頬を膨らませ怒りをあらわにする。彼女とは自宅を行き来する仲で、この風景も見慣れたものだ。しかし、その様子に彼は小首を傾げた。思春期を迎えた頃は交流も減っており、そんな約束をした覚えはない─いや、彼女の言う通りかもしれない。彼が就職したのは所謂ブラック企業で、徹夜サービス残業早朝出勤を繰り返しているうちに記憶力が衰え始めた自覚がある。だから、しっかり者の彼女の主張の方が確かだろう。


 「今は何曜日の何時だ?」

「そんなことより、はい早く起きる!」

 彼女は彼の質問を躱すと同時に羽毛布団を剥ぎ取る。

「つめた」

「ずーっと待ってたからね」

彼が布団を掴み抵抗するうち、不意に触れた手に思わず声を上げた。その手が予想より遥かに冷たかったからである。女性は冷え性が多いと聞くから、当然と言えば当然ではあるが。

「遊びたいのは山々だけと仕事がな…」

「もう!働きすぎだってお医者さんにも言われたでしょー」

 彼女の指摘する通り、最近の彼は医者から忠告されるくらいには働き詰めだった。それでも仕事は休めない。社畜なので。彼が抗議するも彼女は聞く耳を持たず、布団に消臭スプレーを容赦なく吹きかけていく。その甲斐あって布団は湿ってしまった。これでは二度寝を諦める他ない。

 仕方なしに彼はベッドから起き上がると彼女に向き合った。

「それで、どこに行くんだ?」

「ピクニック。行きたいって話はしてたけど、ずっと行ってなかったから」

彼女は彼の譲歩に微笑みを浮かべると、早く準備をするよう、彼の背を押した。




 通い慣れた公園は記憶の中のまま。

生い茂る芝生にアスファルトで舗装された広場。等間隔に置かれた木製のベンチに対象年齢を超えてしまった遊具。

「それにしてもピクニック日和だな」

「ね。晴れて良かった」

 ピクニックのために作られたと言っても過言ではない公園で、何故今まで学校の放課後しか遊ばなかったのか。きっといつでも来れるという思い込みのせいだろう。


 2人は芝生を踏み荒らさぬよう注意しながら、一層日当たりの良いべンチを目指す。以前騒ぎのあった公園には人が少なく、殆ど貸切状態である。

腰を下ろした2人は幼少期に思いを馳せつつ、ポツポツと思い出話に花を咲かせた。 

「小学校の時、学校から抜け出そうとして怒られたの覚えてる?」

「あー、あったあった。でも理由は忘れた」

「なにそれ。私も忘れたけど」

「おい」

 揃って声を上げたのは何年振りか。

彼はふと感慨深くなって、そしてその感覚が引っかかった。交流が減ったとは言え、互いに引っ越しをした訳でも仲違いした訳でもない。それなのに、何故かこうやって話すのは久しぶりなのだ。何か忘れてる気がする。

 「中学も同じだったよな。高校は俺が男子校で大学も別だよな。俺は県内でお前は」

「私大学行ってないけど。え、いきなりどうしたの?」

突如確認を始めた彼を訝しみながらも、彼女はおずおずと首を縦に振った。

「大切なことを忘れてる気がする」

「ええ…仕事関係?私に分かるかな」

記憶を手繰り寄せるも成果はなく、揃って肩を落としただけだった。



「まあまあ、今日はピクニックに来たんだから楽しもう!」

 彼女は明るい声と共に胸の前で手を叩き、本来の目的へと軌道修正した。

「お弁当、作ってきたの」

「作れたのか…?」

「それ、超失礼だからね。必要になれば作れますー」

 彼の記憶の中の彼女は不器用で、料理は苦手だったはず。しかし知らず知らずのうちに克服していたらしい。彼女は実家暮らしだから両親を頼ることも出来るだろうに、自炊をするなんて。彼は頭が下がる思いでその"お弁当"に目を向けた。

 弁当箱にはプチトマトにピーマンの肉詰め、卵焼きにタコさんウィンナー、デザートにはフルーツが鎮座しており、彼自身見慣れたメニューに関わらず、やけに美味しそうに見えた。

 「暖かい日だとすぐ傷んじゃうから、昼前だけどもう食べよ。その後はバドミントンもしよう!」

「おう。それなら俺飲み物買ってくるわ」

「分かった。あんまり遅いと先食べちゃうからね?」

 彼女の忠告を聞きながら財布をポケットにねじ込み、彼は視線の先の自動販売機に向かって駆け出した。


 硬貨を自動販売機に入れ、点滅するボタンを押す。自分は炭酸飲料を、彼女にはほうじ茶を。音を立てて落下したペットボトルを抱え走り出そうとし、彼は慌てて動きを止めた。危ない、自分は炭酸飲料を持っているのだ。振動を与えたら吹き出してしまう。そこまで急ぐ必要もないだろうと判断し、普段通りの歩調で彼女の待つベンチへ歩き始める。

 それにしても、今日は夢のような日だ。

時間に追われ、過労死寸前と評される毎日。仕事を忘れ自由気ままに過ごしたいと考えていたが、きっかけも無く。ただただ同じ1日を繰り返すだけだった。

 しかし、今日は違う。たかが1日の休暇であるが、普段は鉛のように重い体が随分と軽くなった気がする。これは誘い出してくれた彼女にお礼を言わなければ。

 

 改めてベンチに腰を下ろした彼は彼女にペットボトルを渡し、代わりに割り箸を手に取った。唾液が溜まるのを感じ、いざ卵焼きに箸を伸ばしたその瞬間、舌に痒みが走った。

 まだ何も口にしていないのに、なぜ。

しかし、この痒みには覚えがある。彼は弁当に目をやり、その原因に思いあたった。

「どうしたの?お腹すいてない?」

「パイナップル」

「ん?」

 視線の先にはみずみずしいパイナップル。何の変哲もないソレに彼女は首を傾げるだけ。 

「俺、パイナップルアレルギー」

「そうだった?」

「見ただけで痒くなる気すらするんだよ。大学くらいの頃から…」

 知らなかった、とこぼす彼女に再び違和感が姿を表した。 

彼は成人してからアレルギーを発症し、ケーキやフルーツサンドからパイナップルを取り除かなければ口内に痒みが走るのだ。そのアレルギーは彼と交流のある皆が知っている。

 誰よりも付き合いの長い彼女は知らされなかったのか?いや、そんなはずがない。彼自身が言い忘れていたとしても、親や友人経由で耳に入るはず。  


 「ごめんごめん、パイナップルは私が食べるね。他は食べられるでしょ?」

「あー」

 食べられるか食べられないかで言えば、食べられる。それでも彼はこの違和感の正体を確かめるまで箸を進める気にはならなかった。

「俺さ、近頃忘れっぽくて。確認したいんだけどお前、」

「え、何何。お話しも良いけど、早く食べよう?」

「ここ数年間俺と関わらなくなったよな」

「もう、しょうがないなぁ。食べながら聞いてあげるよ。ほら、紙皿もあげるから」

「高校生のお前は思い出せるんだ。でも、それ以降が思い出せない」

「食べて!」

「俺の知らない、何かがあるはずなんだ」

 落ち着きを払う彼と対照的に、彼女は次第に声を荒げていく。紙皿に盛られた料理は異常なほど魅力的で我を忘れて貪り食べてしまいそうだ。それでも彼は必死に抗う。自身の意思だけではない、誰かが止めている気がするのだ。


 おかしい、何かが絶対におかしい。

そう繰り返す彼とそれを無言で見つめる彼女。暫く膠着状態が続き、そして彼は次の手がかりを探るように口を開いた。

「俺が過労死─」

 過労死。

 その言葉が飛び出すや否や、彼の脳内でパズルが組み上がり始めた。

エナジードリンクと休暇でも癒すことのできない、あの疲労感はどこへ行ったのか。寝付きの悪い自分が難なく深い眠りに落ちたのは何故なのか。どうして彼女はアレルギーを知らなかったのか。暖かい季節に関わらず、人とは思えぬあの手の冷たさは。

 そして、自分とは対照的になぜ彼女は歳を取らず外見が高校生のままのか。

「嘘だろ」

「気がついたの?」

 さっと血の気の引いた彼は堪らず彼女から離れるも、彼女が気分を害した様子はない。まるで、悪戯がバレた悪い子供のように平静を保ったままだ。



 否定して欲しい。

そう願いながら彼は違和感の正体を口にした。

 「死んだ」 

「そう、高校生のとき私は死んだの。この公園で」

しかし願いは果たされることなく、彼女は首を縦に振った。アスファルトに視線を注ぐ彼女の平坦な声が例えようなく不気味で、彼は人知れず身震いをした。

「当時は随分と騒ぎになったでしょう。この公園には人が寄り付かなくなったのも、それがきっかけ」

そして彼女はゆっくりと彼に目を向けた。その瞳には感情が無く暗闇が広がるだけだった。

「私が殺されたから。アンタに」

「俺が…?」

「そう」

「思い出した、あの時俺は待ち合わせに遅れて、」

「嘘ばっかり。あんなに滅多刺しにしたのに?」

 彼女は口角を吊り上げる。

思い出せ、アンタのせいだと囁きながら。

「お、俺は」 

彼女から逃れるように後退りし、彼は両手で顔を覆った。

別れ話、激昂した自分。鞄から取り出した狂気。目を見開く彼女。話し合いで解決する約束の反故。広がる血溜まり。手から滑り落ちる包丁。腕に残った引っ掻き傷。冷えていく彼女。


「思い出した?」

 彼女は1歩、また1歩と足を進める。彼の様子に満足げに目尻を下げながら冷たい声で続けた。

「私の最期の言葉、忘れたの?」

 先程までは子供を連想させた彼女が、今はまるで躾に厳しい教師のようだ。足が震える彼に構うことなく彼女は口を開いた。

「殺してやる」

 にっこり。

彼女は笑みを深めたが、直後これまでの振る舞いから一転、肩を落とした。

「事件は通り魔で片付けられ、アンタは野放し。ずーっと待ってて、やっと過労死しそうだから、期待したのに。現代医療ってすごいよね。アンタ、過労死寸前だけど生き返りそう。がっかり」

「俺を殺さないのか」

「殺せないよ、わたし死んでるもん」

 何を当たり前のことを。

彼女はそう言いたげに口を尖らせた。


「だからさ、これまでの事は水に流してるあげるから。生き返るまで、ゆっくりご飯でも食べよう。どうせ最近は落ち着いて食べられなかったでしょ?」

「そう…だな」

 彼は彼女の背を追い、ベンチに腰掛けた。

欲望のまま卵焼きやウィンナーを頬張り、冷えた炭酸飲料で流し込む。行儀が悪いと知りながらも、止められなかった。

「おいしい?」

「美味い美味い」

「良かったー、沢山練習したからね」

 彼女はほっと胸を撫で下ろすと、まだまだあるからね、とピーマンの肉詰めを彼の皿によそった。

「それにしても、どうしてそんなに練習したんだ?」

「んふふ」

 彼の質問に彼女は満面の笑みを浮かべた。 

「ねえ、黄泉竈食ひって知ってる?」

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